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2005年1月 8日 (土)

浦川太郎吉について  

1月 8日(土)18時42分47秒

 同人誌『コタン』に「自覚への一路」を寄せた浦川太郎吉について

 「エカシとフチ」(札幌テレビ放送株式会社)に、浦川太郎吉の娘さんである

娘さんである松田ノブ子さんの聞き書きが載っています。以下要約。

 松田ノブ子さんの父、浦川太郎吉は明治27年11月10日生まれ、昭和26年7月24日没。

 若い頃から「ウタリを貧乏の中から引き上げようとして一生懸命で、それぞれの家庭を訪問して歩いていた」という。

 家業は農家だが、夏になれば浜に出て、漁師をしたり昆布をとったり、冬になれば山に狩りに行って鹿や熊をとっていた、という。そんな生活の中で、ウタリのことを忘れず、コタンをまわっていた。

 土人学校時代の親友に浦川清という人がいて、この二人がアイヌの将来について語り合ったら話がつきなかった。この清は昭和の初期に亡くなり、松田ノブ子さんもその葬儀に参加した。

 また、おそらく大正時代、浦川太郎吉は東京に行っているといい、その写真も残っていたが、紛失してしまった。東京のどこか、また何をしに行ったかはわからない。

 そのあたりから付き合いがあったのかは不明だが、違星北斗とは文通していたと聞いている。太郎吉はノブ子さんに「アイヌ、アイヌって馬鹿にするけども、かなり昔から目覚めたアイヌの歌人がいた」「たとえアイヌってさげすまれても、病気で苦しみながらでも一生懸命生きて、アイヌのためにって歌を作っている人」と言って随分ほめていたという。

 浦川太郎吉は、コタンの生活向上に努めて、さまざまな活動をしている。
 谷地の開拓や精米所や授産場の建設、さらにはアイヌ給与地問題にも奔走する。荻伏村の村会議員をつとめた。戦争中には、浦川の家には江賀寅三、向井山雄、小川佐助、知里真志保といったアイヌの指導者たちがかわるがわる家に訪れて、アイヌの将来について語り合っていた。
 動物が好きな、心優しい人であったといい、小学校で弁当を持って来れない子供達のために娘のノブ子さんに毎日牛乳を二升持って行かせたという。
 妻は伝承者として有名な浦川タレさん。

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