2020年5月29日 (金)

ヨイチの乙名の流れ

【江戸時代の余市アイヌの乙名】  

………………「シャクシャインの戦い」………………………………

1669(寛文9)

(総大将)八郎左衛門(八郎右衛門、ヤエモン)▲ 

(大将)ケフラケ(チクラケ、ケクラケ)● 

(大将)ウヘレチ 

(大将)サノカヘイン 

(モイレ大将)キイヤタ▲

※以下▲は八郎左衛門の家系、●はケフラケの家系を指す。

 

………………デタラハコエ・ニヨンシクル時代………………

上ヨイチ 惣乙名/脇乙名 // 下ヨイチ 惣乙名/脇乙名)

 

1786(天明6)

         センタイ●

1792(寛政4)

デタラハコエ / ベンタイ● // ニヨンシクル 

 

………………イコンヌル・サケシュス 時代………………

1807(文化 4) 

イコンヌル / センダイ● // サケシン / イトムコツ

1817(文化14) 

イコンヌル / センダイ● // サケシュス / イトムコツ

 

………………イコンノミ・サケシュス 時代………………

1822(文政 5) 

イコンノミ / カシタヰ   // サケシュシ / イナヲリ

1828(文政11) 

イコンノミ / イタキサン■ // サケシュマス / イナヲリ

 

……………… トレンシュス・サケシュス 時代 ………………

 

1830(天保1) 

トレンシュス / イタキサン■ // サケシュス / イナヲリ

 

……………… イコンノミ・サケシュス 時代II ………………


1838(天保 9) 

イコンノミ / イタキサン■ // サケシュツ / イナヲリ

※30年以上、下ヨイチの惣乙名を務めたサケシュスが退く。

……………… ヲシトンコツ 時代 ………………

※上ヨイチ・下ヨイチそれぞれに惣乙名と脇乙名がいる時代は終わる。

惣乙名 / 脇乙名 / 脇乙名)

 

1840(天保11) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / 子トハケ

1844(天保14) 

ヲシトンコツ▲  /       / イコンリキ★

1852(嘉永 5) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンレキ★

1855(安政 2) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★

1857(安政 4) 

ヲシソンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★

1859(安政 6)

         / イタキサン■ / イコンリキ★

1862(文久 2)

         / イタキサン■ / イコンリキ★

1867(慶応3) 

ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イネアンヘ

 

……………… ヨイチ最後の乙名………………

1870(明治3) 

留左衛門▲   / イコンリキ★ / イネアンヘ

 

※★は違星家の祖 

■は中里徳太郎・篤治、および甚作(北斗の父)の祖

※名前には表記のゆれがある。

 

ザンザラケップとは


違星北斗の遠祖コタンバイガシ(村はずれの翁)という人は、もともと小樽、銭函周辺のザンザラケップというところにいた。

この違星家の口伝に残る地名「ザンザラケップ」とはどこか。

昔、この村の人々が、蔵から宝物を出して虫干しをしているときに、村の愚かな若者が「やーい、レブンカムイ(沖の神様、シャチ)、こんなにたくさんの宝物、お前はもってないだろー!うらやましいだろ!」と自慢してしまい、レブンカムイの怒りを買って、ザンザラケップの背後の崖がゴロゴロと崩れて、村は全滅してしまった。

