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2006年1月29日 (日)

国柱会三保夏期講習会

 

 『国柱会100年史』によれば、北斗が参加した「三保の講習会」は、8月と12月に行われています。
 北斗が参加できた講習会は大正14年の8月か12月のどちらかになります。
 
 このどちらに参加したかは、今のところわかりません。
 夏は「第三十一回 大正十四年八月三日より十日間」で、田中智学の講義は「妙行正軌」。
 冬は「第三十二回 大正十四年十二月二十七日から十日間」。田中智学の講義は「法国冥合と本門本尊」。

 内容は

 正法正義を確立し鼓吹する本会は、いきおい説法講義の機会が必要であり、同志もつとめて聞法するよう訓練づけられた。その会員の行解鍛錬の場が、本会独自の講習会で、朝から晩まで、俗世を離れた法の道場に身をおき、多くの信友と起居を共にし、ご本尊を中心に合掌に起き合掌に寝る、つまり環境から形を通してまず体に法を読み魂に染みこませる、そういう生きた修行の場で、会員はいつとはなしに薫染されて、安心が決定していったのである。
 戦前は、男性は必ず羽織と袴を着用、居眠りをしようものなら、遠慮会釈なくチョークが飛んだ。「合掌以敬心欲聞具足道」の実践である。しかし茶談会や納涼談話、スポーツや遠足など、童心に帰ってみな愉しく語りかつ遊びもした。(中略)この伝統の講習会に参加したものは、みな魂の底から蘇生した心地に住し、いずれも生涯の思い出として信行の誓いを固めたのである。



管理人  ++.. 2006/01/29(日) 10:14 [109]

本化仏教講習会の開講

 霊峰富士に直面する三保の貝島に、さながら竜宮城のごとき最勝閣が建ったのは、明治四十三年七月である。
 最勝閣の「仏子の間」には、聖伝画二十点・宗史画十余点が掲げられ、細心の工夫がはらわれた諸設備は、本門戒壇の霊地たる富士を朝に夕に望みうる環境とあいまって、最高の教育道場であった。(中略)
 講習会の内容について、先生が「学問以上の大学問」と言われたのは、「国民の魂を造り出す学問、国家に魂を入れる学問」を教えたからである。講義は先生を主として、門下同人、宗門の碩学および日蓮主義に鑽仰の志ある緒名家によってなされた。講義のほかに討論会、幻燈講話、少年講話、婦人講話、演説会、運動競技会、修学旅行、茶談会、宗曲・雅楽の演奏など多彩な内容があり、通学をあわせて日々三百人をこえる聴講生に与えた感化は、じつに大きかった。

管理人  ++.. 2006/01/29(日) 10:28 [110] 

さて、問題は北斗は夏か、冬かどちらの講習会に出たかですが……

 日程的には東京府市場協会の「サラリーマン」だった北斗には、8月3日から10日間の夏の講習会よりも、年末年始の冬の方が参加しやすいような気がします。

 もちろん、北斗が10日間全部出たというわけではなく、数日間のみの参加しているという可能性もありますが。

 先日の筑波登山も含めて、空白だった東京時代が、すこしずつ埋まってきました。

管理人  ++.. 2006/01/29(日) 11:42 [111] 

ということは……。

 北斗も羽織袴で講習を受けて、無心に「南無妙法蓮華経」を唱えたんでしょうね。
 おそらくは、10日間も!

 これは「講習会」というよりも、「セミナー」あるいは「合宿」、もっといえば「修行」といってもいいでしょう。
 
 これは想像以上に熱心な信者ではないでしょうか。
 
 日記のバチラー八重子の平取教会についての記述「宗旨の違う私も」というのも、これならわかる気がします。

 

管理人  ++.. 2006/01/30(月) 17:19 [112] 

記憶だけで書いたら、全然違いました。

ヤヱ・バチラー氏のアイヌ語交りの伝道ぶり、その講話の様子は神の様に尊かった。信仰の違ふ私も此の時だけは平素の主義を離れて祈りを捧げた。アイヌ語の讃美歌……あの時の声音は今も尚耳に残って居る。


大正14年後半から大正15年の初夏にかけての北斗の行動がつかめないのは、国柱会の国家主義的日蓮主義に傾いていたというのもあるのでしょうか。

かといって、北斗は金田一京助に国柱会のことを報告したりしていますし、仕事もちゃんとしていたようですから、普通に日常生活を送っていたはず。後藤静香、西川光次郎などとも関わりを断っているわけではないようです。

しかし、この当時の修養雑誌などを読んでいると、西川光次郎にしても、後藤静香にしても、宗教の上位に国家主義をおいているので、不思議と各宗教と国家主義が共存できていたようですね。キリスト教でさえも。

上手く説明できませんが、「生活向上」や「修養」という上昇志向で善良なキーワードが、いつのまにか「国家のためにお役に立てる人間になる」というベクトルに向いていて、真面目さや向上心が、うまくスムーズに「国家主義」にスイッチングされるような風潮とでもいうのでしょうか。

西川光次郎や後藤静香の掲げた「修養」という言葉。
放っておけない言葉。

あきらかに存在したムーブメントのはずなのに、どうしてこれほどまでに黙殺されるのか。

希望社にしても、それなりの影響力を持っていたのに、どうしてそれに関しての研究が行われていないのか。

不思議です。



 

管理人  ++.. 2006/02/01(水) 10:11 [113]

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