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2005年8月31日 (水)

違星北斗の旅10日目 札幌ぶらぶら余市の巻

2005年08月31日03:26

 8月22日 10日目。

 実質上、自由に動ける最後の日です。
 今日はporonupさんにご紹介いただいて、北海道ウタリ協会を訪ねる予定。何か違星北斗に関する資料があるかもしれない、とのこと。

 今日が月曜日なのはちょっと残念。というのは、道立の博物館は全部、月曜が休みなんですね。
 道立図書館で探したい資料もありますし、道立文学館には、違星北斗の展示があるらしいので確認したいのですが、全部休館日。北大の植物園の中には「バチェラー記念館」があるのだけれど、これも植物園ごと休園日。残念です。
 これも全て私の無計画性から来たことなので反省します。いつも「もう1日あれば!」と思うのですが。 

 あらや氏に小樽築港駅まで来るまで送って頂きました。本当になにからなにまでお世話になってもうしわけないです。
 
 札幌駅に着き、ウタリ協会に向かおうと、地図看板を見ていると、東京の事務所から電話。トラブル。その処理のためにその場で何件か電話をする。
 暗澹たる気持ちを引きずりながら、ウタリ協会へ。
 北海道ウタリ協会とは、HPから引用すると《北海道に居住しているアイヌ民族で組織し、「アイヌ民族の尊厳を確立するため、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承及び発展を図ること」を目的とする団体》だということです。
 かでる2・7というビルの7階へ。おそるおそるドアを開ける。poronupさんのご紹介で来たのですが……と言ったまではよかったのですが、それからが私のダメなところ全開で、肝心の紹介していただいた方のお名前を忘れてしまっていたのでした。
 必死に思い出そうとするのですが、なかなか出てこない。確か「タ行」だったな、と頭に浮かんできた名前を言うと、「ああ、その方ね」と、資料室のようなところに案内され、女性の学芸員の方を紹介されました。
 話を伺ってみたのですが、違星北斗のことはあんまり詳しくない、とおっしゃいました。あれ、おかしいな、と思いながらも、いろいろ貴重な資料を見せていただき、コピーを取らせて頂きました。
 閲覧していると、いろんな方が入ってこられて、学芸員の方と親しげに会話をされているのが、いろいろと聞こえてくるのですが、はっはー、ウチの母親(おかん)と同じようなことを言っているナーなんて思えるところがあり、温かい気持ちにもなり、でも会話の中にアイヌ語の単語が普通に出てくるところが、なんかいいなー、なんて思いながら資料をたぐっていました。

 その後、同じビルの中に入っている、北海道文化財保護協会を訪ねました。白老のY先生、余市のA先生も参加されていて「北海道の文化」という紀要を出している団体です。違星北斗のことを書いて発表できれば、と思うのですが。
 
 ビルを出たところで、ようやく研究室に連絡がつく。どうも大雨で電車が遅れていたらしい。書類の捜索を頼んで、とりあえず一安心。

 遅い昼食をとりながらメールを確認すると、ああっ! 違う! poronupさんが紹介してくださったウタリ協会の方は、さっき会った人じゃなかった! 
 急いでさっきのビルに行き、再びウタリ協会を訪ね、メールで確認したT氏の名前を告げますと、落ち着いた雰囲気の男性が出ていらっしゃいました。
 事情を説明して、お目に掛かるのが遅れたことを謝りました。よかった。お怒りじゃないようでした。
 早速、違星北斗のことをお聞きしますと、どうやら、poronupさんからいろいろお聞きのようで、私の研究HPも見て頂いていたようで、非常に嬉しく思いました。
 T氏は、私の持っている95年版の『違星北斗遺稿 コタン』を見て、「よくこんなに珍しい本を手に入れましたね」とおっしゃり、「なぜ違星北斗を? きっかけはなんですか」と質問されました。
 この質問、じつは非常によくされるのですが、答えは一つしかありません。
 感動したからです。涙が止まらなかったからです。
 私は、『違星北斗遺稿 コタン』をおそらく、95年に北海道で手に入れたんだと思いますが、その中の「アイヌの姿」という北斗の文章に、本当に強烈な衝撃を受けたのでした。
 その文章は昭和2年の7月に書かれたものですが、80年の時を超えて、その文章は今を以てなお斬新で、悲哀に満ちて美しく、なによりも宇宙的なスケールと立体感を持っていました。読み手の視線は大自然を滑り、人々の間を次々とすり抜けつつ、いつしかどんどん大空に舞い上がり、宇宙の彼方から世界を見ているような錯覚に陥る、そんなコズミックな文章感覚を、違星北斗の「アイヌの姿」に感じたのでした。
 いまは残念ながら、そうではなくなってしまいましたが、しばらくは、その文章を読むたびに涙が出て出てしょうがなかったのでした。
 
