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2006年4月17日 (月)

「放浪の歌人・違星北斗」より


 武井静夫「放浪の歌人・違星北斗」より、オヤッと思ったところを抜き出してみます。
 この作品は、基本的には小説風の評伝といった感じですが、わりと精確なデータに基づいているような気がしますので、資料的にも価値があると思います。
 しかし、残念ながら掲載紙が不明で、入手したものは第二回までしかありません。
 北斗の誕生前より、小学校時代までしかありません。

 北斗違星滝次郎がいつ生れたかは、定かではない。明治三十四年の、多分暮れもおしせまってからのことであったろう。

 また、滝次郎と同じ頃、中里徳太郎の子供も生まれたとあります。

 万次郎は、この孫に滝次郎という名をつけることにし、生れた月を明治三十五年一月一日とした。徳太郎もそれに合わせて、子供の生れた日を一月一日にすることにした。名前は元三とした。

 また、北斗の兄弟姉妹についても、除籍簿をもとに詳しく書いてあります。

 万次郎は、伊古武礼喜の子供として、嘉永五年(一八五二)九月十一日に、後志国余市郡川村番外地に生れている。伊古武礼喜は、イコンリキに当てた漢字名である。川村は余市町大字大川町と改称される。妻のテイは、同じ川村の伊曽於久(イソオク)の娘で、嘉永六年九月六日に生れている。万次郎より一つ年下である。二人の間に、長女テル(明治一九・一一・六生)と、二女のキワ(同二九・一二・一四生)とが生れている。
この籍に養男として、甚作が入る。文久二年(一八六二)十二月十五日に生れているから、十歳しか年が違っていない。
この甚作が、やはり同じ川村から、妻のハル(明治四・九生)を迎え、明治二十五年一月八目に、長男の梅太郎を生んだ。翌二十六年二月五日、二男が生れているが、三月九日に死去、ついで二十七年五月十目に、長女ヨネが生れている。二女ハナは、二十九年八月十六日に生れて、三十二年十一月二十三日に死亡する。この二十九年は、万次郎の二女キワの生れた年である。
滝次郎は、養子甚作三男として、明治三十五年一月一日に生れたことになっている。この日、中里徳太郎の家では、長男の元三が生れている。ついで甚作の家では、四男竹蔵(九日で死亡)、三女ツ子、五男松雄(四カ月で死亡)と生れる。六男竹雄とはふた子である。


 これによると、イコンリキの子である万次郎は、イソオク(違星家)の娘ていの「婿養子」になるようですね。
 北斗の父・甚作は婿養子ではなく、男児がなかったために中里家からもらった養子になります。
 一説には梅太郎はハルのつれ子で、甚作とは血のつながりはないという話があり、それが原因で梅太郎と北斗は仲がよくなかったという話を聞きましたが、確証はありません。
 いずれにせよ、戸籍上は『コタン』の八人兄弟は正しいようです。
 ただ、甚作とハルの間にはこの他にも養子がいたようではあります。

管理人  ++.. 2006/04/17(月) 00:33 [171]

 出生届けを出したのは、

ようやく一月九目になって、出生届を持ち役場に出かけた。

 とあり、届けたのが一月九日だということです。
 北斗と同じ一月一日生まれとして届けられた中里元三は、

 中里元三は、三月二十四日に、母のサワとともに、戸籍に入れられた。しかし、その翌月の四月十五日に死亡した。わずか数か月の生命であった。

 とあります。
 
 また、「違星」姓について、

 違星はイボシなのかエボシなのか、はっきりしていない。このいきさつからいうとイボシでいいはずであるし、滝次郎自身も「我が家名」で、イボシと読み慣わされるようになったといっている。しかし、本人はエボシと言っていたらしく、古田冬草は「違星北斗のこと」(昭和二八・三『よいち』)において、わざわざエボシとかなをふっている。

 これは、イボシでいいのでしょう。ただ、北斗自身の発音がよくなかったのだと思います。
 この古田の記事は、探してみたいと思います。
 『よいち』(昭和二十八年)は道立図書館にあるようですので、また調べてみます。

 

管理人  ++.. 2006/04/17(月) 01:03 [172]


 この「放浪の歌人・違星北斗」は、だいたい次のような内容になっています。

第1回
●北斗誕生前夜。祖父違星万次郎と、若き中里徳太郎。徳太郎の結婚。
●徳太郎の父・徳蔵の死(和人によるリンチ:金田一の「あいぬの話」より)、その後、徳太郎の小学校入りに万次郎が尽力したというエピソード。
●違星甚作・ハルの子として滝次郎誕生。同じ頃、中里元三誕生。ともに1月1日生まれとして戸籍にいれる。
●違星甚作とハルの子どもの誕生と死を除籍簿より紹介。
●徳太郎の子、元三の死。