ただ1人生き残ったのが違星北斗の祖先で、彼は「たった一人のバカのために村ごと全滅そんなことをするとはなんという了見の狭いカムイだ。もうどうにでもなれ!」

と、櫂も持たずに小舟で海に出た。

自暴自棄になった彼は、運命を潮まかせにして、何日も海上を漂流し、やがて余市アイヌの人々に発見された。彼は、舟の上から余市の人々にイナウを振って挨拶したという。

 やがて、彼は余市の人となり、村長の娘と結婚して「コタンバイガシ」と名乗ったという。

 その、違星家のルーツのザンザラケップ、たまたま小樽のミュージシャンの浜田隆史さんに「どこだかご存じですか」とお聞きしたところ、ここではないかと教えていただいた。

 ・「サンタラツケ」が松浦武四郎の『西蝦夷日誌』(『新版蝦夷日誌(下)』(吉田常吉編/時事通信社)の「小樽内と石狩の領境」近辺の地名としてある

ということ、さらに

 ・「サンダロッキヒ」という地名が「永田地名解」(「北海道蝦夷地地名解」永田方正)にあるとのこと。

 すごい! ありがとうございます!
 近くに漢字で

「三樽別」

 となっている地名(川の名)が残っていますね。
 カタカナの字面だと類似に気づきにくいですが、

 「ザンザラケップ」ZanZaRaKeP
 「サンタラッケ」 SanTaRaKKe
 「サンダロッキヒ」SanDaRoKKiHi

 と適当にローマ字にしてみると、発音は非常に似ていますね。

 意味は「(山から浜へ)出る・でこぼこしている・川」
 あるいは「なわでシカを縛り荷降ろしするところ」

 ということなのですが、後者だと、村の背後は急峻な崖で、海の神の怒りによって崩れてしまった、というのもわかる気がします。

 銭函周辺には「星見」「星置」みたない「星」地名もあって、もちろん、由来的には違星と関係ないんですが、興味深いですね。

 違星北斗の祖先には、他にも海の神に呪われる伝説(漁船上で神がかり、千里眼能力に目覚めたが、それを言いふらしてしまったため、呪いで子孫に恵まれなくなった)があって、
やはり海の民だから、海の神との関係性が強いのだなと思いました。

2020年5月28日 (木)

FGO/シトナイがアイヌ伝説由来ではない問題について


「Fate /Ground Order」(FGO)というゲームがあります。
ご存じない方にすごく大雑把に説明しますと、古今東西の英雄たちが出てきて、聖杯をめぐって戦うゲームなのですが、
その中にシトナイというキャラクターが出てきます。設定上「アイヌ伝説に登場する女性英雄」となっています。

ところが、このキャラ、実はアイヌの伝説ではなくて、
その実は、大正時代の和人による「創作伝説」なんですね。
さらに元は、中国の説話を換骨奪胎(丸パクリ)したものである、ということがわかっています。

(「シトナイ」の名は、幕末・明治期の小樽クッタルシの乙名の名前。男性名ですが、実在した人物ですが、もちろん名前以外関係ありません)。

つまり、アイヌの神話ではない。

ただし、その伝説は、小樽の白龍神社の縁起と関連付けられており、アイヌの伝説由来ではないが、比較的新しい和人による「北海道の昔話」とはいえなくもない。

しかし、現状、多くの人がこのシトナイを「アイヌの神話・伝説に登場する女神・女傑」だと思っており、
すでに「虚偽」が事実として流布しているので、けっこう看過すべきではないとも思います。

ヤオさん、という方が、そのあたりをずっと追求されています。

個人的には、FGOの公式の設定から「アイヌの伝説が出典である」という間違いを、外してもらえば、アイヌ文化からインスパイアされたキャラということで、まあ問題ないとは思うのですが…(まあ、どうなんでしょう)。

FGOには、他にもセリフの剽窃(コピペ)なども見つかっているようです。

巨大なコンテンツであるだけに、多くの人が関わっており、関わる人の「教養」や「リテラシー」にも差があるでしょう。

また、少数民族文化の簒奪や、信仰の対象になっているもの、
あるいは歴史上の人物であるけれども子孫がまだいらっしゃる近代の人物などの、安易で無自覚な「キャラ化」が進んでいく現状は、ちょっと怖いことだと思います。

ただ、作り手側に、その感覚は、説明してもわからない人はいる。
「歴史上の人物だから、パブリックなものだからいいじゃないか」と。
そこは、その人のそれまで経験、見てきたものにもよる価値観なんだと思います。いいとか悪いとかいうことではなく、その人が何を重んじるかという。

ネットで拾った人物、信仰、文化の情報を読んで、「こいつ面白いじゃん」「キャラに使えるじゃん」と思っても、その文化を実際につないできた人々がいるわけですよね。
でもそのリアルがわからないと、それで面白く遊べてしまう。
たとえば、古事記や日本書紀にも載っていない、地方の小さな神社にある縁起書の看板にしかない神様の伝説を誰かがネットに上げる。
聞いたことのない面白い神様だといって、漫画やゲームのネタにする。
でも、その地域の素朴な信仰をつないできた人々がいて、今も毎日手を合わせているご老人がいたりするとして、その人はまさかその信仰の対象がキャラかなんかにされて、薄い本にされて萌えまくられているなんて知らない。
もしそんな状況があるとすれば、それはちょっとグロテスクじゃないでしょうか。

 もちろん、アレキサンダー大王とか、アーサー王とか、メジャーな神様や英雄とかなら、いくらでもネタにしてもいいと思います。多少イジられようが、多くの人が元ネタがこういうものだというのが定まっており、小揺るぎもしないほど、文化として盤石な原典であれば。
 でも、言い方が悪かもしれませんが「吹けば飛ぶような」、少数者の文化だと、巨大なマスメディアで虚像を流布されてしまうと、そもそも原典が知られていない存在の場合は、本当にその名前は虚像に乗っ取られてしまうわけですよね。(ネット上でいえば、「サジェスト汚染」というやつもそうです)。

