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2005年1月29日 (土)

大発見?  

投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)01時51分21秒

 後藤静香遺稿集の年表によれば、後藤静香の東北・北海道巡講は大正15年の8月となっているんですが、これ、北斗の日記では昭和2年です。一年ずれています。

 でも、日付と場所は一致するんです。

 以下、比較です。

(後藤静香年表T15年)・・・・(違星北斗日記S2年)

 8月26日(記述なし)・・・札幌バチラー先生宅にて一泊。後藤先生本日来札

   27日 札幌・・・・・・午後、後藤先生バチラー先生方へ御来宅。金をどうするかと訊かれる。

   28日 小樽・・・・・・雨、時々晴 小樽で後藤先生の御講演を聴く。

   29日 小樽・・・・・・(記述なし)

   30日 夕張・・・・・・(記述なし)

   31日「アイヌ部落」・・午後十一時卅二分上り急行で後藤先生通過になる筈。中里君と啓氏と三人で停車場に行く支度をする。併し先生は居られなかった。

 

 とあり、まったく一致します。

 ということは・・・・どういうことか。

 どちらかが年号を間違えているわけでしょうが、どっちでしょう。

 後藤静香の年表? それもありえるでしょう。しかし、この年表は希望社という組織の記録でもあるので、ある程度信頼性はあると思います。個人の日記である北斗の日記の方が間違っている可能性が、高い。

 もし北斗の方が間違っているのであれば、ものすごいダメージです。

 もう一度、日記の日付の信頼性から考え直さなければならない。

 しかし、私自身この現在の年表にスッキリしないものを感じていたのも事実です。

 どうも、北斗の動きが不自然です。バチラー幼稚園にいた昭和2年の夏の日記が、どうも腑に落ちないというか、他の記録と違和感があるというか。

 もし・・・。

 日記の昭和2年が、実は大正15年の日記だったとしたら? 「コタン」編集の段階で間違ったという可能性は考えられないでしょうか。

 大正15年の8月といえば、まだ東京から戻ってきてさほど時間がたっていません。しかし西川への手紙で、大正7月7日に幌別についたという記述と、日記の始まりが「昭和2年」7月11日であるという記述は妙に胸騒ぎを覚えます。

 そういえば、北斗の筆致が妙に初々しく、感動に満ちている気がする。バチラー八重子の姿に感動し、知里幸恵の家を初めて知った、という。この感激は、どこかで見た気がする。北斗は、帰道後、幌別についてから大正15年7月25日に確かに沙流川の河畔で短歌を詠んでいるんですが、この感激具合が、ちょうどそれっぽい気がします。

 そう考え出すと止まりません。

 もし、日記の昭和二年の夏が、本当は大正15年の夏の日記だったら?

 そしたら、自分の中にあった違和感はすべてクリアになるような気がする。

 たとえば、あの不朽の名文といわれる「アイヌの姿」を書いたのは昭和2年7月2日。同人誌「コタン」の発行は昭和2年8月10日。発行は余市の中里凸天とであり、平取にいて幼稚園の手伝いをしていて出来る仕事ではないでしょう。とても重要な、すごみのある仕事をしている。昭和二年の夏には、すでに北斗の思想は固まっている。各地の同志と連絡を取り合い、活動をしている、と見るべきでしょう。

 やはり、バチラー幼稚園云々は、帰道直後の日記ではないか、という気がします。 

  

 そして、極めつけ。

 違星北斗の日記にはこうあります。

「(昭和二年)七月十一日 日曜日 晴天  平取にて

 曜日計算ソフトで調べてみると、「昭和2年」の7月11日は月曜日、大正15年の7月11日が日曜と出ます。やっぱり、という感じです。

 念のため複数のソフトで調べましたが、同じ結果です。この後の曜日も、大正15年の方に一致します。

 これは・・・もうちょっと検証が必要だとは思うのですが、ひょっとしたらひょっとしますね。

『コタン』所収の「日記」の、昭和2年の日記(の少なくとも一部)は、大正15年の日記である可能性が高い、と言えるんじゃないでしょうか。

  

 この仮定が本当だとしたら、いろんな不自然さが氷解すると思います。

 

 どうでしょうか。

 おそらく間違いないと思います。


というわけで(続き)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)01時45分12秒

 北斗は大正15年7月7日に北海道に帰り、その後すぐ、11日に平取でバチラー八重子の姿に感動し、そこでバチラー幼稚園と後藤静香のお金の問題に巻き込まれる。秋に余市に一時的に帰るが、その後平取に戻り、大正天皇の崩御を平取で聞く。その後昭和2年3月に兄の子の死とともに余市に帰り、そこからは余市を活動の中心としはじめます。研究、春から病を得ますが、夏には何とか治り、思想が完成して同人誌「コタン」や「アイヌの姿」ができるのが夏。バチラー八重子の影響を受けた短歌が、雑誌に載り始めるのが昭和2年の秋です。そして行商の旅と喀血と闘病。

