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2005年8月29日 (月)

違星北斗の旅 9日目 余市の巻

2005年08月29日02:20
 
 8月21日 9日目。

 昨日は小樽泊。
 
 小樽は余市の隣町でもあるし、北斗自身が短歌等で最もよく掲載されていたのが『小樽新聞』だったため、縁が深い町です。
 朝イチで、小樽文学館へ。前回は行ったら休みだったんですよね。今回は、ちゃんと出る前にHPを確認して来ました。
 ここに違星北斗のコーナーがあるらしいので、一度見てみなければと思っていたのですが……行って見ると、違星北斗のコーナーは40センチ四方ぐらい。小さいなあ。
 記事も小樽新聞の紹介記事のみで淋しい限り。

 北斗の短歌に才能を見出し、世間に紹介した並木凡平という歌人がいるのですが、それは紹介スペースが畳1畳ぐらい。小樽出身の文学者伊藤整に至っては20畳ぐらいの紹介スペース。まあ、いいけど。
 何か他に資料はないのか、学芸員さんに聞こうと事務所へ。すると「今日は休みです」って……ショボーン。
 
 意気消沈したまま、余市へ。
 郷土史家のA氏宅にお伺いするのが、1時なので、12:30に余市駅であらや氏(小樽在住の方で、違星北斗のファンの方。いろいろとご協力頂いています)と待ち合わせしているのでした。

 電車の本数があまりないので、バスで余市駅へ。
 着いたのが11時。
 おっ、待ち合わせまでまだ時間半ある!
 
 これは、時間を無駄にできない今回の旅。この1時間半で一つ二つ、出来る調査をやっておこう、ということで、駅で自転車を借りました。
 今回、白老で森竹竹市研究会の会報を頂いたのですが、そこに、気になることが書いてあったのでした。
 私は今回は、ぜひ前回見つからなかった違星北斗の墓を見つけて墓参りを果たしたいと思っていたのですが、その会報に森竹研のある女性の方が、自分の友達がお寺の娘で、そこで違星家の葬祭をしたことがあると言っていた、と書いてあったのでした。
 これは……もしかしたらもしかするかも、ということで、そこに書いてあった寺の名前をタウンページで調べ、地図を確認して、一路自転車でそのお寺に向かったのでした。

 お寺の入り口で「ごめんくださーい」と、言ってみましたが、誰も出てきませんでした。インターホンをピンポンと鳴らすと、男の人の声。「今行きます」と。

 ところが、すぐに出て来たのは、ご婦人でした。
 ご婦人に「ご住職はいらしゃいますか」と聞くと、「居ません」とおっしゃいました。ご婦人はお体がご不自由なようで、大きな声で、一言一言喋られるのでした。
 ご住職がいないって、おかしいなあ、さっきインターホンで話したのになあ、と思っていると、反対側から住職さんが出ていらっしゃいました。
 大阪から来て、アイヌの歌人の違星北斗を研究していること、このお寺で違星家の法要をされたと知ったことなどを住職さんに話しました。
 すると、住職さんではなく、ご婦人の方が、大きな声で言われました。
「アイヌの研究を! それはすばらしいですね! 私もアイヌ語を習っているんです!」と一言一言、興奮ぎみに話されたのでした。それを見て、住職さん「まあ、とりあえず上がって下さい」とおっしゃってくださいました。
 
 台所に通されると、どうもご飯の途中だったようで、平取の教会に続いて、これまた間が悪いことだなあ、と思いました。
 住職さんは最初に、違星という家は知らないということで、ただ葬祭の会場として貸したのだろう、とのことでした。それから、もしかしたらここではないかというお寺の名前も教えてくださいました。
 ご婦人は、「すみません、私、こんな体なので、恐いと思って、よく居ないって言っちゃうんです」と言って、しきりに謝ってらっしゃいました。
 このご婦人なのですが、実は白老に住んでいらっしゃって、今日はたまたま故郷の余市に帰ってきているとのことでした。白老では、アイヌ語を習っていて、そこで違星北斗のことも知ったそうです。地元にいたのに知らなくて、白老にいってから、こんな人がいたんだ恥ずかしい思いをしたのだそうです。幼い頃、よくアイヌの子たちと遊んだそうです。
 また、詩を書かれているそうで、「北の詩人」という同人誌を下さいました。
 私が北斗のこと、今回の旅のことを話すと、ものすごく喜んでくださり、こっちに来ていてよかった、帰らなくてよかったと無邪気に喜んでくださり、こっちがくすぐったくなるほどでした。また、私が白老に行ってきたことを話すと、たいそう喜んでくださいました。
「これが、私の名前です。それからもし、白老に行ったらぜひこの人を訪ねてください」といって、震える手で、一つ一つ名前を書いて下さいました。
 その二つの名前なのですが、書いている途中で、あっ、と思いました。その手が、次に書く字が、なぜだかわかるのです。奇妙な感覚でした。
 二つとも、どこかで見た、知っている名前――だけれどもどこで見たか分からない名前。