たとえば、僕に寄せて考えると、「文豪なんちゃら」というゲームのキャラに「違星北斗」が登場し、ヒグマに乗ってやってきて

「待たせたね。僕の名前は違星北斗。
北の大地とともに育った自然の子さ! 
カムイの怒りを知るがいい! 
アナザー・スター・ノーザン・アタック!」

みたいなことをやられると、ちょっと待て、となるわけですよね。
さらに、それをユーザーの手で、ネットや同人誌で「あられもないこと」までさせられてしまう。(ユーザーの手による二次創作は、メーカーとしては関知しないかもしれないですが、そうなっちゃう現状です)。

もちろん、北斗のご遺族の方もいらっしゃるわけで、その人が見てどう思うかということも含めて。

で、シトナイ問題もそうなんです。
元々シトナイは幕末から明治の、小樽のクッタルシコタンの乙名(指導者)の名だったりするんですね。我々が知らないだけで、その子孫の方が現在もいらっしゃる可能性も高いわけです。
(ご本人が知っているかどうかは別として)。

ちなみにこの本物の「シトナイ」(小樽クッタルシの乙名)の方は、どうも違星北斗の祖父万次郎の「開拓史学校」の同級生のお兄さんらしい。また、シトナイ伝説を中国の説話から丸パクリした青木純二という人は、北斗の昔話もパクっているかも知れない疑惑があって違星北斗の研究者としても、いろいろ看過できない。

そのへんのこと、wikipedia に「シトナイ」ページを作るなどして、ちょっと整理してみたいと思います。

2020年5月23日 (土)

ライティングをお手伝いしていた本が出ました。


今日発売されました。
ライティングをお手伝いさせていただきました。

Twitterとかでタイトルで検索するとヘイトばかりがひっかかるのが難点ですが‥‥
アイヌの真実 (ベスト新書 609 歴史人新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4584126097/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_3ah0EbHCF1P8V

2019年12月31日 (火)

今年

今年の後半は生活の改善と労働に明け暮れました。
来年は「違星北斗の生涯」の更新を頑張ります。

 

「もっと調べねば書けない」ではなく、今書けることを書くのが肝要だとは思うようになりました。
漫画の新連載も始まるし、2020年は良い年にしたいものです。

2019年12月 1日 (日)

違星北斗がカードに

違星北斗がカードになったらしい!
マジか。余市水産博物館に行けばもらえるらしいよ! (行けない)

 

北海道の歴史・文化を辿る「先人カードめぐり」 | 総合政策部総務課

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sum/senjin/index.htm

2019年8月14日 (水)

われは北斗の星にして

「われは北斗の星にして
千年ゆるがぬものなるを
君がこころの天つ日や
あしたはひがし暮は西」

 

中国の女性詩人・子夜の漢詩
儂作北斗星
千年無転移
歓行白白心
朝東暮還西
を佐藤春夫が訳したものだが、所収の「車塵集」は刊行が1929年なので読んでない筈だが、
まるで違星北斗のことみたいだな。

2019年7月22日 (月)

東京イチャルパ

芝公園。東京イチャルパに出席しました。
明治5年、ここ増上寺の開拓史仮学校にアイヌが連れて来られ、「強制修学」させられ、この地で5人のアイヌがお亡くなりになりました。
その方の慰霊祭です。
違星北斗の祖父・万次郎も留学生の中の一人でした。
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一人で巡礼。万次郎たちアイヌ「留学生」がいたのはこのへんかな。芝大神宮の北側。
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清光院のお隣、芝大神宮(芝明神)。
万次郎たちも来たのかもしれない。
9月のお祭りにも来たかもしれない。
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2019年7月16日 (火)

#永遠のニシパ

#永遠のニシパ を見て松浦武四郎の「近世蝦夷人物誌」を読みたいと思った方、こちらをどうぞ。松前藩と和人商人の悪業がたくさん記されています。

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もちろん、アイヌ民族への為政者による抑圧というのは江戸期の松前藩の強制労働・搾取・人口減少だけではなく、明治以降は政府による土地掠奪、同化政策のターンがあるわけで。
そのへんは終盤の武四郎の叫びで表されているわけではありますね。

あと、漁場の経営は松前藩から商人に請負われていた。

外部委託された「企業」の経営者によって現場の実状は違っていた。
例えばアイヌの人口が比較的多く、和人との付き合いが古い余市の場合は、強制連行の話は聞かれない。

価な労働力として酷使されていたことは変わりがないが、余市では、「自分稼ぎ」もできたし、イキシュという団体抗議(ストライキ)もあった。

松浦武四郎をヒーローとして描くのは危険で「松前と商人(場所請負人、漁場支配人)たちがアイヌを虐げる悪い和人、武四郎と幕府はそれを救った良い和人」という描かれ方しちゃう可能性がある。
我々和人にとっては松前藩側に罪を被せられ、自分は武四郎側に立てて都合が良いから。

