2021年6月 4日 (金)

『違星北斗歌集』刊行のお知らせ 

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 長らく違星北斗の遺稿集『コタン』が絶版でしたが、それに代わる遺稿集が発行されることになりました。

………………

『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』著者 違星 北斗
(角川ソフィア文庫)

発売日:2021年06月15日 商品形態:文庫

「アイヌの啄木」と呼ばれた歌人の心の叫び。

「アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ」
「滅亡に瀕するアイヌ民族にせめては生きよ俺の此の歌」
「滅び行くアイヌの為に起つアイヌ違星北斗の瞳輝く」

先住民族アイヌが公然と「亡びゆく民族」の烙印を押され、本来は「誇り高き人間」「立派な人」という意味を持つ「アイヌ」という言葉が侮蔑の響きをもって使われていた大正時代から昭和のはじめ。アイヌ民族復興のために立ち上がりその生涯を捧げ、病のため27歳で早世した歌人がいた。文庫ではじめて違星北斗の短歌、俳句、詩、童話、散文、ノートの記録を集める決定版。

【目次】
違星青年 金田一京助

短歌
医文学/小樽新聞/新短歌時代/北海道人/志づく/私の短歌/はまなすの花/ウタリ之友

日記
大正十五年七月十一日から絶筆

俳句
句誌にひはり/医文学/俳句/北海道 樺太新季題句集/月刊郷土誌よいち


冷たき北斗/大空

童話・昔話
熊の話/半分白く半分黒いおばけ/世界の創造とねずみ/死んでからの魂の生活/烏と翁/熊と熊取の話

散文・ノート
ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて/ぶちのめされた民族が/アイヌの一青年から/春の若草/我が家名/淋しい元気/淋しい元気/コクワ取り/アイヌの誇り/疑うべきフゴッペの遺跡 奇怪な謎

手紙
自働道話/子供の道話

コタン創刊号
目次/巻頭言 白路 凸天生/アイヌ神謡集序文コタン 知里幸恵/偽らぬ心 凸天/生活 自覚への一路 浦川太郎吉/「アイヌの姿」 北斗星/心の日記(後藤静香)/断想録(其ノ五) 十一州浪人/コタン吟(其ノ二) 十一州浪人/はまなし凉し/編輯余録/奥付

解題・語注
違星北斗年譜
解説 違星北斗その思想の変化  山科清春

https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000263/
………………

タイトルは「歌集」ですが、遺稿集『コタン』の内容を網羅し、さらに新発見の道話・手紙・ノートなどの文章を収録。

350ページですが、うち90ページは「解題」「年表」「解説」を私が描き下ろしています。

違星北斗の生涯と思想の変化を解説しているので、コタンよりも分かりやすくなったと思います。

 

2021年4月18日 (日)

「RUYKA ITAK 言葉の架け橋」に寄稿しました

RUYKA ITAK 言葉の架け橋に寄稿しました。

昨年末に亡くなった太田満さんのこと、太田さんとやろうとしていた違星北斗イチャルパについて書きました。

 

こちらで読めます。

2021年4月15日 (木)

希望社『コタン』のフゴッペ


うーん、希望社『コタン』のフゴッペ。
このToppaって初出の小樽新聞にはないのね。
「芸術的彫刻の場合でもkunr? とkamuiai の様な宗教用途の物の他はない」
kamuiaiも怪しいけど、ルビからの推測だろうか。

でも、これは小樽新聞や初版(希望社)の編集者にはハードルが高かっただろうな。
そして草風館版はその希望社版を底本にしているから…
北斗のフゴッペ論文は、もう一度北斗の原稿はないにせよ、初出の小樽新聞をベースに誰かちゃんとした人が検証し直す必要があるだろうなあ。



写真の説明はありません。写真の説明はありません。
まあ、それは『コタン』全般にいえることで、初版の編集のまずさから、さまざまな間違いが残ってしまった。
本当は全部初出にあたって『シン・コタン』を作るべきなんだろうな。

あと、初出雑誌新聞にあるルビが希望社版ではぜんぶ無くなるので、それも困るんだな。
北斗はアイヌは基本偶像を彫らないというためにカムイアイとこれを例示してるんですが…これは道立図書館の小樽新聞のマイクロフィルムですが、図書館によっては記録状態に差があったりするのでしょうか。
kuur はkur (人?)でしょうか。文脈からすると、彫刻を施す「宗教儀礼に使う道具」の名前かなと思います。イナウとかパスィとか、墓標とか。