 T氏にそのような話ほか、いろいろな話をしました。ほとんどT氏はずっと私の言うことを聞いて下さっていたんですが、「F先生にお会いにお会いになりますか?」と、言われました。
 F先生とは、知里幸恵や知里真志保などの評伝をお書きになった方で、アイヌ文化に興味のある人ならほとんどの人が知っているんじゃないかという(と私は思う)くらいの、有名な方です。
 T氏はF先生にお電話してくださいましたが、私が明日の午前しか時間がない、ということで、「またの機会に」ということになりました。ああ、やっぱりもっと北海道に居たい! まだまだ調べたいことはいっぱいあるのに。
(ちなみにT氏もF先生もアルファベットにする必要あるかなぁ。そのへん、どうでしょうね? 難しいなあ)。
 あと、Tさんに「東京に行ったら、神田の草風館にいってみたら」といわれました。草風館は現在の『コタン』を出している出版社です。そうか。その手があったのか、と思いました。  
 札幌をあとにして、余市へ。
 もう夕方だけれども、明日昼に北海道を立つから、今日のうちにもう一度、あの家に行こうと思いました。
 コンビニで手みやげを買って、違星家のご遺族が住んでいた家に徒歩で向かいました。今は違う人が住んでいるらしいのですが、その方に聞けば何かわかるかもしれないし、もしかしたら遺稿や資料なんかが残っていたかもしれないので。
 たどりつくと、電気がついていない。「ごめんください」と声を掛けてみると、やはり、誰もいないようでした。もしかしたら、本当に誰もいないのかもしれない。

 そうか――残念。と帰ろうとしたのですが、うーん。このまま帰るのはやはり、忍びない。ここはもうちょっと頑張ってみよう、というわけで、ご近所の方に聞いてみよう、と思いました。
 で、電気のついていた家に「ごめんくださーい」と、声をかけてみたのですが、誰も出て来ません。何度か声をかけ、やっと出て来られました。
 隣の人は、家に上げてくださり、いろいろとお話してくださいました。また、近所のお婆さんのところに連れていってくださり、いろいろと聞いてもくださいました。
 ただ、お話を伺いながら、漠然とした不安のようなものを感じました。
 はたして、北斗のことを調べ、広く世間に広げてしまうことが、この辺りの人たちに迷惑をかけてしまったりしないだろうか、ということです。
 
 北斗は昭和の最初期の段階で「余市は和人化が進んだ土地」だというようなことを書いています。現代では余市にアイヌのコタンがあったことを知らない人も多いのかも知れません。余市の博物館の方が余市には「ウタリ協会」に入っている人が一人もいない、ともおっしゃってもいました。
 もちろん、現在ではそういうコタン――まさにそれは違星北斗の「コタン」そのものなのですが――は記録と記憶の中にはあっても、目に見えるかたちでははっきりと、もう残っていないわけです。
 そこに、私か、あるいは誰かが、余市出身の違星北斗というアイヌの歌人がいるんだと、もっと多くの人に知ってもらいたいんだ、ということで、文章を書いてどこかに載せるとなると、当然余市のアイヌコタンについても少なからず言及することになると思うのですが、それを嫌がる人も出てくるわけですよね。どうして、今さら掘り起こすんだ、と思う人もいるかもしれない。
 
 帰り道、余市の町を歩きながら、私は自分の中にたぎる違星北斗への想いと、地元の旧コタンの人たちへの思いとのジレンマに押しつぶされそうになり、もう少しで往来の真ん中で叫び出しそうになるところでした。
 

 この日もあらやさんの泊めていただきました。
 いよいよ明日で違星北斗の旅最終日です。

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