« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月

2005年12月21日 (水)

大正14~15年

 

 違星北斗が東京ですごした、この2年間のことを、徹底的に調べてみたい。
 1日1日、その日に何があったかとか、同じ時代、同じ東京で生きていた誰かが、どんなことを書いていたかとか。
 どんな事が流行っていて、どんな映画がかかっていて、どんな店があって、どんなメニューがあって。
 その時代を、感じたい。

 あらゆることを調べて、北斗の過ごした「モシノシキ」東京を自分の脳内ででもいいから、ヴァーチャルに再現したい。

 この2年間、いや、北斗がいた1年半だけでいい。
 徹底的に調べてみたい。

 簡単なことじゃないけれど、そうしないと、本当に北斗の東京はわからないんじゃないかと思う。

管理人  ++.. 2005/12/21(水) 23:55 [80]

2005年12月11日 (日)

凸天と凹点

かつて、あらやさんにご指摘いただいたことかもしれませんが……

中里凸天(篤治)のペンネームの「凸天」は、やっぱり大正期の漫画家・アニメ作家(!)の「下川凹天(へこてん)」と関係あるのでしょうか。

これは一つの空想として考えたいのですが、もしそうだとしたら、中里凸天は漫画に興味があったのかもしれません。

もし、仮に、あくまで仮にですが、中里凸天が「下川凹天」を意識したものであれば、凸天は「とってん」あるいは「とってん」と読むのではなく、「でこてん」と読むのかもしれませんね。

大正初期には、アニメーション映画(漫画映画)は一様に「凸坊(でこぼう)新画帳」と呼ばれていたそうなので。

まあ、妄想のようなものですね。
忘れてください。

2005年12月 2日 (金)

阪妻と北斗

仕事で映画の歴史について勉強中。
特に興味深いのは黎明期、無声映画時代のスターたち。「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助とか、「阪妻」阪東妻三郎とか。明治末とか、大正時代なんですよね。

僕の調べているアイヌの歌人・違星北斗も東京時代にこういう映画を観たんだろうなぁ、とか思いながら勉強していました。

そういえば「阪妻」といえば……。

「阪妻の型をまねする子供等の、元気は俺のどこにもないのだ」凸天

これは、違星北斗の歌ではなくて、その従兄弟で幼馴染み、共に「コタン」という同人誌を出版した中里篤治(凸天)の病床の短歌です。昭和2年の作だと思われます。
なるほど。大昔の映画スターって、子供達のアイドルでもあったんですね。今のライダーとかレンジャーみたいなもんでしょうか。たぶん。

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

フォト

違星北斗bot(kotan_bot)

  • 違星北斗bot(kotan_bot)
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