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2008年8月

2008年8月30日 (土)

一言集

 北斗が、病床で最後まで読んでいたという「一言集」という小冊子を入手。

 後藤静香が格言や警句のような、短い言葉を描いたもので、昭和3年10月発行。非売品で、昭和4年版「心の日記」の付録のようです。

 この昭和3年10月といえば、もう、かなり弱っている頃です。

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2008年8月26日 (火)

ありえたかもしれない人生

北斗が東京で出会った「大人」たち。

あのまま東京に留まっていたら、ありえたかもしれない、北斗のもうひとつの人生。

東京での安定した生活を続けていれば、若くして病気で死ぬこともなかっただろう。

金田一京助や伊波普猷のような、学者としての人生。
若くして中国革命運動に身を投じ、人気作家になった山中峯太郎のような生き方。
軍隊で上官を殴り、マンドリンをもって放浪した大正のヒッピー・永井叔。
後藤静香の元で希望社で社会運動を続けていたら、どうなっただろうか。
国柱会の活動に熱中していたら坊さんになっただろうか。

北斗はなぜ、この奇人たちに惹かれながらも、彼らのようになろうとしなかったのか。

2008年8月22日 (金)

生活

もう、何年もいじっていない「キーワード別歌集」。

「生活」っていうキーワードがなかったことに気付きました。

生活
【衣】
『北斗帖』
背広服生れて始めて着て見たり/カラーとやらは窮屈に覚ゆ
ネクタイを結ぶと覗くその顔を/鏡はやはりアイヌと云へり
洋服の姿になるも悲しけれ/あの世の母に見せられもせで
めっきりと寒くなってもシャツはない/薄着の俺は又も風邪ひく
【食】
「北斗帖」
握り飯腰にぶらさげ出る朝の/コタンの空に鳴く鳶の声
久々で熊がとれたが其の肉を/何年ぶりで食うたうまさよ
砂糖湯を呑んで不図思ふ東京の/美好野のあの汁粉と栗餅
甘党の私は今はたまに食ふ/お菓子につけて思ふ東京
支那蕎麦の立食をした東京の/去年の今頃楽しかったね

カムチャツカの話しながら林檎一つを/二つに割りて仲よく食うた
働いて空腹に食ふ飯の味/ほんとにうまい三平汁吸ふ

骨折れる仕事も慣れて一升飯/けろりと食べる俺にたまげた
一升飯食へる男になったよと/漁場の便り友に知らせる

「日記」
キトビロを食へば肺病直ると云う/アイヌの薬草 今試食する   
見舞客来れば気になるキトビロの/此の悪臭よ消えて無くなれ   
これだけの米ある内に此の病気/癒さなければ食ふに困るが
熊の肉俺の血となれ肉になれ/赤いフイベに塩つけて食ふ   
熊の肉は本当にうまいよ内地人/土産話に食はせたいなあ   
「小樽新聞 昭和三年六月五日」
熊とった痛快談に夜はふける熊の肉食って昔をしのぶ
「医文学」大正十五年九月一日
今朝などは涼しどころか寒いなり自炊の味噌汁あつくして吸ふ

【住】
「北斗帖」
楽んで家に帰れば淋しさが/漲って居る貧乏な為だ
秋の夜の雨もる音に目をさまし/寝床片寄せ樽を置きけり

「日記」
あばら家に風吹き入りてごみほこり/立つ其の中に病みて寝るなり   

【寝】
「はまなすの花」
土方した肩のいたみをさすりつゝまた寝なほした今朝の雨ふり

まだ、全然網羅していないですけど、こういう感じかな。
時間があるときまたページを作ろう。

【寝】ってしましたけど、けっこう寝ることに関する歌が多い。
あと、「雨」に関する歌も。

2008年8月20日 (水)

「新日本紀行・サラブレッド高原」

NHKの「新日本紀行・サラブレッド高原」のビデオを入手。昭和44年9月の放送。

以前、この番組を書籍化した本に北斗の記述を見つけたので、テレビ番組の中でも放送されたのではないかと期待していたのですが……。

 http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_7204.html

 残念。
 ありませんでした。

 年表の方にも「紹介されたか?」と書いているので、消さなければなりませんね。

 北斗の事は、書籍化に際して追加されたものかもしれません。
 残念。

2008年8月18日 (月)

春の若草

O先生より、教えて頂きました。

草風館版コタン(95年版)に掲載されている「春の若草」について。

 95年版コタンにおいては、「春の若草」は「ウタリ之友」(バチラー伝道団の機関誌)の創刊号(昭和8年1月20日)に「違星北斗氏遺稿」として掲載されていたものから採られていましたが、初出は「ウタリグス」(同じくバチラー伝道団の機関誌で、「ウタリ之友」前身にあたるもの)の1926(大正15)年8月号に掲載されていたものだそうです。

 なるほど、そう思って読んで見ると、非常に初々しく、力強く、情熱にあふれています。
 7月7日に北海道に戻ってきた北斗は、まず幌別のバチラー八重子の教会へと身を寄せ、7月半ばには平取の教会へと向かいます。
(バチラー八重子はこの時点では平取にはおらず、平取に移るのは翌昭和2年です。岡村国夫神父が教会を、岡村神父の妻で八重子の妹の千代子が幼稚園を取り仕切っていました)。
 まだ、東京から使命感に燃えて戻ってきたばかりの、多感で期待に満ちあふれていた時代の北斗です。自信と情熱に満ちた美しい言葉です。
 この後、現実的な問題にぶちあたることになります。幼稚園の金銭問題や、苛酷な労働から来る疲労、行く先々の同胞の無関心や無理解などに苦しめられるようになります。
 この「春の若草」は、東京を立つ前に書かれた「アイヌの一青年から」の直後のものであり、その一年後に書かれる「アイヌの姿」と3編続けて読むと、その思想の移り変わりがよく見えてくると思います。

2008年8月12日 (火)

資料再読

北斗の全資料を再読しています。
その中で、いくつか発見がありましたので、書き込んでおきます。

(1)「子供の道話」昭和2年1月号に掲載された北斗の手になる童話「世界の創造とねづみ」について。

このお噺は、「清川猪七翁」からの聞き取ったものですが、この清川猪七翁という名前、どこかで見たことがあると思っていたのですが、この方はジョン・バチラーの助手であった「清川戌七」ではないかと思います。

 清川戌七といえば、「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」の中で、ジョン・バチラーや八重子、吉田花子のことを語っている方です。
http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/post_ab90.html

この方は、1874(明治7)年生まれですから、この童話が書かれた大正15年には52歳、北斗から見れば「翁」といっても差し支えない年齢だと思います。

 「文献上のエカシとフチ」(札幌テレビ放送)によると、この方は新冠出身、明治22年新冠でジョン・バチラーと出会い、以後その布教を助けたそうです。
 生活地は平取町荷菜ということなので、北斗が平取教会にいたときに出会ったのでしょう。

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