私は、幽霊や、超能力や、生まれ変わりやらといういわゆる霊感、オカルトの類をあまり信じてはいないのですが、それはなぜかというと、若い頃にどっぷりと浸かっていたんですね。ワンダーライフというオカルト誌の愛読者でしたから。
しかし、ある時からそれを卒業して、頑なに否定するようになりました。 テレビなんかで、そういうオカルトな人を見ると、非科学的だとか、浅はかだとか思うようになったんですね。
だけれども、違星北斗を調べるようになって、そういうオカルトを信じる人を否定したり、軽蔑したりするのは間違っていると思うようになりました。
自分の物差しだけで、人をはかってはいけない。あるいは、現代人の物差しで、過去の時代の人々の価値観をはかってはいけないんだと思うようになりました。あるいは、自分の属する文化圏の基準を、他の文化を人々に押しつけてはいけないんだと思います。
北斗の生きた戦前の人々は、たぶん現代人の我々よりも非科学的で、信心深い。 北斗が会った人々だってそうだ。 霊感(オカルト的な意味だけでなく)によって動かされている人たちが多いと思う。 希望社の後藤静香は霊感の人だと思うし、バチラーも心霊術をよくした人だった。山中峯太郎は第六感、今日でいえば「超能力」と呼んでもさしつかえないような能力を持っていたそうだし、永井叔は今日的にいえば多分に「電波系」なところがあると思う。 西川光次郎は金光会や大本教の出口王仁三郎といった宗教関係者とつながりがあったようですし。(どの程度かはわからないが)。 そして、北斗。 「アイヌの姿」に
鮮人が鮮人で貴い。アイヌはアイヌで自覚する。シャモはシャモで覚醒する様に、民族が各々個性に向って伸びて行く為に尊敬するならば、宇宙人類はまさに壮観を呈するであろう。嗚呼我等の理想はまだ遠きか。
とある。この一気に宇宙の高みへのぼってゆき、世界を見下ろすような感覚は、何かに似ているような気がします。
何代か前の主人が海上に漁業に出でしに、船中にて恍惚として霊域に入り、江戸も樺太も何処でも見得た。是れは神通自在の「ヌプル」に成りかけたのであつた。 (「アイヌの秘密数件」) この北斗の祖先が体験したという「霊域」、あるいは「幽体離脱」(!?)の感覚ににていないだろうか。 北斗は後藤静香と会った時、電気に撃たれたようになった、と「故人の霊に」にある。ほかにも穿った読み方をすれば、そういう箇所は探せばあるだろうとおもうんです。 無論、僕は、わざわざ北斗をオカルティストだというように読み直したいわけではないし、そうだとも思わないのですが、ただ、霊感のようなものについて、当時の人々の感覚を、あらためて考え直してみる必要があるのではないか、とは思います。
北斗は充分に理性的でも、科学的でもあったけれども、それでもまだ、我々が思う以上に「霊感」に動かされていたのだと思う。
時代がそうだったのかもしれない。あの時代は、みんな「神がかっていた」ような、そんな気もする。 だから、現代人の潔癖な「科学的」な物差しではかってはいけないのだとおもいます。
別に僕自身がオカルトを信じるようになれというわけではなく、オカルトを信じる人々を、そうでない人と同じように信じるということ、それが肝要かと思います。
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管理人 ++.. 2006/01/16(月) 23:08 [91] |
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