北斗の墓は故郷の余市では見つからなかったのだけれど、(違星家の墓に滝次郎の名前はなかった)って、もしかしたら国柱会の合同墓地に入ってたりしないでしょうかねぇ。 宮沢賢治の妹も石原完爾も入ってるところですけれども……ちょうど昭和3年らしいんですよね、合同墓地が出来たのは。
ありえないかな~。 調べてみる価値はありそうかなぁ。
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管理人 ++.. 2005/11/19(土) 22:46 [72] |
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バチラーとの距離を保ち続け、「キリスト教ではアイヌは救えない」と言った北斗が、キリスト教に帰依することはありえないと思います。希望社は宗教じみてはいても宗教団体ではないですから。 余市の墓には入っていない以上、どこかに墓があるはず。 田中蓮代氏の「違星青年を悼む」を読むと、北斗は国柱会には、意外に深く入り込んでいるような感じでもあります。三保の集会に行ったりしているし、田中智学とも直接の面識があったようですし。
日記やその他の遺稿にその「国柱会」の文字が一切出てこないのは、キリスト者であった後藤静香の率いる希望社のさじ加減によるものだと思います。
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管理人 ++.. 2005/11/19(土) 22:56 [73] |
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国柱会本部に行ってきました。
結論としては、北斗の墓は、国柱会の共同納骨所にはない、とのこと。
国柱会では、昭和3年からのすべての納骨者の名前のリストがあるのですが、それには「違星」という姓の名前はありませんでした。
国柱会は宮沢賢治が通い、妹の骨を納骨したことでも有名ですが、東京空襲で納骨その妹のページがあやうく燃えてしまうところだったそうで、いまでもそのページには焦げあとがあるのだそうです。
そんな話を聞いてきましたが、戦前は国粋主義的で有名だった国柱会ですが、いまはとても穏やかで平和な団体なのですね。
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管理人 ++.. 2005/11/26(土) 14:50 [74] |
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