2020年6月 3日 (水)

《時系列でたどるシトナイ伝説》

ツイッターで書いたことですが、見にくいので、こちらに再度UPします。

※だいたいは、ヤオさんの調査を元にしています。こちらも併せてごらんください。

 

《時系列でたどるシトナイ伝説》

 

★まず「白龍伝説」があった

 もともと小樽の祝津にある赤岩という山に、白龍が住むという伝説があった。
 明治ごろ。龍というくらいだから、和人を中心としたものだっただろう。

●明治初期
 
「明治初期、修行僧が洞窟に篭もって修行をしていた際に、天に昇る白龍を見た」という伝承あり。

https://t.co/1g29gwqfVJ?amp=1

 

●明治9年 「玄武丸事件」

 

 開拓史長官黒田清隆が軍艦・玄武丸の艦上で酒に酔っ払い、玄武丸の大砲を、小樽の祝津の赤岩に向けて撃った。
 運悪く祝津の民家に当たり、一人の少女が亡くなった。(史実)

 →その際、なぜ黒田が祝津の赤岩山に向けて、大砲を撃ったかには諸説あるが、

 そのうち一つが、 酔った黒田が

「海難事故を起こす龍だと? 迷信を打破してくれる」

 と大砲を撃ったという噂がある。(都市伝説レベル)。

 ということで、もともと小樽祝津の赤岩には、遅くとも明治時代の初期には、
 単独の(シトナイ伝説を伴わない)「白龍伝説」があったことがわかる。

 

★シトナイ神話の創造へ

シトナイ伝説の「元ネタ」は中国の伝説。

 

●大正11年(1922)松井等『伝説之支那』収録の「妖蛇」

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   Youja3_20200603013001

国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970310/21

 

 「妖蛇」は中国の「捜神記」の一編で、それの日本語訳。

【舞台】東越の庸嶺という高山の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし
【父】李誕
【住居】将楽県
【同行者】蛇を食う犬
【武器】剣
【大蛇に与えた食物】甘い餅

 

★中国の古典から和人の手によって「アイヌの伝説」に

●大正13年(1924)青木純二『アイヌの伝説と其情話』収録の「大蛇を殺した娘」

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 上記「妖蛇」の換骨奪胎(コピペ)です。新聞記者・青木純二の手によるもの。

(発見者 ヤオさん https://twitter.com/kiyamashina/status/1267614518143664128?s=20 )

 まだ、シトナイの名は登場しない。

 

【舞台】小樽手宮の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊 
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし(シトナイの名前なし)
【父】イワナイの酋長【住居】イワナイ
【同行者】蛇を食う犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉

※そもそも羊が北海道に輸入されたのは明治10年頃(ヤオさん)

※単にストーリーを参考にした程度の換骨奪胎ではなく、固有名詞を変えただけの完全なコピペ

 どうやっても、「偶然の一致」とは言い逃れができないほど、完全に一致。

 たとえば、娘が大蛇を倒した後、先に生け贄になった9人の娘達の髑髏(ドクロ)に向かって

「いかに女の身なればとて、気の毒にも大蛇に喰われるとは、弱いにも程があります」

といったセリフまで全く(一字一句)同じである。

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まさに完コピ。

 

Map1

(……舞台設定にも難があって、イワナイが仮に現・岩内町だとすると、積丹半島の反対側です。

  直線距離で60キロ。違う生活圏でしょう。いくらなんでも遠すぎる気がしますね。)

 

この青木のコピペ伝説から、さらに尾鰭がついていく。
舞台は小樽の手宮から、祝津の赤岩山へ移動。

中国の伝説からパクった偽の伝説が、元からあった白龍伝説と関連付けられていく。

(シトナイ伝説を中国の説話からパクった青木純二は、有名な阿寒湖の「恋マリモ伝説」も、
他人の創作童話を自分が収集した伝説として『アイヌの伝説の其情話』に収録したようだ。
そして、その「マリモ伝説」はアイヌの伝説として広まってしまった。
青木は創作を基にした「神話伝説の捏造」を常習的に行っていたのだろう)
http://tonmanaangler.hatenablog.com/entry/20170824/1503577778

 

★シトナイ登場!

