こんにちは
BBSのporonupさんの書き込みより
「掲示板の投稿を読んでの感想や気づいたことを書きます。
石田英一郎の本にアイヌの伝説のことが出てくるとは知りませんでした。
こうやって知らないことを教えていただくのはありがたいことです。
水汲みを嫌がった少女(または少年)が罰があたって月に閉じこめられたという伝説は北海道各地に残っていて余市の別の人から聞き取った話が『北海道の文化』という北海道文化協会の機関紙に掲載されたことがあります。
(詳細が必要でしたら言ってください。)
その「余市アイヌ違星氏」が誰なのかは興味あります。『桃太郎の母』は初版が1956年ですから、その本のための調査はいつ頃行われたか調べる必要がありますね。私は、北斗じゃなくて別の方である可能性が高いような気がします。彼の兄の梅太郎はアイヌ文化についての知識をもっていたそうで河野広道の調査に協力していたので可能性あるのではないでしょうか。
能登酉雄は、両親が東京の増上寺のアイヌ教育所にいた人で、彼も両親が東京にいる時に生まれた人です。
違星北斗の祖父もその学校にいたのでそういうつながりで付き合いがあったのでしょう。
彼についての詳しい聞き取りを高倉新一郎が発表してます。違星北斗についての言及もあったかもしれませんが今手元にないので確認できません。
私も以前から余市に行ってみたいと思っているのですがまだ一度も果たせていません。
私にとっても憧れの地です。」
poronup様、たいへん貴重な情報をありがとうございます。
能登酉雄氏については、この石田英一郎の「月と不死」(『桃太郎の母』所収)の解説に出てくる記述と、『コタン』所収の西川光次郎宛書簡の二点しか確認していなかったので、大変勉強になりました。祖父万次郎の東京時代の「同窓」なんですね。ありがとうございました。
石田の「月と不死」の解説をよく読んでみました。要点をまとめてみますと、
(1)ジョン・バチラーの「アイヌとその習俗」には、「月のなかの人」という項があり、そこには水汲みを嫌がった若者が、月に上げられた話。
(2)金田一京助収集の『ユーカラ』の「サンタトリパイナ」にも同様の記述。
(3)名取武光の「月の若水」(『北の会報』第一号、昭和18年1月)に以下のような記述がある。
まず、日高ペナコリ村のアイヌ山下媼の談(月中童子説話)を引き、その他に二つの同種の伝承(茨戸アイヌの能登酉雄氏の談と石狩アイヌ内浦媼の談)を載せている。
さらに次に余市の違星氏と、オタスのオロッコ族五郎(山本注:北川五郎氏でしょうか?)氏の同種の説話を載せている。
つまり、この石田英一郎「月と不死」の能登氏と違星氏の談話というのは、名取武光の「月の若水」(ややこしいですが)からの引用なのです。この、名取武光氏の「月の若水」の載った『北の会報』が、昭和18年発行ですので、「違星氏」の話は、それより前に採集されたものだと思います。
北斗の没年昭和4年に名取武光が研究を始めていたかどうかは微妙ですね。(名取については調べてみるつもりです)、やはり北斗の兄梅太郎という線が濃厚だと思います。
あと、梅太郎が、河野広道の調査に協力していたのですか。それに、高倉新一郎にそんな記述があるのですね。河野にしても高倉にしても、真志保の周辺の人として、一応名前は知っているのですが、本格的に調べたことがありませんので、まったく、知識がありません。能登酉雄氏にしても、最近気づいたぐらいです。
もしかしたら、そのあたりの本を読めば答えが出ることがたくさんあるかもしれませんね。
もっと勉強したいと思います。
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