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2004年10月28日 (木)

吉田ハナ

 早川昇著「アイヌの民俗」に、沙流郡平取町荷菜の清川戌七翁(聖公会伝道師、昭和33年8月10日没)の談話「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」が掲載されています。
 

 その中で、筆者、早川氏は「昭和二十七年の夏も末の頃」、「まるで自分の叔母のように思わせて頂いている老刀自、吉田花氏のお宅で、四方山話」をし、そこで一夜を明かしたとあります。
 これは平取時代北斗とともにあった、吉田ハナ氏のことだと思われます。筆者早川氏はこの吉田花氏に紹介され、バチラーの助手をしていた清川翁を紹介されたのです。
 吉田花氏については、清川翁が語るところによれば、「わしたちの古い古い同信。心友とも盟友とも申し上げたくなるお方」で「そのころの事は、私たち以外では、吉田様が生き辞書でしょう。明治三十一年に平取聖公会教会が現位置に移転・完成されますと、このお方が平取キリスト教婦人会長として選ばれ」たといい、普段札幌にいたジョン・バチラーが平取に来ると、歓喜で顔つきが変わったという。平取教会に牧師のいなかった時代、吉田花は「食器持参で、教会の夜をお守り下さった」。
 また、「吉田様へのも一つ大きな感謝は、ニシパ(管理人注:旦那の意、バチラーのこと)が後藤静香氏のご援助で、平取にお設けでした『平取幼稚園』(『バチラー幼稚園』)」について、「ともかくも大正十九年(管理人注:九年か十年の誤りか)九月から昭和三年ごろまでは続けれはしたものの」諸事情により「解散を余儀なくしたのを、吉田様は大変遺憾」に思い、バチラーの死後、昭和十九年に金策を講じて、昭和二十四年に『バチラー保育園』の開設に尽力したということです。

 私は吉田ハナは、北斗と同い年ぐらいなのかなあと、根拠もなく思いこんでいたのですが、どうやらかなり年上のようです。18歳年上のバチラー八重子よりもさらに年上みたいですね。清川翁は、この八重子と吉田花の仲を「この花さんとお八重さんとぐらい仲良しの人って、先ずあるものではありませんよ」といっています。
 
 北斗の吉田宛ハガキなどを見て、ひょっとして、堅物(?)の北斗にもロマンスが? などと想像したのですが、この年齢差ではありえませんね。
 なにせ平取キリスト教婦人会長に就任したのが明治三十一年。北斗は生まれていません。
 母を早くに亡くした北斗にとっては「平取の母」のような人だったのかもしれません。

※吉田ハナの年齢については、北斗と同世代というような記録もあり、今のところ、はっきりしない。(05/10/16)

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