 

●昭和7年(1932)『北海道郷土史研究』(日本放送協会)収録の橋本堯尚「小樽の昔噺」

(この本はNHKのラジオ番組を本にしたもののようだ)。

 

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【舞台】小樽の北西一里、祝津の海岸の赤岩山
【祭りの供物】熊と鹿の肉
【主人公】9人姉妹の末っ子、シトナイ
【父】ウヘレチ
【住居】余市
【同行者】愛犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉

 シトナイの名が登場。

 「シトナイ」は幕末から明治に実在した小樽クッタルシコタンの乙名(指導者)の名。このシトナイは男性。→こちら

 無名の乙女のキャラクターに実在の男性「シトナイ」の名をつけたのは橋本堯尚なのか、その前に誰か別の人物が命名し、橋本がそれを踏襲したのかは不明。

 「白蛇退治の乙女を最初にシトナイと名付けたのは誰か」は、この時代の関連資料を調べてみなければならないだろう。

  場所も小樽手宮から約4キロ北の「白龍大権現」のある赤岩山に変更されている。

  シトナイの居住地は余市に変更。

 Map2

  (21キロと、これもけっこう遠い。

 余市アイヌの領域の境界はフゴッペ岬で、蘭島は蘭島アイヌの領域だったので、そのはるか向こうの赤岩山は余市アイヌの生活圏の外だろう)。

※父の名「ウヘレチ」はシャクシャインの戦いの時のヨイチの5人の乙名のうちの1人の名前。

 同書別エピソードにも、「ケフラケ」という、同じくシャクシャインの戦いの時の乙名の名前が出てくる。

※「ウヘレチ」「ケフラケ」は「シャクシャインの戦い」という、比較的よく知られた歴史上の出来事に登場する、ヨイチアイヌの乙名(指導者)の名前から命名したと思われる。

※1669年のシャクシャインの戦いの当時のヨイチアイヌについては、集団としての動き以外は、乙名の名前ぐらいしか残っていない。もちろん、ウヘレチやケフラケが白蛇と関係したという記録は残っていない。

 

★北海道庁の編纂した本にパクリ伝説が載ってしまう

●昭和15年(1940)『北海道の口碑伝説』(北海道庁編/日本教育出版社)「大蛇を殺した娘」(小樽市役所調べ)

 

 北海道庁編集の本であり、各地の市役所が資料提供を行ったようだ。

 

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【舞台】小樽手宮の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし(シトナイの名なし)
【父】イワナイの酋長【住居】イワナイ
【同行者】蛇を食う犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉

 

 内容は大正13年の青木の「大蛇を殺した娘」とほぼ同じ。
 北海道庁から依頼を受けた小樽市役所の役人が、青木の本を(デタラメと知らず)
引き写して(もしくは、青木の本そのものを) 提出したようだ。

 つまり、青木純二という新聞記者が中国の説話をパクった物語が、

 北海道庁に「お墨付き」を受けてしまったことになる。

 デタラメな伝説が「アイヌ伝説」として北海道庁の編纂した本に載ってしまい、

 公的な伝説になってしまったといえる。

 

 ※「創作伝説が当時のアイヌの人々に信じられていたのであれば、アイヌの神話でいいのでは?」という意見があるが、アイヌの人々がそれを信じていたことはないだろう。
 シトナイの住んでいたといわれる余市にはそんな伝説は残っていないし、
小樽のアイヌコタン(クッタルシコタン)は、明治13年に行政によって、和人の市街地造成のため、強制的に立ち退かされ、アイヌの人々は他の地域に強制移住させられている。当時、小樽にはコタンの痕跡はほぼなく、和人の目に見えるような(訪ねたり、聞き取りや相談ができるような)形でのアイヌコミュニティは存在しなかったと思われる。
 あくまで青木の捏造した「神話」が和人の間でテキストとして流布していったのであろう。


 (ゴールデンカムイでは小樽にアイヌコタンがあるように描かれているが、あれはフィクションであり、コタンの習俗や言葉などの文化は他の地方の文化を参考にしている 「野田サトルのブログ」  )。