 帰道後の北斗の動きは、こういう流れでしょう。

 ああ、スッキリした。まったく。

 曜日が違うよって、誰か気づかなかったのでしょうか。

(というか、皆さん、特にporonupさんとか、ご存じだったりして・・・)


日記は  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)02時27分52秒

 さて、『コタン』の昭和2年の日記が、じつは大正15年のものだったと仮定してみると、他の年の日記も気になります。

 曜日を調べて見ると、昭和2年はすべて大正15年の曜日と一致する。昭和3年・4年は正しい。

 ただし、昭和3年4月25日は月曜となっているが水曜が正しい。もしくは25でなくて23日月曜日の間違いかもしれない。

 また、昭和3年8月8日は火曜となっているが、水曜が正しい。もしくは8月7日火曜が正しい。

 いずれにせよ、本来あるはずの昭和2年の日記が欠落していることになります。

 古田謙二が希望社に送った手紙には、遺稿整理の際参照した文書の中に、日記帳数冊と、希望社発行の一年日記「心の日記」の昭和2・3・4年版があるので、どうもこの古田の遺稿整理に問題がありそうです。

 この古田謙二が希望社に送った遺稿とは、古田がボストンバッグに入った北斗の遺稿を原稿用紙に書き写したものであり、遺稿そのものは余市においてあったのでしょう。もしかしたら、違星北斗の遺稿というのは、案外残ってたりするのかもしれませんね。


ただし  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)08時14分16秒

「昭和2年」12月26日(曜日は書いていない)は、昭和2年で正しい気がします。

兄が感冒で寝ている、との記述があるので、北斗は余市にいるということです。

 もし、大正15年なら、前日に12月25日に大正天皇の崩御があったわけですから、大変です。しかし、日記には何も書いてない。

 北斗は山の中の平取コタンで2日遅れの崩御の報を聞いたのです。やはり、この12月26日は昭和2年の年末だとすべきではないでしょうか。

 

 ノートの現物が残っていればなあ、と思います。


というわけで  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)08時32分16秒

年表を変えてみました。


補足です  投稿者: 管理人  投稿日: 1月31日(月)07時58分54秒

  北斗の足取りを追うためには、日記と西川光次郎宛書簡、新短歌時代、小樽新聞の掲載などが役立つのですが、これまで、日記昭和二年の問題があり、「短歌」の制作年代が割り出しづらい状況があったのですが、今回、北斗の動きがシンプルになったので、今後、やりやすくなると思います。

 北斗の思想はまず幌別に腰を下ろし、平取に落ち着いたのでしょう。

 知里幸恵、バチラー八重子、ジョン・バチラーのことは金田一から聞いたでしょうし、ジョン・バチラーのことは、尊敬する希望社の後藤静香からも聞いたでしょう。

(しかし「希望社がバチラー幼稚園の援助をしていた」それがいつからなのか、どういったいきさつなのかはよくわかりません)。

 大正15年夏から昭和2年の春まで北斗は平取にいます。ここでバチラー八重子とともにあり、知里幸恵の理想を実現すべく、思想を育み、活動の準備をしたのだと思います。ここで得た人脈はバチラー伝導団の人脈です。

 八重子、辺泥和郎、そして金成/知里家。あこがれの幸恵の弟、真志保と知己を得るのも自然な流れでしょう。アイヌ人口の多い平取で育った屈託のないアイヌたちや、和人の教師やキリスト教指導者、医師といった人格者の温かい視線たちに囲まれて、次第に思想が固まっていったのでしょう。(しかし、この温かい視線は、のちにコタン巡察での同族から冷たい視線にうってかわり、その落差が北斗を苦しめるのですが)。

 昭和2年の北斗の夏の仕事は、自信に満ちあふれ、北斗は「打って出る」体勢にあったと思います。「アイヌの姿」、同人誌『コタン』。

 大正15年の夏、沙流川の河畔で得たポエジーは、バチラー八重子の影響を受けた短歌として、やがて奔流のように北斗の思想を世の中に示し、後のアイヌの活動に影響をあたえることになります。 

 

 補足ですが、

・後藤静香年表にT15に北海道訪問はありますが、S2年に北海道訪問の記録はありません。

 また、日記昭和2年が大正15年であるなら、 

 ・北斗が働いた「バチラー幼稚園」の設立年ですが、こうして『バチラー八重子の生涯』にあるS2年はありえない。『異境の使徒』の大正11年の方が正しいのでしょう。

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