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2005年6月23日 (木)

違星北斗の印象について

6月23日(木)00時23分57秒

 違星北斗と出会った人たちが受けた北斗の印象を並べてみます。

《上京以前》

 ・古田謙二

彼はよく私の所に遊びに来た。小学校も尋常科きりの学歴だったが、読書が好きで、いろいろな知識をもっており、殊にみずからがアイヌであるとの自覚は、彼を一種の憤慨居士にしていた。

(「落葉」)

 これは、思想上の一大転機の前後です。上京前、大正14年より以前でしょう。

 「茶話誌」を作っていたり、「にひはり」に投稿していたころかもしれません。

 「落葉」は、北斗の和人への反逆思想が一転し、アイヌのために一生を捧げる前向きなものになるまでを描いていますが、肝心の、思想上の一大転機は描かれておらず、その前後が描かれています。


《東京時代》

 ・西川文子

 

 幸に額田さんと違星さんとが事務を大変に手伝って下さったので助かりました。二人とも本当に感心な青年です、違星さんはアイヌの方ですが、絵も文筆も俳句なども上手な珍らしい人で、北海道の余市から阿佐ヶ谷まで来るのに牛乳一合買ふたきりで弁当は一度も買はずに来たほどの人です。

 (「校正を終へて」)

 この牛乳一合のエピソードは、北斗の直向きさや意思の強さ、ストイックさなどがよく表れていると思います。


 ・金田一京助

 

 五年前の或夕、日がとつぷり暮れてから、成宗の田圃をぐる/\めぐつて、私の門前へたどり著いた未知の青年があつた。出て逢ふと、あゝうれしい、やつとわかつた。ではこれで失礼します。

 誰です、と問うたら、余市町から出て来たアイヌの青年、違星瀧次郎といふものですと答へて、午後三時頃、成宗の停留所へ降りてから、五時間ぶつ通しに成宗を一戸一戸あたつて尋ね廻つて、足が余りよごれて上れない、といふのであつたが、兎に角上つてもらつた

 (「違星青年」)

 これも、北斗の木訥さ、真面目さ、そして人に対して遠慮がちなところが良く出ていますね。

北斗は自分で「私は常に他人に相槌を打つ癖がある。厭なのだがしかたない、性分なのだから」(「コクワ取り」)と言っていますが、なんとなくわかりますね。


 ・伊波普猷

 

 この時、一同の視線は、この青年アイヌを物色しようとして、盛に交叉されました。やがて金田一君の招きに応じて、自席を立つたアイヌは、晩餐の時、私の向ひに座つて、上品にホークとナイフとを動かしてゐた眉根が高く隆起し、眼が深く落ち込んでゐて、私に奄美大島の人ではないかと思はせた青年でした。彼れは流暢な日本語で、しかも論理的な言表し方で一時間ばかりウタリ・クス――吾等の同胞――について語り、少からぬ感動を一同に与へました。

 (「目覚めつつあるアイヌ種族」)

 ここでは、一転して北斗の理知的なところが出ていますね。意外に大舞台に強いところも。


 ・山中峯太郎

 

『世界聖典全集』を出版した松宮春一郎さんの名刺を持って、顔の黒い精悍な感じのする青年が、私をたづねて来た。松宮さんの名刺に、「アイヌの秀才青年ヰボシ君を紹介します。よろしくお話し下さい。」と、書かれてゐた。

 (「コタンの娘」)

 これは、ちょっと初めて読んだ時は、意外でしたね。「顔の黒い」というのが。

 これは暗い印象なのか、病的に黒いのか、それとも逆に日焼けして黒いのか。

 「精悍」な感じはよくわかりますが。この頃の北斗は、本当に貪欲に人脈を築き、見識を深めていっていっています。

 山中峯太郎は、革命家でもあったわけですが、超一流の学者や作家なんかに後れを取らず、そういう人たちに一目置かれて、若き友人として厚遇された違星北斗という人物は、一体どんな人だったんだろうと改めて疑問に思います。


