牛乳一合
4月14日(木)23時51分38秒
余市から東京まで、当時は丸2日ぐらいでしょうか?
その間、口にしたのが牛乳一合というのは、本当に、すごい根性というか、一念ですね。
おそらく、汽車賃も必死で工面してきたんでしょうね。とても食費には手が回らなかった。「弁当を一度も買わなかった」ということから、想像をたくましくすれば、もしかしたら余市で乗車したとき、家族から握り飯ぐらいは持たされたかもしれませんが、それもすぐに尽き、あとはじっと我慢だったのかもしれません。ようよう買ったのが牛乳一合。
もちろん、お金は少しはあったかもしれませんが、東京に出てからのことを考えると、使えなかったのかもしれません。阿佐ヶ谷の西川宅(自働道話社)に着いたときには、西川光次郎や文子に食事を勧められたのでしょうか。最初は遠慮しながらも、ものすごい勢いで食べたのかもしれません。などと、勝手なことを想像してしまいます。
この文子の記したエピソードは、金田一の「違星青年」とともに、北斗の真面目でストイックで、控えめな、決して要領は良くないけれども一途な性格をよく表していると思います。私は北斗の「ドジ」なところも好きなのですが(高尾登山の時に汽車に遅れそうになってていますが、これから東京を後にするというその汽車も、時間に遅れそうになっています)。
改めて思います。
北斗は、本当に魅力的な人間だと思います。違星北斗のことを多くの人に知って貰いたい、と思ってこのサイトを開きました。
しかし、いくら言葉を尽くしても、わかってくれない人もいます。よく「どういう理由でアイヌの歌人を調べてるんですか」と聞かれ、不思議がられるのですが、理由なんて「違星北斗という人間が好きだから」という外にはないんです。どんなに北斗の魅力を語っても「何か裏があるんじゃないの?」といったよくわからない反応を受けることもありますが、そんなときはその人間が親しい人間であればあるほどなんだか淋しくなります。
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