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2005年12月11日 (日)

凸天と凹点

かつて、あらやさんにご指摘いただいたことかもしれませんが……

中里凸天(篤治)のペンネームの「凸天」は、やっぱり大正期の漫画家・アニメ作家(!)の「下川凹天(へこてん)」と関係あるのでしょうか。

これは一つの空想として考えたいのですが、もしそうだとしたら、中里凸天は漫画に興味があったのかもしれません。

もし、仮に、あくまで仮にですが、中里凸天が「下川凹天」を意識したものであれば、凸天は「とってん」あるいは「とってん」と読むのではなく、「でこてん」と読むのかもしれませんね。

大正初期には、アニメーション映画(漫画映画)は一様に「凸坊(でこぼう)新画帳」と呼ばれていたそうなので。

まあ、妄想のようなものですね。
忘れてください。

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