北斗と宗教
北斗の人脈を彩る人々の、多くがクリスチャンなのですが、北斗はクリスチャンではありません。
ジョン・バチラー、バチラー八重子・向井山雄、平取教会の吉田ハナ、岡村国夫神父。多大な影響を受けた知里幸恵。自働道話の西川光次郎も希望社の後藤静香もかつてはクリスチャンでした。
幼なじみ中里凸天、同志・辺泥和郎もそうです。
初期のアイヌ運動を牽引したのが、キリスト教の教えを受けたアイヌが多く、それらのアイヌは、教会の援助によって高い水準の教育が受けられたことが原因だと考えられます。
もうひとつの先覚的なアイヌの流れに「修養団体」の影響を受けた人々があって、北斗の場合はこれにあたるのでしょうが、西川にしても後藤にしてもクリスチャンではありますので、やはりキリスト教の影響は大きいのだと思います。
北斗はなぜ、キリスト教徒たちにこれだけ近づきながら、彼らの影響を受けてクリスチャンにならなかったのか。
平取教会では、
ヤヱ・バチラー氏のアイヌ語交りの伝道ぶり、その講話の様子は神の様に尊かった。信仰の違ふ私も此の時だけは平素の主義を離れて祈りを捧げた。
とあり、「信仰の違ふ」北斗は、「平素の主義」に反して祈ります。
この「信仰」とは何か。「主義」とは何か。
違星家には「イナホ」(イナウ)や熊の頭骨を飾る御幣棚があったりするので、アイヌの「信仰」かとも思うかもしれませんが、北斗はそれらを昔の名残り、遺物だと言っています。そういう信仰を心の中に秘めつつも、現実に和人の多い地域で暮らす、違星家をはじめとする当時のアイヌの人々は、ふつうに「仏教徒」であることや、「神社の氏子」であることも、コミュニティの一員として受け入れていたのでしょう。
ですので、私は、ここでいう北斗の「信仰」は、ふつうに「仏教」ではないか、と思うのです。
北斗は「お寺」の除夜の鐘をついたりしていますし、「トモヨ」なる人物(妹?親戚?)の法要について「今日はトモヨの一七日だ」と言っています。これは「ひとなぬか」=「初七日」で、仏教の言葉です。また白老で友人の豊年健治の墓に参ったときも線香を手向けています。ついでにいえば、祖父万次郎が東京留学で学んだのは芝増上寺です。
しかし、北斗はなぜクリスチャンにあれほどまでに接近し、影響をうけながらも、キリスト教自体にはあくまでも距離をとり続けたのかがわかりません。
キリスト教に影響をうけることを阻む何かがあったのか。あるいは、北斗を改宗させるだけの何かが、キリスト教になかったのか。もしくはそんなことに気をもんでいる暇がなかっただけかもしれません。
結局北斗は最後まで、キリスト教に心を許すことができませんでした。
いかにして「我世に勝てり」と叫びたる
キリストの如安きに居らむ
どうしたら、死を臨んで「私は世に勝った」と叫んだキリストのように、心安らかでいられるのでしょう。
この辞世の一句が、それを如実に表しているのだと思います。
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