でも、その後、幕府は松前から蝦夷地の支配権を取り上げ、晴れて幕府のお役人となった武四郎も「ロシアの南下してきている、国境を確定せねば」という幕府の大義のもとで動き、蝦夷地を領土化し、アイヌを日本国民とすることが正しいことだ信じて疑わなかった。

(武四郎の人格を責めるわけではないです)。

 

松浦武四郎を読んでいると、和人によるアイヌの強制労働、女性への性的暴行のオンパレード。

ある女性は夫を別の土地に移され妾にされた。

若い男も女もいなくなり崩壊したコタン。

松前藩はアイヌ民族を社会ごと使い潰し続ける持続不可能なシステム。

血涙で出来た道を通って開拓者、たどり着いたコタン。

       ※

別に開拓者の子孫の方をどうこう言うつもりはなくて、

ただ、北海道「開拓150年」の苦労のその前の時代から、

何百年におよぶアイヌ民族の 「犠牲」によって、開拓の基礎が出来ているんだなあ、という。

そのことに自分も無自覚だったなあ、という感想です。

2019年7月 7日 (日)

余市から眺める

「アイヌの歴史」を語るとき、

それはいろんな地域の人々を一緒に匿名の人々の集団で語ることになり、

語られるアイヌの中にも中央と周縁が生まれる。

これまで、中央は研究者や記録の多い日高や胆振で、余市アイヌは周縁だっただろう。

今回の連載は余市のアイヌ違星北斗の個人史であるが、同時に違星北斗の個人の目を通して、

周縁からアイヌの歴史を眺めることができるのではないかと思っている。

余市から、東京から。

周縁から眺める。

あれ、どっかで聞いたことがあるけど。

2019年7月 6日 (土)

違星北斗展

「違星北斗没後90年」の今年か、生誕120年の再来年、「違星北斗と余市のアイヌ文化」展とかできませんかね。余市で。

2019年7月 2日 (火)

『違星北斗の生涯 第6回』更新されました!

大変お待たせしました。更新されました!
違星北斗の祖先は「ゴールデンカムイ」のアシリパさんの生まれたオタルナイの近くザンザラケップから、シャチの神の怒りに触れ、小舟で海を漂流。たどり着いたコタンがイヨチコタン(余市)でした。
間違いや突っ込みどころなど多数あるかも知れませんが、よろしくご鞭撻ください!
「今ぞアイヌのこの声を聞け――違星北斗の生涯」(第6回) - 寿郎社のweb連載

2019年6月30日 (日)

余市コタンの「縦軸」

違星北斗について書かれた文章を読むと、違和感を感じることが多い。
それは、彼のバックボーンとなる余市のアイヌ社会のことが、あまりにも情報が少ないからだと思った。
様々な資料を付き合わせて各時代の余市コタンを再現できないかと考え、なんとかこういう表にまとめてみた。
これまで、知られていなかった、余市のアイヌ社会のコミュニティの存在が、可視化できる表になったかな、と思う。
余市の乙名(指導者)家系の流れを、伝承から近代まで。
またまだ空白があり、ひとつは1700年代。それから「コシャマインの戦い」前後は、記録がみつからない。
個人名、顔がない。
だけど、記録がないということは、記録し管理しようとする「和人」が周りにいない、彼らにとってはいわば幸せな時代であったかもしれない。
余市の図書館や道立図書館に行けば、もう少し埋まるだろうと思うが、今年は行けないっぽい。
何より自分自身で収穫だったのは、余市アイヌの歴史貫く、「始め」から「近代」まで15代続いた惣乙名家系、ユカラに描かれた余市の巨城に住んだ一族、八郎左衛門やノタラップの家系のことを、意識することができたこと。
動かない確かな縦軸が得られた気がする。

2019年6月 5日 (水)

違星北斗のフランス語訳の本

違星北斗のフランス語訳が出たと教えていただきました。って、北斗の顔ってこんなんだっけ?

 

https://www.amazon.fr/chant-l%C3%A9toile-nord-Carnet-Iboshi/dp/B07KLFJD4Z?fbclid=IwAR2aMn7AdT-lTdo3OHF6WXvay_TfFcQ8aqvLnB2W9t3Bb-KBgJYg8ft1oJQ

2019年4月20日 (土)

「今ぞアイヌのこの声を聞け――違星北斗の生涯」(第5回)

更新されました。
違星北斗の父、甚作の兄が和人の集団暴行で殺された話、甚作が素手でヒグマと戦ったお話、余市の最後のイオマンテなどのお話です。

「今ぞアイヌのこの声を聞け――違星北斗の生涯」(第5回) - 寿郎社のweb連載

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