 

● 昭和22年(1947)赤岩山白龍神社 建立。


白龍権現とともに、明治の初めより和人の信仰を集めていた「白龍」の伝説。

そこに新たに大正時代に和人の新聞記者によって創造された「シトナイ」という女性英雄の伝説が「アイヌの伝説」として加わり、

その「虚像」が今、多くの人に「アイヌの英雄」として周知されようとしているわけです。

 

 自分としては、「遊び手」の方には何も言うことはありません。

 「作り手」の側には、もう少しちゃんと調べてほしい。

 センシティブな国内の先住民族文化を題材を扱うときには、漫画やアニメならちゃんと専門家の意見を聞くのに、ゲームでは、なぜそれができないのか。そういうというところは、作り手に対して大いに不満があります。

 個人的には、シトナイの設定の出典を、明らかな間違いである「アイヌの神話」ではなく、「北海道の伝説」あたりにすれば、とりあえずはいいのかな、と思いますが。あくまで、個人的な考えです。

 

 

 

2020年5月29日 (金)

ヨイチの乙名の流れ

【江戸時代の余市アイヌの乙名】  

………………「シャクシャインの戦い」………………………………

1669(寛文9)

(総大将)八郎左衛門(八郎右衛門、ヤエモン)▲ 

(大将)ケフラケ(チクラケ、ケクラケ)● 

(大将)ウヘレチ 

(大将)サノカヘイン 

(モイレ大将)キイヤタ▲

※以下▲は八郎左衛門の家系、●はケフラケの家系を指す。

 

………………デタラハコエ・ニヨンシクル時代………………

上ヨイチ 惣乙名/脇乙名 // 下ヨイチ 惣乙名/脇乙名)

 

1786(天明6)

         センタイ●

1792(寛政4)

デタラハコエ / ベンタイ● // ニヨンシクル 

 

………………イコンヌル・サケシュス 時代………………

1807(文化 4) 

イコンヌル / センダイ● // サケシン / イトムコツ

1817(文化14) 

イコンヌル / センダイ● // サケシュス / イトムコツ

 

………………イコンノミ・サケシュス 時代………………

1822(文政 5) 

イコンノミ / カシタヰ   // サケシュシ / イナヲリ

1828(文政11) 

イコンノミ / イタキサン■ // サケシュマス / イナヲリ

 

……………… トレンシュス・サケシュス 時代 ………………

 

1830(天保1) 

トレンシュス / イタキサン■ // サケシュス / イナヲリ

 

……………… イコンノミ・サケシュス 時代II ………………


1838(天保 9) 

イコンノミ / イタキサン■ // サケシュツ / イナヲリ

※30年以上、下ヨイチの惣乙名を務めたサケシュスが退く。

……………… ヲシトンコツ 時代 ………………

※上ヨイチ・下ヨイチそれぞれに惣乙名と脇乙名がいる時代は終わる。

惣乙名 / 脇乙名 / 脇乙名)

 

1840(天保11) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / 子トハケ

1844(天保14) 

ヲシトンコツ▲  /       / イコンリキ★

1852(嘉永 5) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンレキ★

1855(安政 2) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★

1857(安政 4) 

ヲシソンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★

……………… 総乙名不在の時代 ………………

 

1859(安政 6)

         / イタキサン■ / イコンリキ★

1862(文久 2)

         / イタキサン■ / イコンリキ★

1867(慶応3) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イネアンヘ 

※1867(慶応3)にヲシトンコツの名があるが、安政6年の「ヨイチ場所蝦夷人名前書」に「故ヲシトンコツ」とあり、この時点では亡くなっていることがわかる。

……………… ヨイチ最後の乙名………………

1870(明治3) 

留左衛門▲   / イコンリキ★ / イネアンヘ

 

※★は違星家の祖 

■は中里徳太郎・篤治、および甚作(北斗の父)の祖

※名前には表記のゆれがある。

 

