今回の度の収穫の一つとして、北斗の母校大川小学校で、北斗の小学校の卒業写真を発見できたことがありました。 情報公開の関係で、複写はできなかったのですが……。
突然お尋ねした大川小学校でしたが、教頭先生が話を聞いてくださり、調べてくださることになりました。 一旦、小学校を後にして、余市の漁場跡などを見学していたら、小一時間ほどして教頭先生から電話がありました。 大正3年の卒業アルバムが見つかったということでした。
再び、大川小学校に行き、教頭先生が持ってきてくださった大正3年3月に撮影された卒業写真を見た時、思わず息をのみました。
生徒それぞれの名前は書いてありませんでした。 しかし、一瞬で、どの子供が北斗、違星竹次郎であるかがわかりました。 北斗自身も書いているように、その学年でアイヌはおそらく北斗だけだったのでしょう。 (当時、アイヌの子弟は尋常4年で卒業でしたが、北斗の場合は母ハルの薦めで和人と同じ6年の過程を卒業したのでした)。 顔つきが、まわりの和人の子供と違って、目鼻立ちがはっきりして眉根が険しく、何より私には、ほかの子供たちと違う悲しみをたたえているような気がしました。 12歳の北斗は、大人の写真と同じように端正で寂しげで、やさしいまなざしをしていました。 大人の写真はゴツゴツした顔ですが、子供の北斗は顔が小さく、眉と目が近く、シュッとした凛々しい印象でした。 丸坊主で、まわりの子供と同じように、絣の着物に羽織を着ていました。 ああ、これが12歳の北斗なんだな、と思いました。 今はまだ、お見せすることはできませんが、いつか本を出したりするときには、ご相談ください、とのことでした。
|
|
管理人 ++.. 2006/09/23(土) 23:37 [273] |
|
|
|
« 「郷土誌 よいち」 |
トップページ
| 北斗の童話 拾遺 »
« 「郷土誌 よいち」 |
トップページ
| 北斗の童話 拾遺 »
コメント