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2005年11月25日 (金)

新宿の北斗

 今、新宿にいます。
 この新宿は、今から80年前に、違星北斗(滝次郎)が職を得て、北海道の余市から出てきて住んでいたと思われるところ。
 新宿近辺、今は言わなくなったようですが、昔の地名でいうと「角筈」というところにあった、「東京府市場協会」というところで働いていました。給料40円。

 違星北斗は東京に憧れていました。
 なぜなら、幼いころ祖父から帝都東京の話を聞いていたからです。彼の祖父・万次郎は、明治政府のアイヌの教育のためのプロジェクトのために、その先駆けとして東京の芝増上寺へ留学していました。明治はじめのころです。
 このプロジェクトは、結局のところ頓挫し、現在にいたるまで非難を浴び続けているのですが、北斗の祖父万次郎は、孫たちにほろ酔い気分で東京の思い出話をしていたそうです。
 
 新宿駅。違星北斗は会社の遠足会に遅刻して、新宿駅のホームを走り、出発すれすれの電車に駆け込みます。当時の駅舎の面影はもうないでしょうが、目をつむるとホームを走る違星北斗の姿が見えるようです。
 この東京で、北斗は多くの知識人と出会い、その知識と思想を高めてゆきます。アイヌ研究の金田一京助、沖縄学の伊波普猷、元革命家で作家の山中峯太郎、社会教育家で「希望社」主宰の後藤静香、日本共産党の創立メンバーで転向して修養雑誌を作っていた西川光次郎、石原莞爾や宮沢賢治が関係していた日蓮系仏教団体「国柱会」の田中智学、中原中也に影響を与えたという「大空詩人」永井叔、等等。

 中でも金田一京助は、その後の北斗の活動に多大な影響を及ぼす二人の女性の存在を彼に教えることになるのですが……あんまり詳しく書くときりがないのでここでやめておきます。

 これらの知識人や、多くの温かい人々との出会いに恵まれ、幸福な東京での生活を、違星北斗は一年半で断ち切って、故郷の北海道へと舞い戻ります。

 ほかならぬアイヌの手によって、アイヌの根本的な研究を行う決意をしたからだといいます。
 北海道に戻ってからの北斗は研究者としてよりも、むしろ歌人として、また運動家としての活動が目立っています。
 願わくば、天がもうすこし彼に命を与えていたらと思います。そしたら研究者としても成果を残せたかもしれないのですが。
 彼は東京から北海道に戻って二年後には結核で倒れ、3年後には志半ばで亡くなっています。

 で、新宿です。
 私は基本的には人ごみはダメなんですが、人でごったがえす新宿西口にも、北斗はうろうろしていたんだと思うと、なんだかいとおしく思えてきます。

 これは、15年前に初めて東京・新宿に訪れた時には考えられないことでした。あの時は、自分は異邦人だ、まわりはみんな東京人だ、なんていう感じでバリアを張っていたのですけれども。
 80年前に生きた1人の人間を通して街を見ると、こんなに見え方が違うんだなあ、と最近はつくづく思っています。

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