ザンザラケップとは


違星北斗の遠祖コタンバイガシ(村はずれの翁)という人は、もともと小樽、銭函周辺のザンザラケップというところにいた。

この違星家の口伝に残る地名「ザンザラケップ」とはどこか。

昔、この村の人々が、蔵から宝物を出して虫干しをしているときに、村の愚かな若者が「やーい、レブンカムイ(沖の神様、シャチ)、こんなにたくさんの宝物、お前はもってないだろー!うらやましいだろ!」と自慢してしまい、レブンカムイの怒りを買って、ザンザラケップの背後の崖がゴロゴロと崩れて、村は全滅してしまった。

ただ1人生き残ったのが違星北斗の祖先で、彼は「たった一人のバカのために村ごと全滅そんなことをするとはなんという了見の狭いカムイだ。もうどうにでもなれ!」

と、櫂も持たずに小舟で海に出た。

自暴自棄になった彼は、運命を潮まかせにして、何日も海上を漂流し、やがて余市アイヌの人々に発見された。彼は、舟の上から余市の人々にイナウを振って挨拶したという。

 やがて、彼は余市の人となり、村長の娘と結婚して「コタンバイガシ」と名乗ったという。

 その、違星家のルーツのザンザラケップ、たまたま小樽のミュージシャンの浜田隆史さんに「どこだかご存じですか」とお聞きしたところ、ここではないかと教えていただいた。

 ・「サンタラツケ」が松浦武四郎の『西蝦夷日誌』(『新版蝦夷日誌(下)』(吉田常吉編/時事通信社)の「小樽内と石狩の領境」近辺の地名としてある

ということ、さらに

 ・「サンダロッキヒ」という地名が「永田地名解」(「北海道蝦夷地地名解」永田方正)にあるとのこと。

 すごい! ありがとうございます!
 近くに漢字で

「三樽別」

 となっている地名(川の名)が残っていますね。
 カタカナの字面だと類似に気づきにくいですが、

 「ザンザラケップ」ZanZaRaKeP
 「サンタラッケ」 SanTaRaKKe
 「サンダロッキヒ」SanDaRoKKiHi

 と適当にローマ字にしてみると、発音は非常に似ていますね。

 意味は「(山から浜へ)出る・でこぼこしている・川」
 あるいは「なわでシカを縛り荷降ろしするところ」

 ということなのですが、後者だと、村の背後は急峻な崖で、海の神の怒りによって崩れてしまった、というのもわかる気がします。

 銭函周辺には「星見」「星置」みたない「星」地名もあって、もちろん、由来的には違星と関係ないんですが、興味深いですね。

 違星北斗の祖先には、他にも海の神に呪われる伝説(漁船上で神がかり、千里眼能力に目覚めたが、それを言いふらしてしまったため、呪いで子孫に恵まれなくなった)があって、
やはり海の民だから、海の神との関係性が強いのだなと思いました。

2020年5月28日 (木)

FGO/シトナイがアイヌ伝説由来ではない問題について


「Fate /Ground Order」(FGO)というゲームがあります。
ご存じない方にすごく大雑把に説明しますと、古今東西の英雄たちが出てきて、聖杯をめぐって戦うゲームなのですが、
その中にシトナイというキャラクターが出てきます。設定上「アイヌ伝説に登場する女性英雄」となっています。

ところが、このキャラ、実はアイヌの伝説ではなくて、
その実は、大正時代の和人による「創作伝説」なんですね。

さらに元は、中国の説話を換骨奪胎(丸パクリ)したものである、ということがわかっています。

 

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-883fe1.html


(「シトナイ」の名は、幕末・明治期の小樽クッタルシの乙名の名前。実在した男性ですが、もちろん名前以外関係ありません)。

つまり、アイヌの神話ではない。

ただし、その伝説は、小樽の白龍神社の縁起と関連付けられており、アイヌの伝説由来ではないが、比較的新しい和人による「北海道の昔話」とはいえなくもない。

しかし、現状、多くの人がこのシトナイを「アイヌの神話・伝説に登場する女神・女傑」だと思っており、
すでに「虚像」が「アイヌの伝説」として流布しているので、けっこう看過すべきではないとも思います。