 そうか……書き上がった二つの名前を見て、ようやくわかりました。
 私が、この寺に来る前に見た「森竹竹市研究会」の会報。名前の一つは、その中のこのお寺の名前が出てくる文章を書かれた女性の名前でした。そして、もう一つはその筆者の友達でお寺の娘だという人の名前。目の前のご婦人がその人だったんです。

 まあ、当たり前といえば当たり前なんですが……私が、その方の書いた文章を見てここに来たんですというと、「まあ、それはすごい偶然ですね! よかった! うれしい!」と喜んでくださいました。なんだか、自分の来訪をこんなに喜んでくださるなんて、大した人間ではないのに、と思う反面、違星北斗を研究するということは、こういう風に喜んでくださる人がいるんだ、責任を負うんだ。だから期待に応えられるように頑張らなければ、と思いました。
 
 次に自転車を飛ばして、違星北斗の生家があった場所(今は駐車場になっている)に行き、次にご遺族が最近までいらっしゃった家に行きました。近所のお店の人に聞くと、その小さな家は今は他人の所有になっていて、男性が住んでいるらしいのだが、よくわからない、とのことでした。
 北斗の甥夫婦が住んでいたのですが、平成3年に甥が、平成14年に奥さんが亡くなって以来、余市から違星さんは居なくなったという話でした。
 ポストにはまだ「違星」の文字があり、違星さん宛ての郵便物も入っているようでした。
 扉は鍵が開いていました。「ごめんくださーい」と言ってみたのですが、誰も居ないようでした。かいま見えた室内は、現住人の生活感があるようであり、ないようであり、もしかしたらご遺族が暮らしていらっしゃった状態がある程度残っているのかも知れない、もしかしたら北斗の遺稿や資料なんかもこの家の中にあるのかもしれないなあ、とも思いました。
 また時間があれば来て、近所の人に話を聞いてみようと思いました。

 12時30分にあらや氏と余市で再会。あらやさんのお車に乗せていただいて、郷土史家のA氏宅へ。
 A氏は余市の郷土史、とりわけアイヌ文化の研究家として有名な方で、前回余市に来たときにいろいろなお話をお聞きしました。
 今回は、二回目ということもあって、非常に親しげに迎えてくれました。
 まず、今回のテーマである、北斗の墓の謎について疑問をぶつけてみました。私が前回の調査で撮った写真を見せ、違星家の墓に北斗の名前がない、よって別のところに墓があるのではないか、と聞いてみると、A氏は、そんなことはない、20年ぐらい前に撮った写真には墓石に北斗(滝次郎)の名前があったはずだ、とおっしゃり、写真を探して下さるということになりました。家中かなり探したのですが、結局みつかりませんでした。
 今回も、いろいろな資料をいただきました。その中には若い頃の北斗の情報もありました。

 突然、話の流れで、違星北斗の主治医であり、最後を看取ったお医者さんの息子がいるから、これから会いに行こうという話になりました。
 雨の中、あらや氏の運転、A氏の案内でたどりついたのは、ジャズ喫茶。
 そこのジャズ喫茶のマスターが、じつは北斗の主治医の息子さんだったのでした。もちろん、マスターは今70才ぐらいでしょうから、没後75年になる北斗とは直接面識はないのですが、当時の余市のこと、また北斗が暮らした余市の「コタン」のことはよくご存じで、北斗の遺稿集『コタン』に登場する人々のことをいろいろと教えてくださいました。
 また、『コタン』にそのお医者さんの名前がけっこう出ていることをお伝えすると、ものすごく喜んでおられました。古い写真なども見せて下さいまして、いろいろ教えて下しました。
 例えば、漁業で生計を立てていた北斗の父や兄が、雇われた漁夫ではなく、ちゃんと船を持っていたことなどは、聞かないとわからないことでした。
 このA氏とマスターが、近々古老のところに行って、私達のためにいろいろ聞いたり、資料を探してきてくれる、とおっしゃって下さって、なんだか申し訳ないなあ、と思いました。
 このように、私一人が違星北斗のことを調べたい、知りたいと思って動くだけじゃなくて、だんだんといろんな人を巻き込んで行っていることが恐くもあり、また心強くも感じられました。

 A氏の家に戻り、またいろいろと資料を見て、帰る段になって、「庭のミニトマトがいっぱい余ってるから、もいでやろう」ということになりました。雨の中、上半身裸のA氏は、次々とよく熟れたミニトマトをもいでくださり、さらに「庭にミョウガが生えているから、つんでやろう」ということにもなりました。
 あらやさんによると、これが典型的な北海道の田舎のもてなしなんだ、ということでした。そういえば、さっきのお寺でも、帰りしにいっぱいお菓子を持たされましたし、前回の旅行でも、こっちが勝手にお邪魔したのに、帰りにはいっぱい物をもらっているという状況がいっぱいありました。
 やっぱりそうなんだ、と妙に納得しました。
 

 ということで、この日は小樽のあらやさんのお宅にお世話になりました。余市から小樽に向かう車中で、違星北斗談義に花が咲きました。
 
 明日は札幌&余市。この違星北斗の旅もあと1日+αです。

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