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2005年8月25日 (木)

違星北斗の旅 7日目(2)二風谷編

2005年08月25日17:54

 平取から二風谷まで、歩こうと決意。
 ほとんど使いもしないノートPCなんかが入っているから、結構荷物が重い。リュックサックが肩に食い込みますが、我慢我慢。北斗もガッチャキの薬箱を背負って歩いたんだから。平気です。

 途中、平取の裏名物(?) ハヨピラUFO基地はなんだかボロボロの廃墟になってしまっていて、ちょっと驚きました。
 もともと「ハヨピラ」とはアイヌの英雄神オキクルミがシンタ(ゆりかご)で降り立ったといわれる崖で、「聖地」なのだけれど、70年代(ごろ?)にカルト的UFO教団のみたいなのが、そこに珍妙なモニュメントを備えたピラミッドのような施設を作り、すったもんだあった挙句、団体自体は姿をくらました、というようなものだったと思います。
 10年前に自転車で訪れたときには、このハヨピラUFO基地は一応は廃墟ではあったのだけれども、(忍び込んでみると)崖には色々なパンジーやらチューリップやらのお花が植えられ、オキクルミカムイの像のところには、お花やお供えがあったりして、ああ、地元の人たちがちゃんと手入れしているのだなあ、素敵だなあ、と思っていたのですが、5年ほど前にバイクで訪れた時には平取町の管理となっていて、今後は公園として活用していくようなことを言っていたような気がします。 が、今回は全面的に立ち入り禁止になっていて、かつてのお花畑の急斜面も見る影もなく、朽ちるに任せられているような状態でした。ちょっと寂しいですね。
 このUFO騒ぎをモチーフにした小説に「魔の国アンヌピウカ」というのがあり、ハヨピラを知っていただけに、なかなか面白く読了した覚えがあります。

 ハヨピラUFO基地を超え、平取橋を超えると、眼下に流れる沙流川。でも、10年前に見た風景とはだいぶ違います。
 沙流川の遥か上流にあるのはレゴブロックで子供が拵えたような「二風谷ダム」、この巨大な玩具のような代物が沙流川を堰きとめ、そのからだを真っ二つに分けているんですね。
 確か、このダムの建設自体は違法たという判決が出たと思うんですが……。この手に爆弾があったら、ぜひ破壊してみたいものの一つですね。このダムは。(←ヤバイかな)
 この中世のお城のようなダム、ハヨピラUFO基地といい勝負かもしれませんね。どうしてこの沙流川の自然の中に、珍妙な建築物を建ててしまうのでしょうか。
 どうも、うろ覚えなんですが、『アイヌ神謡集』に確か、川を堰きとめる魔人の話があったと思うんですけど、まさにそんな感じだと思います。
 北斗に、 

  沙流川は昨日の雨で水濁り
  コタンの昔囁きつ行く

 という歌がありますが、ここに描かれたおそらく永遠に失われてしまったのでしょうね。
 また、こんな歌もあります。

  オキクルミ トレシマ悲し
  沙流川の昔を語れクンネチュップよ

 これは、人間の堕落を憤り、人間の国土を見捨ててオキクルミカムイは去ってしまった、けれどもそのトレシマ(妹神)が、人間の国土を思い泣き暮らしている、という伝説を踏まえて、この伝説に対して、北斗は

 神にすてられたアイヌは限りなき悲しみ尽きせぬ悔恨である。今宵この沙流川辺に立って、女神の自叙の神曲を想ひクンネチュップ(月)に無量の感慨が涌く。(大正15年7月25日)

 と述べています。
 どうして、オキクルミカムイは去ってしまったのか。そこに人間の堕落があったからだ、と北斗は考えたのかもしれません。北斗はまた、昔のアイヌは強かった、とも言い、

 「強きもの」それはアイヌの名であった
 昔に恥ぢよ 覚めよ ウタリー

 とも詠んでいます。
 ふと思います。北斗は、必ず「アイヌの聖地」と呼ばれていた二風谷に訪れなければならなかったのかもしれません。そこで彼はアイヌとして生きるために魂に注入するためのシンボルのようなものをここで得ようとしていたのではないでしょうか。違星北斗にとって、心の支えになるのはキリスト教の十字架ではいけなかったのだと思います。
 熱心なクリスチャンであった知里幸恵も、伝道婦としてキリストに仕えたバチラー八重子も、詩歌の世界ではアイヌの神話世界を詠い、そこにアイヌとしてのアイデンティティを見出していました。北斗がアイヌを救うのはキリスト教ではない、と思ったのはそこに矛盾を感じたからではないでしょうか。 