ヤオさん、という方が、そのあたりをずっと追求されています。

個人的には、FGOの公式の設定から「アイヌの伝説が出典である」という間違いを、外してもらえば、「アイヌ文化からインスパイアされたキャラ」ということで、まあ問題ないとは思うのですが…(まあ、どうなんでしょう)。

巨大なコンテンツであるだけに、多くの人が関わっており、関わる人の「教養」や「リテラシー」にも差があるでしょう。

また、少数民族文化の簒奪や、信仰の対象になっているもの、
あるいは歴史上の人物であるけれども子孫がまだいらっしゃる近代の人物などの、安易で無自覚な「キャラ化」が進んでいく現状は、ちょっと怖いことだと思います。

ただ、作り手側に、その感覚は、説明してもわからない人はいる。
「歴史上の人物だから、パブリックなものだからいいじゃないか」と。
そこは、その人のそれまで経験、見てきたものにもよる価値観なんだと思います。いいとか悪いとかいうことではなく、その人が何を重んじるかという。

ネットで拾った人物、信仰、文化の情報を読んで、「こいつ面白いじゃん」「キャラに使えるじゃん」と思っても、その文化を実際につないできた人々がいるわけですよね。
でもそのリアルがわからないと、それで面白く遊べてしまう。
たとえば、古事記や日本書紀にも載っていない、地方の小さな神社にある縁起書の看板にしかない神様の伝説を誰かがネットに上げる。
聞いたことのない面白い神様だといって、漫画やゲームのネタにする。
でも、その地域の素朴な信仰をつないできた人々がいて、今も毎日手を合わせているご老人がいたりするとして、その人はまさかその信仰の対象がキャラかなんかにされて、薄い本にされて萌えまくられているなんて知らない。
もしそんな状況があるとすれば、それはちょっとグロテスクじゃないでしょうか。

 もちろん、アレキサンダー大王とか、アーサー王とか、メジャーな神様や英雄とかなら、いくらでもネタにしてもいいと思います。多少イジられようが、多くの人が元ネタがこういうものだというのが定まっており、小揺るぎもしないほど、文化として盤石な原典であれば。
 でも、言い方が悪かもしれませんが「吹けば飛ぶような」、少数者の文化だと、巨大なマスメディアで虚像を流布されてしまうと、そもそも原典が知られていない存在の場合は、本当にその名前は虚像に乗っ取られてしまうわけですよね。(ネット上でいえば、「サジェスト汚染」というやつもそうです)。

たとえば、僕に寄せて考えると、「文豪なんちゃら」というゲームのキャラに「違星北斗」が登場し、ヒグマに乗ってやってきて

「待たせたね。僕の名前は違星北斗。
北の大地とともに育った自然の子さ! 
カムイの怒りを知るがいい! 
アナザー・スター・ノーザン・アタック!」

みたいなことをやられると、ちょっと待て、となるわけですよね。
さらに、それをユーザーの手で、ネットや同人誌で「あられもないこと」までさせられてしまう。(ユーザーの手による二次創作は、メーカーとしては関知しないかもしれないですが、そうなっちゃう現状です)。

もちろん、北斗のご遺族の方もいらっしゃるわけで、その人が見てどう思うかということも含めて。

で、シトナイ問題もそうなんです。
元々シトナイは幕末から明治の、小樽のクッタルシコタンの乙名(指導者)の名だったりするんですね。我々が知らないだけで、その子孫の方が現在もいらっしゃる可能性も高いわけです。
(ご本人が知っているかどうかは別として)。

ちなみにこの本物の「シトナイ」(小樽クッタルシの乙名)の方は、どうも違星北斗の祖父万次郎の「開拓史学校」の同級生のお兄さんらしい。また、シトナイ伝説を中国の説話から丸パクリした青木純二という人は、北斗の昔話もパクっているかも知れない疑惑があって違星北斗の研究者としても、いろいろ看過できない。

そのへんのこと、wikipedia に「シトナイ」ページを作るなどして、ちょっと整理してみたいと思います。

» 続きを読む

2020年5月23日 (土)

