創刊号 (昭和二年十二月)
社中閑話 (前略) 稲畑笑治 雑誌発行に関する可成り苦痛な「生れ出づる悩み」を体験した、ぼくも今度の新短歌時代否凡平さんの膝下には一も二もなく飛込んだ、口語歌の宣伝部員として大いに使つて頂きたい性来たい慢なぼくも今度こそは……懸命に新短歌時代の隆盛を確信し真面目な歌作生活に浸りたいと思つてる。 純正詩社の同人として古くからぼくの憧憬して止まぬ福田義正氏が小樽に住まはれ日常親しく接してるのもうれしいことである。 十一月三日の余市短歌会には違星北斗君と快談し、名産の林檎に舌鼓を打ちながら近頃にない雰囲気にひたつた。 まあ、これからお互に口語歌研究のために精進してゆきたいものだ。
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管理人 ++.. 2005/10/27(木) 23:17 [47] |
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大男涙を落す記(北海道歌人と会見の記)
福田義正
(前略) 余市にアイヌの違星北斗君がゐる。彼の歌の力強い其内生命に驚嘆したのであつたが、親しく会つて見て、果して彼は普通駈出しの歌人でないことを知つた。私は彼を敬慕する。彼は必ずや何か偉大な事を成し遂げる人物に相違ないと私は思ふ彼の将来を見たい (後略)
※(昭和二年十一月四日稿了)の記載あり。
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管理人 ++.. 2005/10/27(木) 23:36 [48] |
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「新短歌座談会」の全文を読んだんですが、瀬鬼惺さんがやたらと語気が荒いのは、前半でやたらと叩かれたからですかね。 全文は95年版『コタン』掲載分の倍の長さがあり、前半の最後で瀬鬼氏の作品に対しての稲畑笑治の批判があります。その直後から、ほぼ最後まで並木・稲畑両氏の北斗への讃美に費やされています。 稲畑笑治は「瀬鬼君の歌は、目下の歌境から出てゐるものは、僕は、どうも余り感心しない」「感覚的で」と言っています。
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管理人 ++.. 2005/10/28(金) 00:02 [49] |
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編輯後記
(前略) △歌は厳選したつもりだ。この新生の雑誌に新短歌協会員の福田義正君を同人に、アイヌの口語歌人余市の違星北斗君を準会員にしたことや、各地方雑誌の代表者が加盟したのは特に感謝したい。本誌は新人諸君の大グラウンドとして自由な活躍を希望する (後略)(並木)
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管理人 ++.. 2005/10/28(金) 00:08 [50] |
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第2巻第1号(昭和3年1月)
積丹半島歌壇の現状
高橋白楊
(前略) 最後に余市に移ると、ここまた口語歌萬歳の旺盛ぶりである。そして最近ます/\盛んになつて来たのは争はれぬ事実で、次々と輩出される新人のみを見ても充分認め得られるであらふ。この余市にとつて大きな存在は何んと言つても大柿よしえ君である事実、大柿君の出現以来余市に於ける口語歌は急速度に普及して来たといつてもいゝ位である。 (中略)又極く最近、惑星的に出現した違星北斗君も、その将来を期待するに足るべき人と思ふ。殊に、民族的自覚の上から発せられた痛烈な叫びは、必ずや吾々に何物かを示して呉れるであらう。 (後略)
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管理人 ++.. 2005/10/28(金) 09:12 [53] |
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2号には一條迷洋という人の「東北海道口語歌壇の現状」という文章があり、そこに東北海道の雑誌として「白楊樹」のことがあがっています。
この白楊樹は北斗の遺稿編纂時に参照された雑誌の一つですね。
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管理人 ++.. 2005/10/28(金) 09:17 [54] |
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白楊樹の編集者は一條迷洋、同人としては田村信吉、吉岡謙吉、黒汐晃一郎などがいるようです。
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管理人 ++.. 2005/10/28(金) 09:19 [55] |
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本道歌人百人一首(二) 読人しらず
(前略)
「俺はアイヌだ」正しい道を踏めばいゝ歌壇に気を吐く違星北斗
(後略)
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管理人 ++.. 2005/10/29(土) 09:37 [57] |
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「歌の作り方に就て」(福田義正)の「3 異彩を発揮せよ」に、北斗の
「しかたなくあきらめるといふ心、あはれアイヌを亡した心」が「ある程度の異彩を発揮している」歌として引用されている
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管理人 ++.. 2005/10/30(日) 00:28 [60] |
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> 本道歌人百人一首(二) 読人しらず > 「俺はアイヌだ」正しい道を踏めばいゝ歌壇に気を吐く違星北斗
これは、並木凡平か誰かの歌だと思います。北斗の短歌ではありませんので。念のため。
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管理人 ++.. 2005/10/30(日) 00:32 [62] |
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