『初期社会主義研究11号』(初期社会主義研究会)に掲載の「詩人大塚甲山研究(1)―『鴎外日記』に現れた奈良農夫也の生涯 甲山と児玉花外との接点を探る』(きしだみつお)に、奈良農夫也のことが書かれていました。
森鴎外の「明治四十三年日記」四月十日に出てくるそうです。
「秋田県角鹿郡花輪町袋丁の人獣医奈良農夫也といふもの大塚寿助の紹介書を持ちて来訪す」
とあるそうです。 その時の風貌は髪の毛が肩を越えて長く、大塚甲山の紹介状を手に鴎外を訪れ、いきなり自分の日記を保管してくれと言ったそうです。
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管理人 ++.. 2006/07/14(金) 19:31 [240] |
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また、奈良農夫也は明治四十一年三月、三本木の青森県立畜産学校畜産科を卒業し、獣医師免許を取得したそうです。二十四、五歳の頃、上京して千住の木賃宿に一年ほど暮らし、労働して生活していましたが、そのころ徳冨蘆花と知り合ったようです。
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管理人 ++.. 2006/07/14(金) 19:32 [241] |
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その後、北海道に渡り、日高国沙流郡長知内教習所でアイヌ教育に従事していましたが、岩波書店の創始者、岩波茂雄の書いた開業の挨拶状に感動し、岩波書店の地方販売に協力し、「蘆花全集」を出す時には上京して編纂に協力したようです。 蘆花が昭和二年九月、「蘆花全集」が出たのが昭和三年頃です。奈良農夫也は昭和二年の四月に北斗に、西川光次郎からのお土産(海苔)を渡していますが、これは東京で受けとったものかもしれませんね。 この時点では蘆花がまだ生きていますが、生前に全集を出すというのはよくあることだと思います。 (ちなみに奈良農夫也の文章が「子供の道話」に掲載されたのが昭和二年二月号。すでに西川とは縁があるわけですね)。
浅草の木賃宿にいる時には子供に英語を教えたりもしていたみたいですね。 関東大震災の時にも岩波書店に援助をしています。
これらは「岩波茂雄伝」に載っているエピソードだそうです。
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管理人 ++.. 2006/07/14(金) 19:51 [242] |
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奈良農夫也は明治20年頃の生まれだそうで、北斗より十四歳ぐらい年上です。 そう考えると、思ったより年齢に差がありませんね。
奈良直弥は明治十六年に「北海道に移住」した人ですから、奈良農夫也とは、親子ほど年齢がちがいますね。やっぱり無関係なのでしょう。
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管理人 ++.. 2006/07/14(金) 20:00 [243] |
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