ライティングをお手伝いしていた本が出ました。


今日発売されました。
ライティングをお手伝いさせていただきました。

Twitterとかでタイトルで検索するとヘイトばかりがひっかかるのが難点ですが‥‥
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2019年12月31日 (火)

今年

今年の後半は生活の改善と労働に明け暮れました。
来年は「違星北斗の生涯」の更新を頑張ります。

 

「もっと調べねば書けない」ではなく、今書けることを書くのが肝要だとは思うようになりました。
漫画の新連載も始まるし、2020年は良い年にしたいものです。

2019年12月 1日 (日)

違星北斗がカードに

違星北斗がカードになったらしい!
マジか。余市水産博物館に行けばもらえるらしいよ! (行けない)

 

北海道の歴史・文化を辿る「先人カードめぐり」 | 総合政策部総務課

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sum/senjin/index.htm

2019年8月14日 (水)

われは北斗の星にして

「われは北斗の星にして
千年ゆるがぬものなるを
君がこころの天つ日や
あしたはひがし暮は西」

 

中国の女性詩人・子夜の漢詩
儂作北斗星
千年無転移
歓行白白心
朝東暮還西
を佐藤春夫が訳したものだが、所収の「車塵集」は刊行が1929年なので読んでない筈だが、
まるで違星北斗のことみたいだな。

2019年7月22日 (月)

東京イチャルパ

芝公園。東京イチャルパに出席しました。
明治5年、ここ増上寺の開拓史仮学校にアイヌが連れて来られ、「強制修学」させられ、この地で5人のアイヌがお亡くなりになりました。
その方の慰霊祭です。
違星北斗の祖父・万次郎も留学生の中の一人でした。
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一人で巡礼。万次郎たちアイヌ「留学生」がいたのはこのへんかな。芝大神宮の北側。
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清光院のお隣、芝大神宮(芝明神)。
万次郎たちも来たのかもしれない。
9月のお祭りにも来たかもしれない。
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2019年7月16日 (火)

#永遠のニシパ

#永遠のニシパ を見て松浦武四郎の「近世蝦夷人物誌」を読みたいと思った方、こちらをどうぞ。松前藩と和人商人の悪業がたくさん記されています。

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もちろん、アイヌ民族への為政者による抑圧というのは江戸期の松前藩の強制労働・搾取・人口減少だけではなく、明治以降は政府による土地掠奪、同化政策のターンがあるわけで。
そのへんは終盤の武四郎の叫びで表されているわけではありますね。

あと、漁場の経営は松前藩から商人に請負われていた。

外部委託された「企業」の経営者によって現場の実状は違っていた。
例えばアイヌの人口が比較的多く、和人との付き合いが古い余市の場合は、強制連行の話は聞かれない。

価な労働力として酷使されていたことは変わりがないが、余市では、「自分稼ぎ」もできたし、イキシュという団体抗議(ストライキ)もあった。

松浦武四郎をヒーローとして描くのは危険で「松前と商人(場所請負人、漁場支配人)たちがアイヌを虐げる悪い和人、武四郎と幕府はそれを救った良い和人」という描かれ方しちゃう可能性がある。
我々和人にとっては松前藩側に罪を被せられ、自分は武四郎側に立てて都合が良いから。

でも、その後、幕府は松前から蝦夷地の支配権を取り上げ、晴れて幕府のお役人となった武四郎も「ロシアの南下してきている、国境を確定せねば」という幕府の大義のもとで動き、蝦夷地を領土化し、アイヌを日本国民とすることが正しいことだ信じて疑わなかった。

(武四郎の人格を責めるわけではないです)。

 

松浦武四郎を読んでいると、和人によるアイヌの強制労働、女性への性的暴行のオンパレード。

ある女性は夫を別の土地に移され妾にされた。

若い男も女もいなくなり崩壊したコタン。

松前藩はアイヌ民族を社会ごと使い潰し続ける持続不可能なシステム。

血涙で出来た道を通って開拓者、たどり着いたコタン。

       ※

別に開拓者の子孫の方をどうこう言うつもりはなくて、

ただ、北海道「開拓150年」の苦労のその前の時代から、

何百年におよぶアイヌ民族の 「犠牲」によって、開拓の基礎が出来ているんだなあ、という。

そのことに自分も無自覚だったなあ、という感想です。

2019年7月 7日 (日)

