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2005年1月 9日 (日)

幌別の謎

1月 9日(日)16時26分44秒

 前から気になってたことなんですが、大正15年、北斗は東京から北海道に戻ってくるとき、なぜか生まれ故郷の余市じゃなくて、いの一番に「ホロベツ」に向かってるんです。

七月の七日が北海道のホロベツに、東京から持って来た思想の腰をおろしたもんでした。(西川光次郎宛手紙、『自働道話』昭和2年8月号)

 どうしてだろう、と思ったんですが、これはもしかして・・・

 バチラー八重子がいた「幌別教会」に行ったのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。北斗は東京時代に金田一より聞いて、八重子と文通をしていましたし、幌別といえば知里幸恵の生家もありますし・・・。

 ただ、知里幸恵の生家を初めて見たのが翌2年の7月というのは時間がかかりすぎですね。

 いずれにせよ、幌別にて列車を降りたのであれば、バチラー八重子の教会へは行ったことでしょう。それまで文通のみであった八重子と、大正15年の7月に「オフ」で出会い、そこでいろんなことを話し、また俳句ではなく短歌を作ることをすすめられたのかもしれません。

 あるいは、翌昭和2年オープンする「平取幼稚園」の話がもうすでに決まっていて、なりゆきとして北斗が手伝うことになったのかもしれません。

 

 その二週間後には二風谷にいて、


末世の人間の堕落を憤り人間の国土を見捨てオキクルミ神威は去ってしまった。けれども妹にあたる女神がアイヌの国土を懐ひ泣くと云ふ」神にすてられたアイヌは限りなき悲しみ尽きせぬ悔恨である。今宵この沙流川辺に立って女神の自叙の神曲を想ひクンネチュップ(月)に無量の感慨が涌く。(大正十五年七月二十五日)

オキクルミ。TURESHIトレシマ悲し沙流川の昔をかたれクンネチュップよ

 

 の歌を詠む北斗です。

ちなみにここの「TURESHI」は読まないのが通例です。(後のバージョンでは無くなっています)。

※この「幌別の謎」は、ここで模索が始まったばかりです。のちに「日記」昭和2年問題で進展し、05年夏の旅、幌別の地を訪ねたことでひとまず一段落します。(05年10月16日追記)


投稿者: poronup  投稿日: 1月10日(月)23時57分20秒

違星北斗がなぜ幌別に寄ったか、ですが、当時は当然飛行機などはなく、おそらく汽車で北海道に帰ったはずです。余市に帰るにしても、函館から苫小牧経由で北に向かったはずです。となると幌別は通り道です。

幌別には彼が懇意にしていた人が複数いましたから余市に帰る前に立ち寄ったとしても不思議ではないと私は思いますがいかがでしょうか。

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