奈良農夫也(のぶや)

北斗の恩師の中には2人の奈良先生さんがいる。

一人が奈良直弥で余市の大川小学校の担任。

もう一人が奈良農夫也(のぶや)で、日高の長知内のコタンの学校の先生。

偏屈だが、アイヌ文化に通じており、その知識は北斗によると金田一と並ぶという。

本の画像のようです

2021年3月30日 (火)

やっと少しだけわかってきた

やっと違星北斗のことが少しだけわかってきた気がする。でもこれは自分ではなくて、

さんに教えてもらったことなんだ。

2021年3月29日 (月)

「吾等は二世違星北斗君の出現をまちたい」

久しぶりに読んだらけっこう重要なこと見落としてたな。

 

「違星北斗君を悼む」村上如月

https://t.co/IZEEO10szX?amp=1

 

「吾等は二世違星北斗君の出現をまちたい。」

 

これも。盟友、稲畑笑始の追悼。
iboshihokuto.o.oo7.jp/otarutsuito.htm

 

「幾多の郷土芸術の真価を高揚しアイヌの歌人として歌壇に独自の境地を開拓した彼の生涯こそ華やかにもまた淋しい元気の終局でもあつた。吾れ/\はとまれ、郷土芸術史上に薄幸なる歌人北斗君をして永劫にその存立を讃へてやまぬものである。」

2021年3月25日 (木)

バチラーの平取幼稚園についての論文

バチラーの平取幼稚園について。

「大正,昭和初期における先住民アイヌの子育てと保育 : ジョン・バチラー,バチラー八重子による平取幼稚園と日曜学校を中心に」島津 礼子・七木田 敦

 

https://t.co/3lmlFAcQpw?amp=1

2021年3月23日 (火)

なんていうか

このレジュメ、金成マツとバチラー八重子を混同してるな。金成マツが「若きウタリへ」を書いたと書いてある。なんていうか。

 

https://t.co/plWwt8IoAw?amp=1

2021年3月13日 (土)

スッキリ

#スッキリ のアイヌ差別放送のために地獄の釜の蓋が開いた。Twitterでは差別を受けてきたアイヌの当事者に「何が問題なんだ?」と無知無恥な輩が無神経に詰め寄る光景があちこちで見られ、ありもしない「アイヌ利権」などの陰謀論を垂れ流す者も活気付いている。#日テレ がやったのは差別の再生産だ。

 

(「地獄の釜」の言葉の使い方が間違っているとの指摘。すみません。「地獄の扉」とでもするべきでした。

「地獄(じごく)の釜(かま)の蓋(ふた)もあく の解説
正月や盆の16日は、地獄の鬼も罪人の呵責 (かしゃく) を休むというところから、この両日はこの世の者もみな仕事をやめて休もうということ。」

なるほど、すみません。 https://t.co/3UqHZzkuS4?amp=1)

2021年2月13日 (土)

「違星北斗という歌人」

小池陽慈氏による、北斗の評論です。

すばらしい。

https://t.co/ncP5TUB3Bs?amp=1

2021年2月 9日 (火)

「違星北斗の祖先 余市アイヌの系譜」のお話

明日お昼12:30から、自分の頭の整理のために「違星北斗の祖先 余市アイヌの系譜」のお話をしたいと思います。みなさんが思っているほど、アイヌの歴史はファンタジーでもファジーでもなく、和人とアイヌ社会の関係性、闘争の歴史だということがわかるのではないかと思います。clubhouseです。

もちろん闘争ばかりでもないです。

それから、あくまで余市という小さな地域のお話です。同じ時代でも、地域ごとに状況は違うと思います。

画像

図の家系不明の人の中には実は北斗のご先祖様がいると思います。

この図、シャクシャインの前とか、後とかが時代が飛んでるのはもちろん、和人側の記録がないからであって古代から連綿と続いているわけですね。もちろん「アイヌ民族は鎌倉時代から始まる」みたいな勘違いをしている人がいますが、古代からアイヌ民族の歴史のある時期を「アイヌ文化期」と呼ぶわけで。

 