 ・額田真一

 また見える筈の違星北斗君が、七時になっても見えず、どうした事かと案じて居ますと、七時十二分発車のベルはケタヽマシク鳴響いて止んでしまひました。もう駄目だと、諦めて。プラットホームに返す途端、違星氏が見えて大急にて汽車に飛込みました。

(「自働道話社遠足会 高尾登山」)

 これは「寝坊」あるいは「時間にルーズ」かもしれないという、側面を現すエピソード。北斗は、北海道に戻るときも電車に遅れそうになっていますし、後藤静香の乗った汽車が余市を通り過ぎる日にちを間違えたりもしています。

 このように北斗はけっこうドジです。

 向こう見ずで後先考えないところ、進んで火の中に飛び込むようなところもあります。吹雪の中、泊まるところがなくて困ったりもしますね。


 ・後藤静香

 嘗て、凡てを理解した様に、今はもっとよく何でも理解されると思う。

 兄のあのにこやかな笑顔が見える。

(「跋」)

 ここは、「にこやかな」がポイントですね。

 いま見つかっている北斗の肖像は、どう見ても「にこやか」ではない。

 しかし、後藤静香の脳裏には、私たちが知らない、北斗がにこやかな笑顔が、浮かんだんですね。

 気になるのは「嘗(かつ)て、凡てを理解した様に」というフレーズ。

 改めてここを読んで、尾崎豊が歌った

「あの日見つけたはずの真実とはまるで逆へと歩いてしまう」(「傷つけた人々へ」)

 を思い出してしまいます。

 私にも経験がありますが、「若さ」は時に、一時的にですが、真実を悟らせ、凡てを理解させてしまう(あるいは錯覚させてしまう)ものですよね。


 ・宗近真澄

 北斗君は情熱の人であった。/意気の人であった。/後藤先生と初対面の時の話/君は例に依り熱をこめて/アイヌ民族の衰退を嘆き/自分の抱負を述べた。すると先生は感謝された。/『有り難う……』/先生の此のお言葉は/電気の様に違星君を打った。/此の一語は永久に君を/先生に結びつけたのだ。(「故人の霊に」)

 これは、やはり青天の霹靂のようなものでしょうか。

 後藤静香と違星北斗の出会いのシーンですね。北斗の熱っぽさと、それに対する後藤静香の意外な言葉。

 この心の動きですね。これは、かつての「思想上の一大転機」の状況とも似ている気がします。

 どうも、北斗は自分の中でどんどんどんどん熱を帯び、灼熱してゆくのですが、それが予想外の他者の「やさしさ」や「情」のようなもので返されると「ガツーン」とショックを受けてしまうようですね。

《帰道後》

 ・並木凡平

 三日余市の妹尾よね子さんの宅に開かれた短歌会に彼の姿を見出した、私は少からぬ感激に打たれた、語り出す一語一句は、われく仲間よりなほ理智と謙譲の奥床しさがあった

(「河畔雑記」)

 ここでは、北斗の理性的な面、謙虚さが出ていますが、それ以上にこの頃の北斗にはなにかオーラのようなものを感じてしまいます。だいぶ覚悟が決まってきたのもあるでしょうが、和人の年長者ばかりの歌会に単身乗り込んで行き、そこですごい存在感を示しているんですよね。なんだか凄みがある。「新短歌時代座談会」を読むと、何人かの和人の歌人の先生は、はっきりいって北斗の登場にビビってます。

 (まるで「空手バカ一代」の最初の空手大会で、大山倍達の登場におののいた空手界の重鎮たちのようです)。

 他にも、北斗の性格を現す文章はあります。それになにより彼の作品自体が彼をよく現しているのでしょうが、やはりこういう客観的な描写が北斗の性格(少なくとも社会的なペルソナのようなもの)をよく現していると思います。

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