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2008年5月 9日 (金)

吉田巌日記から

 O先生から、吉田巌の書いたものの中に北斗のことが出ていたと教えて頂きました。

ありがとうございます。

 早速、収蔵されている図書館を調べましたところ、大阪府立図書館にあるようなので、行ってきました。

(1)O先生が教えてくださった記事

 帯広市社会教育叢書NO.2 『東北海道アイヌ古事風土記資料』

「日新随筆」の中の「古潭春秋〈上編〉成蹊録」より

 東京日日新聞に、違星竹次郎君の記事が、金田一氏によつて報ぜられた。4月10日に亡くなって75日とやら、昨年福田義正氏がここに来て語つた話に、違星がアイヌ詩人として金田一氏の発表記事に憤慨している、遭って鉄拳を加えんといきまいていると聞かされたことが思い出されたが、彼も斃れてはだめだつたウタリーの死を悼む。(昭和4.4.16)

 また、帯広叢書NO.34 『吉田巌男日記15』には

 昭和4年4月の日記として、同じような記述がありました。

十六日 前晴、后曇。

 尋五、六に五時間ぶっとうし時間の計算をなす。放課后の掃除時間が計算できぬ。成績にかえり見て。

 今日郵着の十四日付東京日日に、違星(注1)竹次郎アイヌの記事が、金田一氏によって報ぜられた。四月十日になくなって七十五日とやら、昨年福田義正君がこゝに来てとまった時の話に、違星がアイヌ詩人として、且金田一氏の発表記事に憤慨しているとあって、鉄拳を加へん、といっているときかされたことを思ひ出したが、彼もたふれてはだめだった。

 注(1)滝次郎が正しい、歌人で北斗と称していた

 おそらく、こちらが原文でしょう。

 推測するに、昭和4年4月14日の東京日日新聞の記事(記事本文)を見た吉田巌は、前年に吉田の元を訪れた福田義正(大男涙を落す記さらば小樽よ小樽の人々よ)から、北斗のことを聞いたが、それは金田一が発表した記事に対して、北斗が憤慨しており、「鉄拳を加えん」といっている、というようなものであった、ということでしょうか。

 北斗が師ともいうべき金田一京助に対して「鉄拳を加えん」とは穏やかではありませんし、そういうキャラでもないような気がしますが、あるいはこういう側面も北斗中にあったのかもしれませんし、そういわれてしまう側面が金田一にもあったのかもしれません。

 たしかに、翻って考えてみれば、我々のような生身の人間なら誰しも、大恩ある師のことであっても、多大な敬意を払いつつも、その師について尊敬する側面とは別のこと、側面の陰口や悪口をいうこともあるでしょう。あるいは、誰かから金田一について、なにかを吹き込まれて印象が悪くなっていたという可能性もあるでしょう。(北斗に近い人物で金田一のことをよく思っていない人物といえば、限られてくると思いますが)。

 ともかく、吉田巌は、福田義正から聞いたのでしょう、北斗は金田一の発表した記事を読んで、怒りにふるえ、拳を握ったと。

 では、北斗をしてここまで怒らせた記事とは何か。

 昭和3年に載った、金田一が北斗について書いた記事といえば、おそらくこれでしょう。

 この中では、北斗のことは実名では出てきません。

 いわゆる、北斗の「思想上の一大転機」が描かれた文の一つでもあります。

  他にも、北斗自身が「淋しい元気」で同じシーンを書き、伊波普猷もまた「目覚めつつあるアイヌ種族」で、同じシーンを描いています。

 小学校の頃から、和人の子供たちにイジメられ、働き出しては、和人との差別的待遇に怒り、和人への敵愾心に燃えていた北斗が、ある時、会合に出た時に、校長先生から「我々はアイヌとは云ひたくはない言葉ではあるが或る場合はアイヌと云った方が大そう便利な場合がある。又云はねばならぬ事もある。その際アイヌと云った方がよいかそれとも土人と云った方が君達にやさしくひゞくか」と言われ、愕然とします。和人にも、このよに優しい気遣いをしてくれる人がいることに驚き、そして感動するのです。そして、世をのろい、人を恨み続けてきた自分の愚かさに気づいて、家に帰ってさめざめと泣いた、それ以来、思想を一転し、よい人間になるために努力をするようになった、というのが北斗の、そして伊波普猷の記述の概要です。

 しかしながら、この「慰めなき悲み」には、金田一得意の脚色(あるいは潤色)が入っています。校長の言葉を聞いて、北斗は演台に立ち、涙を流しながら大演説をぶつのです。相当にドラマチックに改竄されています。

 あくまでも推測でしかありませんが、これを読んで、北斗は「事実と違う!」と拳を握ったのではないでしょうか。

 金田一京助は北斗のことを相当に気にかけて、また美化していたような雰囲気があります。

 京助の息子の春彦の記述には、北斗が酒を飲んでお金を無心するので、金田一の妻が北斗のことを毛嫌いしていたという記述もあります。にわかには信じがたいことですし、金田一京助も完全否定しており、私もあまり信じてはいませんが、実際にはそれが間違っているのかどうかすら、今となってはわからないことだと思います。

 北斗も人間である以上、心の中にダークサイドを持っていたことでしょう。欲望に負けたり、怠惰な生活に溺れることもあるでしょう。

 だとしたら、金田一のことを悪く言うこともあるかもしれませんし、怒りにうちふるえて拳を握ることもあるでしょう。北斗は聖人でも君子でもないのですから。

 あるいは、北斗は自分のことを書かれたからではなく、他の記事(たとえば知里幸恵についての記事や、アイヌ全般についての記事)を読んで怒ったのかもしれません。特に、知里幸恵については、東京から戻ってきて、道内を巡り歩いたこのころの北斗は、知里真志保と親しくつきあっていたので、金田一について思うところが変わってきていたのかもしれません。

 そのあたりは、もうすこし調べる必要があるかと思います。

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