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2006年3月 6日 (月)

東京での調査3 三河屋

3月5日、新宿歴史博物館へ。

 学芸員の方に東京府市場協会の場所と、北斗の送別会が行われた「四谷の三河屋」について、聞きました。

>  そういえば「自働道話」大正十五年八月号に
>
>  △アイヌ族の青年違星北斗君が、アイヌ族の根本的研究を思ひ立ち、市場協会を辞して、北海道に帰へらるゝことになったので、六月末日、一夕、違星君を招き、高田、額田、佐々木、高山の諸君と共に、四谷の三河屋で会食いたしました。
>

 歴史博物館に至る道のりの途中、この「四谷の三河屋」について、四谷で聞き取り調査してみました。
 これは牛鍋のお店で、東京でも有数の名店だったそうです。
 通りがかりのご老人や、古そうなお店の方にお聞きしたのですが、半分以上は「知らない」とのこと。
 80年も前のことだから、そりゃそうでしょうね。
 一人、80過ぎぐらいのご老人が「あったあった、通りの右側にあった」とおっしゃってくださいました。
 通りというのは、四谷見附の交差点のある、新宿通りのことです。

 この三河屋の場所、四谷見附の新宿通りの、右側にあったということですが、詳しい場所は結局わかりませんでした。
 
 ただ、歴史博物館でお見せいただいた地図によると、「東京府市場協会」の四谷の支部(?)がこの界隈にあったんですね。現在の四谷1丁目の、23番地です。

http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E139.43.51.0N35.41.2.3&ZM=11&CI=R&OMAP=E139.43.51.0N35.41.2.3&SMAP=E139.43.51.0N35.41.2.3&SP=1&MS=1&KN=0&CTG=&CT=&CW=&s1=%A2%A9160%2D0004%20%20%C5%EC%B5%FE%C5%D4%BF%B7%BD%C9%B6%E8%BB%CD%C3%AB%A3%B1%2D%A3%B2%A3%B3

今の東貨健保会館のある場所です。
北斗は四谷もウロウロしていたんでしょうね。

管理人  ++.. 2006/03/06(月) 15:26 [130] 

四谷三河屋情報
『蘭亭ぽん多』のホームページ
 http://www.tcn-catv.ne.jp/~rantei/syokubunka.htm
黒田清輝日記(黒田清輝記念館)
【1915.12.14】    http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/k_diary/japanese/1915/dy9151214x.html
【1918.01.26】
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/k_diary/japanese/1918/dy9180126x.html
日めくり漢字歳時記
http://www.migikata.net/kanji_saijiki/200412/a/a_20041229.html
白鳥省吾関連年別データベース
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~y-sato/mtdata13.htm

三河屋にはカフェも洋風酒場もあったんですね。

管理人  ++.. 2006/03/06(月) 16:26 [131]

今和次郎の『新版 大東京案内』(ちくま文庫)の「味覚の東京」に

 日本独特の牛鍋は、また東京自慢の一つで、銀座の「松喜」。四谷の「三河屋」。よし町の「今清」に神田の「今文」。

とありますね。

また仲田定之助の『明治商売往来』(ちくま文庫)の「牛鍋屋」の項には

 東京一の牛屋と世評が高かったのは四谷見附の三河屋だったが、地理的に遠かったのでわたしは一、二度しかいったことがない。とあります。
 
やはり有名な牛鍋屋だったんですね。

管理人  ++.. 2006/03/07(火) 00:37 [133]

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