ちなみに、他のコタンは存じないのですが、余市コタンの指導者の体制はだいたい乙名(リーダーもしくは調整役)が4人体制なんですよね。
上下ヨイチにそれぞれ惣乙名、脇乙名が2人ずつ。これはシャクシャイン時代から、場所請負制の時代になっても4人体制で、幕末には上下の区別はなくなりますが。惣乙名と脇大人2人の3人体制になるんですね。

2021年1月15日 (金)

『違星北斗の生涯』更新予定

どうにもこうにも忙しくて、なかなか進められない。

その理由は唯一つ。貧乏暇なしだ。

違星北斗も「アイヌを研究したら金になるかという人に 金になるよとよく言ってやった」と逆説でいうように、研究をするためには他で稼がねばならぬ。

しかし、私は馬鹿なので、金にならぬ「仕事」(と本来は言わないようなこと)ばかりを引き受けてしまう。

結果、働いても働いても、書いても書いても生活は楽にならない。

そうこうしているうちに、研究スケジュールは何ヶ月も遅れる。何年も遅れる。

ということでは全くダメだ。

今後の連載について、スケジュールをちゃんと立て直したい。

 

第7回 余市アイヌの系譜

もう、シャクシャイン以前は自分には手に負えない。とんでもなくたいへんなので、シャクシャイン時代以降で、とりあえず1回で済まして、本にするときに補足したい。

1 シャクシャイン時代~
2 祖父たちの時代
3 北斗の時代  

(1月末目標。2月前半。ここが一つの山だ。あとは分かっていることを書くのだから、ここよりはましだと思いたい)。

第8回 違星北斗の家族 幼少期

母ハル。兄弟たち。家族に囲まれ、幸せな幼少期。
小学校に入ってからのいじめの日々。
小学校の成績。
母の死。  

(2月末目標。ここはそんなに大変じゃないはず)。

 

第9回 青年期と「反逆思想」と「恩師」たち

労働の日々。病気。
新聞の記事。反逆思想。
思想の転機。小学校。
奈良。俳句と修養思想。自働道話。
友人・古田との出会い。  

(3月末目標)

第10回 東京時代1 金田一と「アイヌ神謡集」知里幸恵

大正14年2月に上京。余市から腹ペコで上京。

金田一との出会い(「違星青年」)。知里幸恵。バチラー八重子。
金田一との出会いから、広がる人脈。
東京アイヌ学会。伊波普猷。柳田、今和次郎ほか、民俗学者たちとの出会い。  

(4月末目標)

第11回 上京時代2 希望社と国柱会

自働道話社の東京府市場協会など、北斗の東京の家族となった人々。登山。

希望社の後藤静香との出会い。

国柱会のセミナー(金田一の証言)  

(5月目標、このへんでちょっと前倒ししていきたい)。

第12回 上京時代3 東京の日々

違星北斗ノートに基づく東京生活。

山中峯太郎や出版人、短歌・俳句。

北海道人、医文学など。

(6月目標)

第13回 北海道へ(幌別、平取)

大正15年、7月。東京を去ることにした北斗。送別会。駅での別れ。
まずは幌別へ。(「旧コタン」の間違い)。
そして平取へ。

理想と現実の乖離。

日高のウタリからの疎外。

バチラーと後藤静香の決裂。
土工をしながら、平取を拠点に日高のコタンをめぐる日々。

(7月目標)

第14回 余市へ、病気と研究

昭和2年。兄の子の死により、余市に戻る。
ニシン漁。
病を得る。
回復。西川光次郎との再会。
後志の調査  

(8月目標)

第15回 同人誌コタン発行、再び平取へ? 

同郷の中里凸天と同人誌「コタン」発行。

再び平取、バチラー八重子との日々。

(9月目標)  

第16回 新短歌時代、小樽新聞、フゴッペ論争

並木凡平と小樽歌壇の人々との交流。

無理解な歌人たち。

フゴッペ論争。

(10月目標)

 

第17回 売薬行商

昭和3年。後志、幌別、日高と売薬行商をしながらコタンをめぐる。

友人・鍛治照三の思い出。
能登酉雄。白老で友の死、山本先生、高橋房次先生、森竹竹市。
真志保、八重子との歌会。浦河太郎吉。

(11月目標)

 

第18回 闘病、北斗帖、古田謙二

余市での再びのニシン漁、

病気の再発。フゴッペ論争。「志づく」。

「北斗帖」

(12月目標)