余市から眺める

「アイヌの歴史」を語るとき、

それはいろんな地域の人々を一緒に匿名の人々の集団で語ることになり、

語られるアイヌの中にも中央と周縁が生まれる。

これまで、中央は研究者や記録の多い日高や胆振で、余市アイヌは周縁だっただろう。

今回の連載は余市のアイヌ違星北斗の個人史であるが、同時に違星北斗の個人の目を通して、

周縁からアイヌの歴史を眺めることができるのではないかと思っている。

余市から、東京から。

周縁から眺める。

あれ、どっかで聞いたことがあるけど。

2019年7月 6日 (土)

違星北斗展

「違星北斗没後90年」の今年か、生誕120年の再来年、「違星北斗と余市のアイヌ文化」展とかできませんかね。余市で。

2019年7月 2日 (火)

『違星北斗の生涯 第6回』更新されました!

大変お待たせしました。更新されました!
違星北斗の祖先は「ゴールデンカムイ」のアシリパさんの生まれたオタルナイの近くザンザラケップから、シャチの神の怒りに触れ、小舟で海を漂流。たどり着いたコタンがイヨチコタン(余市)でした。
間違いや突っ込みどころなど多数あるかも知れませんが、よろしくご鞭撻ください!
「今ぞアイヌのこの声を聞け――違星北斗の生涯」(第6回) - 寿郎社のweb連載

2019年6月30日 (日)

余市姫

 

小学館 少年少女世界の名作1に所収の「余市姫」。

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当たり前だけど、難解な金田一京助訳と比べて非常に読みやすい。

「余市姫」に描かれる余市村とチャシの描写は、

実際に大きな城があったという余市コタンに近い気がする。

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余市姫はポンヤウンペの許嫁。

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巨鳥に乗るポンヤウンペとその一行。

巨鳥伝説は実際に余市に残っており、

夜襲された際に、襲撃者を全滅させたという。

また、北方の勇者として山丹彦が盟友的な存在として登場するが、

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余市アイヌの中には実際に、北方から襲撃して敗れ、土着したレプンクルの一族がいたと伝わる。

 

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余市姫は神の如く気高い美少女。

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だけど袖の中に「二又の鉾」を隠していて、

それで言い寄る男をバラバラの骨にする。

「めったに逃すことがない私が打ち損じるなんて」

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口からシュウシュウ息を吐き敵を鳥に変えてしまいながら、

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「私は平凡な少女だけど、主人公を逃したことだけは残念だわ」

と事も無げに寝る。

戦闘力も「萌え要素」も超高い。

 

余市コタンの「縦軸」

違星北斗について書かれた文章を読むと、違和感を感じることが多い。
それは、彼のバックボーンとなる余市のアイヌ社会のことが、あまりにも情報が少ないからだと思った。
様々な資料を付き合わせて各時代の余市コタンを再現できないかと考え、なんとかこういう表にまとめてみた。
これまで、知られていなかった、余市のアイヌ社会のコミュニティの存在が、可視化できる表になったかな、と思う。
余市の乙名(指導者)家系の流れを、伝承から近代まで。
またまだ空白があり、ひとつは1700年代。それから「コシャマインの戦い」前後は、記録がみつからない。
個人名、顔がない。
だけど、記録がないということは、記録し管理しようとする「和人」が周りにいない、彼らにとってはいわば幸せな時代であったかもしれない。
余市の図書館や道立図書館に行けば、もう少し埋まるだろうと思うが、今年は行けないっぽい。
何より自分自身で収穫だったのは、余市アイヌの歴史貫く、「始め」から「近代」まで15代続いた惣乙名家系、ユカラに描かれた余市の巨城に住んだ一族、八郎左衛門やノタラップの家系のことを、意識することができたこと。
動かない確かな縦軸が得られた気がする。

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