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2005年3月17日 (木)

北斗のラジオ番組!!  

3月17日(木)02時59分45秒

北海道立図書館に、次のような図書があるようです。

『違星北斗 光りを掲げた人々』

著者名 森本 儀一郎/著  出版地 〔東京〕出版者 〔札幌中央放送局〕

出版年 1955  ページ 34p  大きさ 26cm

一般注記 JOIK放送台本 昭和30年3月6日(日)放送 謄写刷

 こ、これは「ラジオドラマ」ではないでしょうか?

 

 それも、昭和30年3月6日(日)に放送された、ということでしょうか!?

 まさか・・・テレビ? と思ったのですが、JOIK・NHK札幌中央放送局でテレビが始まったのは31年だそうですから、やっぱりラジオでしょうね。29年の「違星北斗の会」の『違星北斗遺稿集』発行を受けてのことでしょうか。

 大変だ! 

 日記にも「ラヂオ」云々がありましたが・・・。まさか北斗のラジオドラマがあったとは・・・!

 聴きたい! 

 そして、この台本を見たい!

 この図書館には『違星北斗遺稿集』もあるし、小樽新聞も北海タイムスも、北海道人も志づくも新短歌時代もあるので、ぜひ近いうちに行きたいと思います。

 GWに長期休暇を取って、ついに北海道へ行こうかと画策中。

 北斗ゆかりの余市を歩きたいのと、この札幌の図書館に2、3日籠もりたいというのがあります。



3月26日(土)20時15分33秒

北斗のラジオ番組について、図書館で新聞のラジオ欄を調べてきました。

毎日新聞(東京版)昭和30年3月6日(日)

NHK第一

9:30

「アイヌの解放を叫んだ『違星北斗』西国成男 他」

とあり、番組紹介記事の中に「ききもの」コーナーとして、次のように紹介されています。

「◇光を掲げた人々『違星北斗』(NHK第1前9・30)アイヌの解放のためにコタン(部落)を巡礼して志を説いた若き歌人違星(いぼし)北斗の生涯をドラマ化。彼は明治三十四年生れ。幼少から和人に軽蔑されて反抗したが、大正十四年金田一京助を頼って上京し、それ以来滅びゆくアイヌの生活と文化の紹介に一生を捧げ昭和四年死亡した。郷里に歌碑建設の計画がある。」

 やはり、ラジオドラマだったんですね。

(朝日新聞(東京版)には、紹介はなく、ただし出演者に「若山弦蔵」の名もあります)。

 これはもう、北海道立図書館に行って台本を読むしかありませんね。

 ラジオといえば、

 日記の昭和3年9月3日に

 

 山野鴉八氏から葉書が来た。仙台放送局で来る七日午後七時十分からシシリムカの昔を語るさうだ。自分が広く内地に紹介される日が来ても、ラヂオも聴けぬ病人なのは残念。

とあり、私はこれも北斗が紹介されたのかもしれないと思っていますが、図書館から帰ってから、この昭和3年9月3日のラジオ欄も見てきたらよかったと、激しく後悔してしまいました。


 山野鴉八ではなくて・・・  投稿者:管理人  投稿日: 3月27日(日)23時49分21秒

 北斗が、闘病中の昭和3年9月3日の日記に「山野鴉八氏から葉書が来た。仙台放送局で来る七日午後七時十分からシシリムカの昔を語るさうだ。自分が広く内地に紹介される日が来ても、ラヂオも聴けぬ病人なのは残念。」とある件ですが、図書館で新聞を見てきました。

東京毎日新聞昭和3年9月7日朝刊「ラヂオ欄」

JOHK【仙台】午前一〇、〇〇家庭講座、長沼依山▲午後〇、一〇講談「清水次郎長の内荒神山」神田伯治▲六、〇〇(子供の時間)「公共美談六少年の力」長沼依山▲六、三〇商業講座清水正巳▲七、一〇趣味講座、山野鴉人▲八、〇〇俚謡「水戸名物磯師」外二組水戸市金太ほか▲浪花節「祐天吉松の内孝女の仇討」木村松太郎

とあります。この「七、一〇趣味講座、山野鴉人」が、その番組ですね。

北斗の日記にある「山野鴉八」は「八」ではなくて「人」だということです。

まあ、ささやかな新発見いってもいいでしょうか。

ちなみにこの東京毎日以外も朝日、讀賣を見てきました。讀賣はほとんど同じでしたが朝日は結構略されていました。

あと、忘れてはいけないのは、讀賣には次のような記載がありました。

仙臺HK389.6

 後7、10趣味講座『短歌行脚漫談』山野鴉人

 

 つまり、この山野鴉人さんは短歌関係の人、ということが言えるのではないでしょうか。(検索でも引っかかりませんでしたし、讀賣新聞のCD-ROMなどでも探してみましたがありませんでした。国会図書館にも著作はないようです)。

 ちなみにこの頃の番組は、今のように曜日ごとにバッチリ番組が決まっているわけではないようで、この山野さんも、レギュラーで番組を持っているわけではないようでした。趣味講座という枠の中で喋ったのだと思います。

 この内容というのは今となっては知る術はほとんどないのでしょうけれども、日記にある北斗への葉書の内容によれば、沙流川の昔を語る、ということで、そこで北斗のことを触れた可能性が高い、といえると思います。

 関係ないですが、黎明期のラジオ欄を見てみて、意外だったのは、東京版に全国の放送局(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡)の番組表がすべて載っていたということ。これはチューニングを頑張れば他の局も聴けたということなんでしょうか? 現在でも、例えば大阪でも普通に東京のAM放送局も入りますし。ノイズはありますが。

 あと、全国の局は全て違う番組をしている(生放送だから当然でしょうが)ということ、それに現代でもNHKはそうですが、夕方六時に子供の番組をやるということ。これはやはり六時に家に帰らせようという教育的配慮かもしれませんね。

 まったく関係ないですが。

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