 さて、歩いているとやっぱり思ったとおり、だんだんしんどくなってくる。結構、長い!
 すれ違うライダーさんたちを見ながら、逆恨みっぽく、バイクなんて座ってるだけだもん、楽チンなもんだなー、などと思いはじめる。いかんいかん。
 自分だって、以前はライダーだったくせに。
 道端で竹のように大きくなった蕗の茎を見つけ、それを杖代わりにして歩く。まるでコロポックルか、お遍路さんだ。

 お遍路さんといえば、これはこの旅で思いついたことなんですけど、折角これだけライダーやチャリダーなんかが巡っている北海道なんだから、四国88ヶ所みたいに、違星北斗じゃないけど、「コタン」をめぐるルートを設定できないのかなぁ、などと考えるんですけど、どうでしょうね?
 そんなに厳密に順番とか順路とかを設定する必要はないとは思うんですけど、ストイックなライダーやチャリダーが、ある程度の指標として使えるようなポイントをコタンに設定して、それらをいくつか巡ると、アイヌ文化の基礎的なことが分かるような仕組みって作れないのかなあ、と思います。
 自分の時もそうだったけど、今の若い旅行者って、結構適当に北海道をブンブンまわってる気がして、もったいないなぁ、なんて思ってたものですから。彼らの冒険心と好奇心を、アイヌ文化の理解に結びつける事ができたらよいのではないでしょうかねぇ。甘いかなぁ。
 これは、登別の知里さんとのお話の中でも、似たようなことを話したのですが、そういうのあればいいよね、と知里さんもおっしゃっていましたが。
 何か、お遍路さんって、四国をある意味「テーマパーク化」しているんですよね。普通の生活空間としての四国と、「お遍路さんランド」としての四国は、重層的に重なっている。
 同じように生活者としての北海道とは別に、アイヌモシリと言っちゃうとあれだから、「コタン・ランド」のようなものとしての北海道を設定できたら、面白いんじゃないのというようなことを考えておりました。
 よそ者のたわごとです。お聞きのがし下さい。


 さて、蕗の杖をつきながら、ほうほうの体で二風谷へ。
 二風谷小学校発見。校庭に違星北斗の歌碑があるはず!
 と、探す間もなく、ありました!
 田上義也設計、金田一京助揮毫、『違星北斗の会』の木呂子氏の呼びかけによって作られた違星北斗の歌碑。
 本来は昭和30年代に完成予定だったものが、諸般の事情によって伸び伸びになっていたのを、木呂子氏の情熱と、萱野茂氏の協力によって、ようやく昭和43年に完成の運びとなったということを、先日、木呂子氏のご子息に直接伺ったばかりでしたので、感激もひとしおでした。
 ですが、なんだか薄汚れているので、すこし寂しくなりました。でも、それならそれで、自分がやらなきゃ誰がするんだ、ということで、歌碑の掃除をしよう、と思い、校庭の水道からペットボトルに水を汲み、古いタオルを使って石碑の盤面を磨いて見ました。
 歌碑を磨いていると、また歌碑について2点、新発見がありました。磨いてみるもんだな、と思いました。

 今回、違星北斗の墓参りはできないかもしれないけど、まあそれに近いことはこれで果たしたかな、などとも思いました。

 夜、民宿「二風谷荘」に寄宿。10年前に泊まって、楽しかった思い出がありましたので、今回もそこにしようと決めました。
 この宿の夕食は、宿泊者みんなで、バーベキュー。
 今回同席したのは、アイヌ関係の記録CDを作っていらっしゃるレコード会社の方と、そのお友達の業界の方々、それと山登りの二人連れ。それぞれに魅力的な方ばかりで、とても楽しいひと時を過ごしました。色々私のやっていることにアドバイスを頂いたりして、とても参考になりました。
 
 深夜、poronupさんと合流。深夜までいろいろ違星北斗に関するお話をすることができ、色々教えていただきました。
 オフで会うのは始めてですが、オンラインでの付き合いもあって、初めて会った気がしませんでした。
 poronupさん、どうもありがとうございました。それから、昼間ひたすら歩いて疲労困憊してしまっていたもので、眠くなってしまいまして、睡魔に負けてしまいました。どうも、すみませんでした。

ということで、次はチプサンケです!

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