東京での調査1 東京府市場協会
午前中、国会図書館で調べ物 1. 現代配給組織鉤玄 / 高見沢清. -- 東京府市場協会, 昭和3 これは、国会図書館にある唯一の「東京府市場協会」発行の書物です。この市場協会とは、東京時代の北斗の勤務先ですね。 内容は、市場協会の高見沢氏(北斗の身元引受人といってもいいでしょう)の書いた、流通の組織化についての理論。むづかしくてとても理解できませんが、この市場協会のような組織は、「米騒動」をきっかけとして生まれたようです。府なり市なりが介入する「公設市場」を設けることにより、物価の高騰を防ぐのが目的だったとおぼろげに理解しています。 (こんどもっとちゃんと調べておきます)。 で、私にとって重要なのはその中身ではなく、その「奥付」です。 北斗の勤務地を特定すること。 高見沢清の住所は 「東京府豊多摩郡淀橋町字角筈316番地」 で、これは前から知っていたのですが、 財団法人 東京府市場協会は 「東京市四谷区三光町46番地」 だそうです。 ここが、違星北斗の、勤務先だということでしょう。 そういえば「自働道話」大正十五年八月号に △アイヌ族の青年違星北斗君が、アイヌ族の根本的研究を思ひ立ち、市場協会を辞して、北海道に帰へらるゝことになったので、六月末日、一夕、違星君を招き、高田、額田、佐々木、高山の諸君と共に、四谷の三河屋で会食いたしました。 とありましたね。四谷はホームグラウンドだったわけです。 |
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管理人 ++.. 2006/03/05(日) 00:20 [119] |
…と思ったら、「三光町」は今の新宿5丁目なんですね。 やっぱり「新宿」か。 | |
管理人 ++.. 2006/03/05(日) 00:41 [120] |
北斗がいた「東京府市場協会」ですが、番地の上では花園神社の裏あたりなのですが、戦前の地図では、隣接する地域、今の「新宿ゴールデン街」のところにあったりしています。 ゴールデン街の歴史を調べると、なにか出てくるかもしれないですね。 | |
管理人 ++.. 2006/03/06(月) 12:58 [127] |
これについては、研究会でお会いしたYさんに、早々にメールでご教示いただきました。 以下、Yさんのメールから: >三光町の件、さっそく調べてみたところ、下記でHITしました >http://www.geocities.jp/pccwm336/sub12.html >(この中の花園神社の説明のところ) >新宿東口から伊勢丹に向かい、北に2本ほど通りを越えると >花園神社があります。 >あそこが廃仏毀釈前は三光院という寺院と同居していて、 >あたり一体が三光町だったそうです >現在の新宿5丁目の一部にあたるようです なるほど。 北斗の勤務先の市場協会のあったのは、46番地になるのですが、花園神社と同じ区画に入っているので、神社の裏、もしくは「一部」になってしまいます。 戦前の地図では道路を挟んだところ、52番地に(現在の新宿ゴールデン街の一帯)に「新宿市場」があります。しかし、46番地の市場協会の事務所はそこではないと思います。 現在、花園神社の西側の地下はコンクリートの建物で盛り上げられていて事務所のようになっています。ゴールデン街とは5メートルぐらいの高低差があるんです(表現難しい)。 現在の花園神社界隈【横から見た図】 西<>東 もと新宿市場 /本\ 花園神社 _ ゴールデン街 _|殿|______H_ _ロロロロロロ__ロロ ↑ここに伊勢丹などの事務所・倉庫がある この、花園神社の地下の事務所の部分がもしかしたら、市場協会のあった46番なのかもしれないと思ったのですが、このような高度な建築が当時可能だったのかとも思います。 花園神社の方にお聞きしたところ、神社の本殿は昭和40年代に神社の中で移動したということですから、本殿がのっかっていなかったとしたら、もしかしたら大正末にもこういうような建築が可能だったのかもしれません。 | |
管理人 ++.. 2006/03/06(月) 14:19 [129] |
ゴールデン街の由来は戦後の「闇市」なんですね。 なるほど、かつて新宿市場だったところに闇市が立つというのはよくわかる気がします。 ゴールデン街の公式HPには、何もないすすきの原だったようなことが書かれていますが、それはどうなんだろう。 戦前のすくなくとも昭和12年ごろの地図には都電の車庫と花園神社に挟まれた形で新宿市場があるわけで……ススキの原になったとしたら、戦争で焼け野原になったあとかもしれないですね。 | |
管理人 ++.. 2006/03/07(火) 10:46 [135] |
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