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2008年10月

2008年10月30日 (木)

グーグル書籍検索で「違星北斗」を検索してみた

 グーグルに「書籍検索」というものがあり、アメリカの図書館の蔵書の「中身」が検索できるようになっています。
 アメリカの図書館といっても、英語だけじゃなく、アメリカの図書館の中に所蔵されている「日本語」の本の中身も日本語で検索できるようになっており、結構すごいことになっております。

 私としては当然のことながら、「違星北斗」で検索してみましたところ、いろいろと出てきました。

 ただ、たとえば「違星」と検索しても、その名前の前後の20文字程度しか出てこない、あるいはその本の中に「違星」という言葉が含まれているということしかわからない、といったものですので、結局はその本をどこかで探して読まなければならないのですが。

 また、スキャナで取り込んで、OCR(文字認識ソフト)文字化しているのですが、文字認識の精度が低く、正しく「違星」と認識されている場合もあれば、「連星」「迫星」など、違った文字として読まれてしまっているのもあり、似た文字をいろいろ試しながら、現在、そのリストを作っているところです。

 その作業の中で、ちょっとした発見がありました。

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2008年10月26日 (日)

ゴーマニズム宣言

 現在発売中の小学館のSAPIO 11/12号に掲載されている小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」において、アイヌ問題が取り上げられ、その中で違星北斗が登場しています。
 その内容について、気になる点や違和感がないわけではないですが、まだ1回目ですので、しばらく読んでから書いてみようと思っています。
 

2008年10月24日 (金)

北斗からの手紙(3)昭和3年6月20日

さて、新発見の手紙、3通目です。
週末しか更新の時間がとれないので、なかなか先にすすめませんが、ご勘弁ください。

昭和3年6月20日の消印。
余市大川町違星北斗から杉並町成宗の金田一京助への手紙です。
この手紙は、ちょっと、扱いに困ります。内容がプライベートすぎるといいますか、梅子さんという女性についての記述や、余市コタン内での人間関係に関する記述が多いので、それらについてはおおまかな概略だけのべて、引用はしないことにします。

東京の思出が それから それへと なつかしい日です。
静かな雨が降ってゐます。北海道はお節句 と云ふので となり近所はドッシンドッシンと米を ついてゐる きねの音が平和に ひゞいてゐます。子供らのとって来た熊笹の若葉は ベコ餅 をのせたり 三角に包むにちょうどよい程 のびてゐます。雪のあるうちから 寝てゐた私は もうこんなに伸びた のに 一寸と 光陰あまりに早いのを 一寸と 妬みもしましたが すぐまた、青々生々してる熊笹を愛します。


 「お節句」というのは、五月五日の端午の節句ですね。それを昭和三年当時の余市では、旧暦の五月五日で祝っているようです。この手紙が出された六月二十日は旧暦では五月三日、旧暦五月五日は六月二十二日になります。ちょうど、節句の前の準備をしているところなんですね。
 「ベコ餅」というのは、私は近畿の人間なので知らないのですが、調べると北海道や東北地方の一部において、端午の節句で食べられる菓子で、黒白二色なのでベコ(牛)だからベコというそうです。(鼈甲がルーツという説もあるということです)。
 北斗は4月の末に喀血して病床に伏し、手紙を書いた時点で、約二か月、病床にあるという状況です。

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2008年10月21日 (火)

永劫の象とは

 昭和3年2月29日、違星北斗は幌別で友人の死を知ります。

 二月廿九日 水曜日

 豊年健治君のお墓に参る。堅雪に立てた線香は小雪降る日にもの淋しく匂ふ。帰り道ふり向いて見ると未だ蝋燭の火が二つ明滅して居た。何とはなしに無常の感に打たれる。  
 豊年君は死んで了ったのだ。私達もいつか死ぬんだ。
 一昨年の夏寄せ書した時に君が歌った

    永劫の象に於ける生命の
    迸り出る時の嬉しさ  

 あの歌を思い出す。    

    永劫の象に君は帰りしか
    アシニを撫でて偲ぶ一昨年


 この「永劫の象」とは何か。
 「象」はエレファントの象ではないだろう。かたち、イメージ、イデアの「象」だろう。
 じゃあ、永遠の象とはなんだろう?

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2008年10月20日 (月)

没後80年 お墓参りツアー計画

 

  違星北斗は 2009年1月26日 没後80年を迎えます。

  「違星北斗研究会」では、その時期に北斗の故郷・北海道余市町にて、「お墓参りツアー」を計画したいと思います。

  (1月25日もしくは26日を予定)

  お墓参りの他、余市の北斗生家跡や句碑などゆかりの地を巡りたいと思います。

  詳細は未定ですが、ご参加を希望される方は管理人まで問い合せください。

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 北斗が眺めながら育ったシリパ岬。

 このシリパの裏のウタグスと呼ばれる崖下に、 違星家は「違星漁場」を持っていた。

 地元の人に聞くと、あまりよい漁場ではなかったようだ。

2008年10月11日 (土)

北斗からの手紙(2)大正15年7月8日

さて、2通目の手紙です。

 宛先は「東京市外阿佐ヶ谷町大字成宗三三二
金田一京助先生」、封筒に書かれた日付は大正15年7月8日、差出人は「北海道室蘭線ホロベツ バチラー方 違星滝次郎」とあります。
 
 北斗は大正15年7月5日夜に東京を発ち、7月7日に北海道の幌別に到着しています。その翌日に書かれた手紙です。
 
 これを見ると、北斗は帰道直後、バチラー八重子のいる幌別(現・登別)の聖公会の教会に寄宿したことがわかります。

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