後藤静香の援助
3月 4日(金)00時41分22秒
後藤静香がバチラーを援助していた件について、後藤静香の著書の中から、それに関する記述をみつけました。
アイヌ民族の保護
大正十一年十二月から、この事業に着手いたしました。これはまだ発表したことがありませんから、不思議に思われるかも知れません。
しかし、これは、国家がなすべき当然の仕事です。これをすておいては、人道の上に立った日本として世界にモノが言えません。国家がなすべくして、未だなし能わざるとき、これに代って国民を代表し、当然の責務を果たすのが、社会教育者の務めでございます。私はこんな見地から、この授業のために四十幾年間没頭していられるバチラー博士を助けています。いまは主として、幼稚園の経営につくしています。
(後藤静香「希望社の事業とその信念」『希望』大正13年1月、『後藤静香選集』第十巻)
これを見ると、大正13年の執筆ですから、北斗と出会うより前から幼稚園に着手していたわけですね。大正14年に上京した北斗が、後藤に接近したのは、先に「修養」ではなく「アイヌ民族の保護」をしている静香だからこそかもしれません。金田一も後藤がこのような事業をしていたことを知っていたのかもしれません。金田一とバチラーのラインと、バチラーと後藤のラインがあるわけですから、金田一と後藤も面識があってもおかしくはないでしょう。やはり、北斗と金田一とのあの出会いが、多くの新たな出会いを生み、北斗の世界を拡げたのかもしれませんね。
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