資料を整理していたら、こんな新聞記事が出て来ました。ウタリ協会でコピーさせて貰った記事です。
北斗の句碑が建立
アイヌ歌人 余市のモイレ山頂
【余市】本道歌壇に特異な一を占める余市生まれのアイヌ歌人、違星北斗の句碑が完成、同町のシンボルであるシリパ山をはるかに見渡すモイレ山頂に建てられた。句碑は余市にふさわしい内容で「雪浅き鰊の浦や雪五尺」。この石碑を揮毫(きごう)もした俳人でもある沢口町教育長は「郷土が生んだこの偉大な歌人を多くの人に知らせたい」と感慨深げだった。 歌人、違星北斗は本名を滝次郎といい、明治三十四年同町で生まれた。少年時代は鰊漁で日雇い、造材人夫、鉱夫など苦労を重ね、大正十四年上京、金田一京助の知遇を得るが、翌年ウタリの生活苦を知っていながら、自分一人が安楽な生活をしておられないと帰道、日高二風谷のバチェラー園の日雇いになり、さらに売薬行商までするが、昭和四年、二十九歳で病死した。しかし、そのきびしい生活の中から短歌や俳句を作り、人間解放の切実な叫びを託した。 この短いが、真しな人生を生き抜いた歌人の存在を郷土余市に示そうというのが句碑の建立計画となったわけで、数多い作品の中から余市にちなんだ俳句で「春浅き鰊の浦や雪五尺」が選ばれた。石碑は沢口教育長の寄贈、建立作業は町教委職員が労力奉仕と地元町民が力を合わせて、今月一日にモイレ山頂に句碑が建った。 句碑は一メートル四方の小さなものだが、句碑の背後にはニシン漁で栄えた余市の海岸とシリパ山がくっきり。最適の場所に建てられたこの句碑は町民だけでなく、広く道内外に北斗の存在を伝えることになる。
(北海タイムス昭和52年11月4日(金)) ※上の記事では「バチェラー園」が二風谷にあることになっているが、もちろんこれは平取町の誤り。死亡年齢も27歳で、数えが29歳。また「売薬行商までするが」というように書かれているが、むしろ北斗は道内コタン巡礼の手段として売薬行商をあえて選んだのである。 現在、この句碑はあることはあるが、そこに何の注釈もなく、北斗の名も刻まれていないため、とても北斗の存在を伝えるという役目を果たしてはいない。
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管理人 ++.. 2006/01/05(木) 01:17 [82] |
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