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2005年8月25日 (木)

違星北斗の旅 6日目 鉄道唱歌

2005年08月25日02:14

 8月18日 6日め。

 
 今日は、苫小牧を発ち、日高本線で富川へ。そこで『森竹竹市巡回展』を見ます。その後、バスで一路沙流川を遡上して、違星北斗が過ごした平取へと向かう予定です。

 10時29分発の汽車に乗れば、11時すぎには富川に着くはずだったのですが、いろいろドタバタしてしまって、乗れそうになくなってしまい、仕方なく次の12時20分の鵡川行きでいいや、と簡単に考えていたのでした。
 ところが、座席に着いて、時刻表をもう一度確認してみて、愕然としました。
 「鵡川」は「富川」よりも手前なんだ、だからこの電車は富川までは行かないんだ、ということに、はじめて思い至ったのでした。地図は何度となく見ているはずなのに、私は、なぜか、鵡川はもっと向こうだと思いこんでいたのでした。
 
 やってもうた、とは思いましたが、しょうがありません。
 鵡川に着いてしまってから、途方に暮れました。次の汽車まで2時間待ち。
 それまでに得た資料を整理したり、ぐるぐると鵡川の町を廻ってみたり、駅の売店で雑学系の文庫本を買ってみたり、地元の高校生と交流したりして、なんとかその2時間を過ごし、ようやく次の汽車に乗りました。
 富川に着いたのはもう15時過ぎでした。

 富川の駅を出て、沙流川を越えると、小学校と未来的なデザインの図書館がありました。
 違星北斗の歌に、沙流川を歌ったものがいくつかあります。沙流川を越えた時は、感激してしまいました。

 図書館に入り、森竹竹市展へ。
 この展示は白老の森竹竹市研究会が制作したもので、白老の姉妹都市である仙台や、東京などでもやったと思うのですが、ここ富川(佐瑠太)も竹市が国鉄時代に勤務していた、ゆかりの地なんですね。
 ちなみに国鉄職員は当然、公務員で、結構難しい試験だったのですが、竹市がこの試験を受けた大正時代には、アイヌ出身でこの試験をパスしたというのは、ほとんど前例がないことだったようです。しかも、森竹竹市は当時の多くのアイヌと同じように尋常小学校しか出ていなかったわけで、中学卒業程度の学力を要した試験に合格したというのは、やっぱりすごいことだと思います。

 さて、森竹竹市展ですが、内容は森竹家所蔵の宝器や、森竹竹市の文学活動に関するもの(創作ノート、同人誌、著書など)と、戦後の白老のコタンの「村長」として過ごした時期の写真など多岐にわたりましたが、全体を通して見ると、森竹の思想の変遷がよくわかるように構成されていて、非常に興味深かったです。
 
 この展示の中で、とりわけ見たかったのが「森竹竹市の書簡」でした。私はどこかで、この書簡の中に違星北斗との往復書簡がある、と聞いたようなことを聞いたのですが、結局それはなかったようです。
 ただ、森竹竹市の自筆ノート(手帳)を見ることが出来、またそのページに書かれていた短歌を見た時に、深い感慨を得ました。


  フゴッペの古代の文字に疑問持ち所信の反論新聞で読む

  違星北斗初めて知った君の名を偉いウタリと偲ぶ面影

  北斗です出した名刺に「滝次郎」逢いたかったと堅く手握る


 これは、遺稿集『銀鈴』に収録されているので、新発見ではなかったのですが、森竹竹市の短歌の数多い中、わざわざこの3首の書いてあるページを開いて展示してくださった、森竹研の方に、しみじみと感謝しました。
 この3首こそ、森竹竹市と違星北斗の交流を示す、数少ない記録なのです。手前味噌な考え方ですが、この展示の小さな手帳は、なんだか僕が来るのを待っていたのではないか、僕を感激するためにそこにあったのではないかと勝手に思いたくなりました。
 
 この富川の図書館には、常設展示として、この地区の歴史を展示しているものがあるのですが、そこにも参考になる展示がありました。
 それが「沙流鉄道」の展示なのでが、この富川から、実は鉄道が平取にまで通じていたんですね。それはもともと大正10年に製紙会社の運送用に敷設されたのですが、翌11年旅客用にも使用されるようになったそうです。
 大正15年の夏、違星北斗も、幌別で知里幸恵の生家を訪ねた後、平取に入る時に、この沙流鉄道を使ったことと思います。

 鉄道唱歌にも「平取編」というのがあるようですので、ここに引いてみます。

  コタンのつらなる佐瑠川の
  その川上の平取は
  もとはアイヌの都とて
  義経まつる社あり

 残念ながら、沙流鉄道は昭和25年、廃止されていますので、私はバスに乗らねばなりません。
 その近くには、大正時代の北海道の「鉄道網」が掲げられていました。その昔の鉄道網の充実ぶりを見ると、現在の北海道の鉄道網がいかにも寒々しいものに見えてきます。
 大都会圏に住んでいると、生活は段々便利になっていくものだという幻想にとらわれてしまいますが、それは都会だけのことであって、こと鉄道に関してはどんどん不便になっていくのだなあ、と感じました。
 
 その後、併設されている図書館で文献を漁っていると、気が付けば6時。平取行きのバス停に行くと、もうバスがありませんでした。

 そのまま、平取まで歩いていこうかなあ、と考え、ちょっと歩いてみましたが、どうも果てしないようなので、3キロぐらい歩いたところで引き返してきました。
 暗い夜道を歩きながら、ヘッドホンで椎名林檎の歌う『木綿のハンカチーフ』を聞いていたら、なんだかとても北斗のことや、そして自分のことどもとリンクしてしまって、どうも泣けて泣けてしょうがありませんでした。

 ということで、富川泊。どうもこう、私の旅は無計画でいけませんね。

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