チガイボシ
5月21日(土)04時06分4秒
違星家のエカシシロシが「※」ではない、と先に書きました。
これは非常に重要なことです。
『我が家名』
違星家の家名「違星」は「違い星」から来ているとあります。
では、何が「違う」のか。
何と「違う」のか。
「※」ならば単に「星」です。
ワープロで「ほし」と打てば「※」が出ます。
「※」では、「星」と「違わない」のです。
つまり、「チガイボシ」は「※」ではない、ということです。
違星家のエカシシロシ「チガイボシ」は「※」ではないけれど「※」に似た記号
(下図)なのです。これこそが「違い星」なのですね。
小樽新聞にはちゃんと掲載されていたのです。
そして、古田謙二は遺稿整理の際、希望社に小樽新聞の切り抜きをそのまま送っています。
間違えたのは希望社の編集者なのです。
わざわざ星と違う、「※」じゃないと言っているのにもかかわらず、希望社の『コタン』編集者は、わざわざ「※」の活字を使ったのです。
これは、文意を無視しており、北斗が「我が家名」に込めた本来の意味を失わせてしまっています。
本当に、惜しいことです。
『コタン』編集者として名前があるのは岩崎吉勝か宗近真澄ですが、岩崎は管理者のようで、実務を担当したのは宗近かその部下でしょう。岩崎は完成したものを見て、脳天気な短歌を何首が残しています。
シヤモ達の米屋の符号それと同じ/シロシより出でしイボシ家の君 (『跋』)
岩崎はやはり「※」だと思っていたようです。
奇妙なのは、希望社『コタン』には、ちゃんと違星家のエカシシロシが登場しています。『疑ふべきフゴツペの遺跡』の中に、余市のエカシシロシの一つとして出て来ていて、活字がないので、たぶん凸版で作ったのでしょう。それなのに、『我が家名』ではそれを使わず活字の「※」を使った。
我が家名は、至るところで引用されていますが、この点を指摘している人は残念ながらいません。
『コタン』発売後、80年の時を経た現在も「チガイボシ」は間違えられ続けているわけです。
※このエカシシロシの由来については、正しくありません。この後の7月3日の書き込みでさらに考察しています。(05年10月16日追記)
5月22日(日)20時46分33秒
『フゴッペ』の謎
小樽新聞の初出の方の「フゴッペ」と、希望社版の「フゴッペ」には、違いがあります。
小樽新聞での「違星家のエカシシロシ(※の左右の・がない)」が『コタン』では「※」になってしまっている、というのは先にも書きましたが、さらに精読してみると、あることに気づきました。
小樽新聞がわざわざ造字した「違星家のエカシシロシ」を、希望社の編集部が「※」にしただけだったら、まだわかります。
違うんです。希望社版の中でも、ちゃんと「違星家のエカシシロシ」を使っています。ただ、おかしなところで使っているんです。小樽新聞版で「※」の記号になっているところを、わざわざ希望社版『コタン』では「違星家のエカシシロシ」の記号に入れ替えているのです。つまり、入れ替わっているのです。
全く、わけがわかりません。
また、小樽新聞版では「イカシシロシ」「Ikashi-shiroshi」となっているのに、コタン版では「エカシシロシ」「Ekashi-shiroshi」となっています。
« 東京調査 | トップページ | 昭和3年 白老・幌別 »
« 東京調査 | トップページ | 昭和3年 白老・幌別 »
コメント