この手紙は、札幌市の早川勝美氏から勇払郡穂別町富内駅勤務の谷口正氏への手紙。昭和41年5月13日の消印。
谷口正氏は、湯本喜作『アイヌの歌人』の執筆に際し資料を送るなどして協力した人物。この本によると、自ら『コタンの夜話』という著作があるそうです。
以下、要点のみを書きます。
・早川氏は昨年(昭和40年)は3度余市を訪ねた。その際に違星家の人と会っている。 ・違星家は早川氏が訪れるよりも以前に火事になり、北斗の遺した資料もすべて焼かれてしまった。 ・北斗の甥にあたるM氏も北斗についてほとんど印象がなかった。記憶に残っていることも、日記に書かれているようなことのみ。 ・たまたま、80過ぎのお婆さんで、トキさんという北斗のことをよく知る人がおられ、その人にいろいろ聞くことができた。 ・トキさんは北斗より18歳年上で、U家の人。 (山本注:U家は北斗の祖父万次郎の実父イコンリキの家系。違星家はイソヲクの家系で、万次郎はU家からの婿養子)。 ・トキさんは北斗が病気で床に伏しているときに、妹とともにかわるがわる看病をしたそうです。
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管理人 ++.. 2006/04/20(木) 23:56 [178] |
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では、以下からは早川氏のトキさんからの聞きとりです。要点を引用します。
タケジロウは、頭の良い立派な男だった。イボシの家で顔は一番まずかったけれど、勉強はよく出来、暇さえあれば中里の息子(篤治のこと)と人を集めて何やら書いたり読んだりしていた。
いやいや、私は北斗は男前だと思います。
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管理人 ++.. 2006/04/21(金) 04:05 [179] |
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いつのころか忘れたが、タケがまだ余市に居る頃だった。丁度鰊時で浜がにぎやかだつた頃だ。漁場に出稼ぎに来ていた樺太アイヌのメノコで、Sというきれいなおなご(女子)がいた。 そのおなごがタケに惚れて、タケと一緒に暮らすようになった。いくらぐらい一緒にいたか忘れたが、そのうち女に赤ん坊が生まれ、その子にトモヨと名付けて可愛がっていた。もちろん籍なんて入れてなかったが、子供がうまれたので、入れるつもりだったが、子供を生んで二十日もたたないうちに、赤ん坊を連れてそのおなごは、余市から出ていった。
北斗に妻(籍を入れていない)がいて、その人との間に娘がいた、という証言ですね。 (余市に行ったとき、こういうことがあったと地元の方からお聞きしていましたが、それが「娘」であるというのは初めて聞きました)。 この娘の名前の「トモヨ」というのは、日記に出てくる名前です。 「今日はトモヨの一七日だ。死んではやっぱりつまらないなあ」という記述が昭和3年9月3日にあります。 これまでこれが誰なのか謎でしたが、娘だったとしたら、あの日記の記述も、意味が大きく違ってきますね。 一七日とは、初七日のことです。北斗は病床で離れて暮らす幼い娘の死を知ったということになります。
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管理人 ++.. 2006/04/21(金) 04:06 [180] |
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そのおなごは、タケが死んで三年たってから、一度イボシの家に来ていったが、その後は何の便りもないし、どこにどう生きているものか…。 タケが余市から出ていったのは、その嫁が出ていってから、一カ月ぐらい後だった。それから暫く家に戻って来なかった。いつごろだろうかはっきりしないが、雪が解けはじめる頃だった。昔の面影なんぞまったくなく、大きな目だけギョロギョロさせて帰ってきた。わしが訳をたずねると、又肺病にかかったと笑っていた。
この女性と一緒に暮らした期間ですが、まだ特定できていません。日記の残っていない昭和2年かもしれませんし、大正13年以前かもしれません。 女性が出て行ってから、北斗もしばらくいなくなったというので、その期間がもしかしたら東京時代をさすのかもしれませんが……今の段階では情報が少なくて、よくわかりません。
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管理人 ++.. 2006/04/21(金) 04:30 [181] |
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それから三、四カ月ぐらいしてだったか、血を吐くようになったのは、家の者にも嫌がられ、他の者からは肺病たかりといって、何度床に戻って泣いたことか。
これは昭和3年の発病かもしれないですね。このまま寝付いてしまったような感じです。
わしは、一日も早く良くなってほしいものだから、山からよく山ねぎを取ってきて、茄でてよくタケに喰わしたもんだった。タケの妹のハルヨもよく看病した。血を吐くタケの背を何度もさすってやっていた。家の者は皆タケには冷たかった。妹のハルヨも肺病で死んだが、ハルヨもタケに似てか頭がよかった。 タケは、大きな部屋に独りで寝ていた。寝ながらでもなにか一所懸命本を読んでいた。
妹のハルヨ……聞いたことがない名前です。いままで知っていた妹の名前とはちがいます。実妹ではなく義妹かと思ったのですが、「タケに似てか頭がよかった」とありますので、実妹なのでしょうね。 |
管理人 ++.. 2006/04/21(金) 04:39 [182] |
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それからしばらくした雪の降る寒い日だった。わしが炉に火を入れようとした時だった。タケが死んだといって梅(北斗の兄梅太郎のこと)がいってきた。わしは夢中で冷たいのも知らないで、ハダシのままタケの家に行った。一つも口を聞かなかった。 それから間もなく、タケと仲良しだった中里の息子が死んだのは。ほんとうに頭の良いものばかり、皆先に行ってしまって、余市のアイヌもタケらの時代で終わりじゃ。 この証言も生々しいですね。 北斗は雪の降る寒い朝に死んでいったんですね。
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管理人 ++.. 2006/04/21(金) 04:47 [183] |
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