石原千秋「百年前の私たち 雑書から見る男と女」 (講談社現代新書)より
(前略)一冊のごく一般的な修養書を少し丁寧に見ておこう。青木日蔭・村田天籟共編『努力と修養』(中村書店、大正四年三月)である。詳しく紹介して面白い本でもないので尻取りみたいな書き方になるけれども、悪しからず。 人は「社会の生活」をするために生まれてきたが、それができるような「完全の人」となるには、「人格」が備わっていなければならない。そういう「有用な人間」になるには「立志」がなければならなくて、立身出世をするためには修養を積まなければならない。修養とは「自分の心を修め、才知や道徳を養ひ成(たす)けるのを言ふ」。修養を以て事を為し遂げるには努力が大切で、努力とは「少しも間断(たえま)の無い、張り切つた心の働きを要する」ものである。ただし、それには「身体の健康」と「精神の弾力」とが必要である。 以下に『努力と修養』が述べる修養に必要なものを列挙すると、「品位」「独立心」「理想」「良心」「克己心」「我欲を去る事」「節倹主義」「常識」「不屈の精神」「高尚なる心性」「時間に対する経済」「公徳心」「勇気の養成」「事務と整理」「注意」「空想の排斥」「雑念を去るべき事」「秩序を正す事」「正直を主とする事」「機敏といふ事」「虚栄心の害毒」「孝の誉れ」「忠孝の大義」「武道の名誉」「孝道の鑑」「義理の苦心」「忠義の討死」「修養詩歌」。ああ疲れた、これで「完全なる人間」になれそうだ。
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管理人 ++.. 2007/06/01(金) 23:33 [322] |
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修養とは何か。 違星北斗が傾倒していた後藤静香や西川光次郎が唱えていた「修養」は、しかしなにも彼らだけの専売特許ではなく、時代の風潮だったように思います。 日本全国津々浦々の村々の青年団では講習会や夜学校が開かれてこのような「修養」が説かれていたわけです。 「完全なる人間」「よき人間」、もっといえば「よき日本人」として、いかにして「社会」(=「お国」)のためにお役に立てる人間になり、「立身出世」して「親孝行」をする。 このような模範的青年像に近づくことが、当時のまじめな青年たちの目標だったのです。そのベクトルのすぐ先にはうっすらと「軍国主義」の姿が見えそうになっているのですが、北斗の時代には、その先十年後に起こることはまだ見えていなかったのかもしれません。
まじめな北斗も「よい人間になりたい」との思いから、このような修養を志し、同時代の「正義」であるこのような考え方に従って行動してゆきます。
北斗は十代の後半から東京を後にする二十代半ばまでは、このような理想に燃えています。 しかし、北海道に帰ってからの北斗の中には、この理想に対しての迷い、活動との矛盾も出てきているように感じます。
北斗は、和人の教育者たちから得た「修養」というもののフォーマットを、そのままアイヌ民族の地位向上のために使いました。
確かに、国家が主導して、扱いやすい人間をつくっていくための教育だったのかもしれませんが、その時代の中にあっては、それは致し方がないことであると思います。 また作品の中で北斗が妙に国家主義的な発言を例にとって、和人の価値観を最後まで払拭できなかった云々という意見がありますが、それもまた、少し違う気がします。 若い頃の北斗の意見にはかなりの振れ幅があり、タイミングによって、その思想は変化しています。 今はまだ、彼の生涯にわたる思想の変遷を総括できるほど、その資料が見つかっていないというところだと思います。
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管理人 ++.. 2007/06/02(土) 00:11 [323] |
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