北斗と手紙
現代人である私たちの感覚とはだいぶちがうと思うのですが、それでも北斗はかなり筆まめだったと思います。
西川光次郎への手紙を見て分かるとおり、一月か二月に一度は、手紙を書いて送っています。特に「筆まめ」ぶりは、東京時代の後、帰道後において顕著かもしれません。西川光次郎や後藤静香などの思想上の「師」にあたるような人たちには、挨拶を欠かさず、近況の報告を事細かに送っていたようですし、金田一京介にも便りを送っていたように見受けられます。
そして、それとは別に、新聞や雑誌への短歌や文章の投稿も行なっていますから、けっこうな通信費だったのかもしれません。
それだけに、生活が苦しくなり、手紙が満足に遅れなくなると、北斗は苦悩します。
葉書きさへ買ふ金なくて本意ならず ご無沙汰をする俺の貧しさ(『北斗帖』)
また、病床にあっても北斗は手紙を欠かしません。死の間際にも、俳句の師である古田健二に代筆を頼んでいます。
それだけに、末期(死の一週間前)に詠んだこの一首は深く心に迫ります。
何か知ら嬉しいたより来る様だ/我が家めざして配達が来る
結核に冒され、衰弱した北斗の耳に、遠くから聞こえてくる郵便配達夫の足音。
それは、なににもかえがたい「福音」(ちょっとちがうけれど)だったのかもしれません。
*本サイト「キーワード歌集『手紙』」を参照。
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