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2008年9月 8日 (月)

ある疑念

今、年譜をバージョンアップしているところなのですが、その作業中に、ある疑念が。

年譜に「曜日」の記載をしていて思い出したというか、気づいた点があるのですが……。

北斗の日記の「昭和3年4月25日」を引いてみます。

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 四月廿五日 月曜日

 何だか咳が出る。鼻汁も出る。夜の事で解らなかったが、明るみへ出て見ると血だ。咯血だ。あわててはいけないとは思ったが、大暴風雨で休むところもない。ゆっくり歩いて山岸病院に行く。先生が右の方が少し悪いなと云ったきり奥へ入られた。静に歩いて帰る。

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 この、昭和3年4月25日は、昭和3年の日記の中で、唯一、実際の曜日が一致しません。実際は月曜ではなく、水曜日なんです。
 これは前から気づいていたのですが、そのままにしていました。

 で、4月25日が月曜なのは、昭和2年なんです。
 じゃあ、これももしかして、と思ったんですね。
 前に、昭和2年の日記がほとんど大正15年の曜日と一致していて、昭和2年として書かれているのが、実は大正15年だったということがありましたので。

 北斗は昭和2年の4月にもニシン漁のために、余市におり、そして昭和三年と同様、昭和二年も4月下旬に倒れています。(昭和二年は夏までに回復する)。

 では……昭和3年4月25日の日記も、じつは昭和2年の4月25日なのではないか、と思ったんです。

 まあ、証拠が揃っていないので、なんともいえませんが。

 この謎を解くキーワードは、やはり「大暴風雨」でしょうね。
 昭和2年と3年の4月25日の後志地方の天気を調べれば、どちらが正しいかがわかるはずです。

 ネット上では、ちょっと難しいので、これも現地でしらべなければなりませんね。
 

(2008/11/27追記)

 昭和2年の4月25日と、昭和3年の4月25日。

 どちらが暴風雨だったのか。

 北海道立図書館のリファレンス係の方に聞いてみました。
 
 数日後、お返事がありました。

 北海道気象月報によると、
 昭和2年4月25日は雨はなかったそうです。
 その前の数日も雨ではなかったとのこと。

 昭和3年4月25日も雨ではなかった。
 しかし、その前の数日間は大荒れの天気だったと。

 ……ということは。

 昭和3年なのでしょうね、日記の通りで。
 
 吐血したのが、暴風雨の日で、日記に書いたのがその数日後の4月25日だったのかもしれませんね。
 道立図書館のリファレンス係の方、こんな面倒なことを調べていただいてありがとうございました。



 だったら、曜日が違っているのはどうしてなんだろう?

 あるいは曜日だけ見れば、吐血したのが25日ではなく23日というのも考えられるけど。三と五を書き写し間違えた? 3と5?

 いずれにせよ、日記の現物がないと、わかりませんね。

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