 

第19回 絶筆、死、死後

友人・古田謙二(冬草)の尽力。

死の朝。

(1月目標)

 

第20回 違星北斗の影響と遺稿集「コタン」

北斗の死に反応した人々。

古田と、後藤静香たちによる「コタン」の発刊。

(2月目標)

 

といったところだろうか。

北斗生誕120年イヤーに、なんとしても完結させたいものだ。

2020年11月29日 (日)

カムイギリ

日曜美術館見てた。
違星北斗の生まれた余市のアイヌには特有の『カムイギリ』と呼ばれるシャチ形の木彫がある。
余市はアイヌ文化の伝承がほぼ途絶えてしまったのだが、余市の人以外でも、誰か彫る人が現れないものだろうか。

出典は『北海道の文化72』「沖の神(シャチ)とカムイギリ」(青木延広・難波琢雄)

画像

違星北斗は「アイヌは偶像を彫らない」というんですが、これは偶像に入らないのかなとも思うんですが。


違星家の花矢(イオマンテで使う矢)にはシャチのデザインが使われている。
魚(とそれに類する生物)は偶像というのに含まないのかも知れないな。
画像
カムイギリの復元資料は「最後の余市アイヌ」と呼ばれた方が製作されたようで、記憶に基づいて作られたようです。その後、実物資料が発見されたとのこと。どちらがより本物ということではないですね。

2020年11月28日 (土)

『路地裏のコタン』

 

『路地裏のコタン』。

この感じが北斗の育ったコタンなんだよね。
ゴールデンカムイに出てくるようなアイヌコタンじゃなく。
鰊景気に湧く余市の街の路地を抜けてくと、町外れの川沿いに、妙に街並みが違う一角がある。昔ながらのアイヌ家屋ではなく、板張りの普通の家。だけど広場には熊の檻がある。

もし北斗が映像化されるとしたら、そこは間違えちゃいけない。
当時の余市の和人労働者と同じような普通の家。
だけど、家の裏には幣棚があり、熊の頭骨とイナウが飾られ、伝説に名前が残る怪物退治の槍が飾らせている。その槍の名前が「ワタナベの槍」というんだけど、それも含めリアルなんだと思う。

 

尺八も短歌も北斗の育った当時の余市大川コタンなら自然な出会いだなと思うんです。
鰊バブルに沸き立つ街に飲み込まれてた、街外れの一角、アイヌプリではなく、言われないと気づかない和風家屋のコタン。

 

路地裏のコタン。
一見コタンには見えないけど、間違いなく北斗たちにはかけがえないコタン。

 

北斗は世界を、アイヌ民族を一人背負って立ってしまう。

 

自分が何とかせねばアイヌは滅ぶ、だから俺はアイヌのために生涯をかける。

 

一人で背負うには大きすぎるものを背負ってしまう。

 

その結果、命を燃やして27歳で死ぬ。カリスマミュージシャンのように。

 

 

2020年9月26日 (土)

「称好塾」の句会

違星北斗の東京時代のノートに「称好塾」の句会に出たという記録がある。この「称好塾」は国粋主義者の杉浦重剛の私塾と同じ名。北斗が訪れたのは杉原の死後の大正14年の10月。北斗は中野亨という人物と会っているが、同名の人物が『天台道士語録』という杉浦の語録を出しているので、同じ塾だろう。

 

この中野亨は『杉浦重剛座談録』の編者で晩年の杉浦弟子中野刀水と同一人物かも知れない。
東京時代には北斗と国粋主義との接近は国柱会などでも見られるが、結局「和人は皇祖神天照大神を崇拝するならば、アイヌである自分はエカシの信仰を大事にするべきだ」と気付きを得て、北海道に戻ってゆく。

 

「祖先崇拝(敬?)は大生命の自覚であったとしたならば、私の祖先崇拝は大日本の天照大神をより、アイヌのエカシの崇拝が重要ではないか」「祖先崇拝したら叛けと云う教ではないか」

画像

これは大川周明の講演を聞いたあとの感想。北斗は東京に知識を得にきただけではなく、自ら「名刺狂」「名士狂」というほど、名士の名刺を持って新たな著名人を紹介してもらい、アイヌ復興のための「ロビー活動」していたようなところがある。当時の実力者に会おうとすると、当然ながら国士も多くなる。

 

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