第2回
●万次郎の回想。余市場所の歴史。
●万次郎の少年時代、東京留学。
●違星家の家名とエカシシロシ
●滝次郎の幼少期
●滝次郎の小学校時代
●奈良直弥先生
●滝次郎の小学校時代の成績と病気、母の死

 と、まあこんな感じです。

管理人  ++.. 2006/04/19(水) 23:00 [173]

明治四十一年四月一日、滝次郎は、余市大川尋常高等小学校に入学した。
前日、新しく洗いなおしてもらった着物に着かえると、胸がわくわくした。わらぐつも新しくなっていた。教科書はふろしきにつつんで、背中にしょった。
学校へは万次郎が連れていった。父の甚作は出稼ぎが多いせいもあって、公的な会合には、いつも万次郎が出た。保護者にも万次郎がなった。万次郎は弁もたったし、読み書きにも通じていた。
担任の先生は、奈良直弥といった。小柄でやさしそうな人だった。滝次郎は、毎日の学校が楽しかった。勉強もよくわかったし、先生もたえずはげましてくれた。


 このあたりは、どこまで信用していいもんかわかりませんね。
 例えば、公的な会合にはいつも万次郎が出たのか? 奈良先生は小柄だったのか? これを書いた武井氏はどこまで調べて書いたのかわかりませんので……。

  

管理人  ++.. 2006/04/19(水) 23:12 [174]

たとえば、次のようなエピソードも同様です。

クラスの中にも、意地悪な子がいた。体操の時間、徒競走の練習でころんでビリになると、おどり上って、「アイヌ!アイヌ!」と手拍子ではやした。それに五、六人が和した。
その騒ぎを聞きつけて、とんできた奈良先生は、いきなりその子をひきずり出して、なぐった。ふだんはおとなしい先生のはげしい怒りに、生徒はとまどってぼんやりしていた。
「友達の不幸を笑うやつがあるか」
先生はそう言っただけで、アイヌとも、滝次郎とも言わなかった。その目には涙がうかんでいた。
その子は、滝次郎のところへ寄ってくると
「許せな」
と、きまり悪げに言った。滝次郎は、そんな先生のはからいが気にいった。


 まったくのフィクションなのか、それともある程度事実を反映しているのか。

管理人  ++.. 2006/04/19(水) 23:20 [176] 

滝次郎の成績に関する記述です。

一年生のときの欠席は、二日しかない。成績も、算術と操行とが乙だけで、あとの科目はすべて甲である。
万次郎は、この成績をことのほか喜んだ。和人に負けなかったからではない。はるかにとび抜けた成績をとったこの孫の能力が、同族の未来をどうかえてくれるかに、期待したからである。
二年生になると、大病を病んだ。医者にかかるにも、金がなかった。病気欠席は、ついに五十七日におよぶ。それにもかかわらず、成績の中で下っているのは、体操の乙だけ、操行は甲に上って、甲の科目は五つにたっている。
注目すべきは、操行の甲である。品行方正で利はつな少年の面影を、そこにかいまみることができるのである。(中略)
四年生からは、事故による欠席が目立ちはじめる。事故とは、理由のわからない欠席ということである。この年十七日を数えた欠席は、五年生になって、なんと四十一白にも達している。成績はすべてが乙、これがあの滝次郎であったかと、疑いたくなるほどの変りようである。
この年、もう一つの悲しいできごとが重なる。母ハルの死である。
大正元年十一月十一目、ハルは四十一歳であっけなく死んだ。
(中略)
六年生になると、この事故による欠席は、二十三日にへる。この年、算数が甲に上っている。すくなくなった欠席日数が二十三目である。それだけ休んで、算術が甲なのである。そのことが、滝次郎の小学校時代を象徴する。この成績と欠席との奥に、やりきれない無念の表情が、今もありありとうかんでくるような気がする。大正三年三月、滝次郎は、尋常科を卒業した。


 このように細かい数字や評価について書かれていますので、おそらく実際に北斗の成績を調査したのだと思います。
 もう一つ貴重な情報は、大正元年11月11日という、母ハルの亡くなった日が記されていることです。

管理人  ++.. 2006/04/20(木) 07:53 [177]

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コメント

後日、この続きは見つかりましたが、第一章に比べると、たいした発見はありませんでした。

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