希望社の没落
図書館で、あることについての調べ物のついでに、戦前の朝日新聞のCD-ROMを見てきました。
北斗が傾倒した希望社について、こんな記事がありました。
教化団「希望社」に皮肉にも争議 全社員結集して立つ」
「希望」の巧な言葉と、パンフレットとで、全国の地方男女に呼びかけ、向上欲に燃える二十萬の社友を擁し一大王国を形造つてゐる市外西大久保の希望社理事長後藤静香氏に対し、社友結束して後藤氏の不徳行為と、その待遇改善その他を掲げて今ストライキに移らんとの、穏やかならぬ形勢を示してゐる
社主を非難する三つの理由
古傷洗ひ立てらる
この3つの理由とは、
1、希望社の小間使いである17歳の少女と関係を持ち、少女が嫁いだあとも関係を続けていたという不倫行為があり、その行為を恐喝していた暴力団が検挙されたために発覚した。
2 棒給の減額したにもかかわらず、本人は豪奢な生活を送っているとして、会計の公開を迫られた
3 上記2点に対しての謝罪と引退、待遇改善をもとめたが、後藤は「この種の罪は誰人にもあることで……」云々と言い訳し、今まで偶像崇拝をしていた社員の激怒を買ったということです。
この記事の後半には「人間味があつていゝ」の標題とともに、後藤静香の談話があります。曰く、人間にありがちな過ちであり、辞職しようとも思ったが、翻って考えると、過ちを反省して向上してゆくことに人間味もあるものだ、社員たちが自分を偶像視したのは間違いで、このような人間味があるところがわかれば一層尊敬する気にもなるだろう、
などと空気の読めない発言をしてしまいます。
こういうわけで、神のごとく若者たちに慕われた後藤静香の没落のカウントダウンがはじまったわけですね。
先の記事が朝日新聞東京版、昭和6年9月19日夕刊
時間が前後しますが同日朝刊には
「後藤氏を詰り/希望者社員の飛檄」
昭和8年4月11日夕刊2面
「希望社々長の後藤氏召喚/使途不明の金数萬円」
昭和8年4月23日夕刊2面
「後藤希望社々長/つひに収容/詐欺横領の嫌疑濃厚」
……という残念なことになってしまい、ついには解散します。
北斗が死んでからの希望社には、ろくなことがありません。北斗が尊敬してやまなかった後藤静香です。北斗が生きていたら、どう思ったでしょうか。
私は、後藤静香の書くものは非常によいと思います。 人格も憎めません。いわゆる「いい人」すぎるんですよ。そしてとても「KY」で、こういうダメな自分がもう一度立ち直るところを見てくれ、なんて言っちゃう。人を信じすぎてしまっている。不倫が見つかって、「人間味があっていい」なんて言っちゃう。
後藤本人は、あくまでそれも含めて自分なんだ、なんて言ってるけど、彼をカリスマだ、神様だと見ていた人々は、一気にマインドコントロールが解けてしまう。
勝手に崇拝して幻想を抱き、盛り上がったのだけれど、ある時嫌な部分を見てしまい、急に冷めて、100年の恋からさめて、逆に大嫌いになってっていう。なんだか、若い恋のようでもあるし、旬な時にはもてはやし、飽きられるとポイ捨てする現代のマスコミのようでもあるかな。
もちろん、不倫をした後藤静香が悪いのですが。
不倫については後藤本人も認めていますが、金銭については、どうなんだろう。
あんまり後藤が豪奢な生活をしていたというのは本当かどうかわかりません。
確かに、急激に発展し続けた組織ですから、イケイケドンドンでやってきて、ある時を境に社友が増えなくなり、その経営が息詰まってくるというのはわかる気がする。
希望社の雑誌を見ていると、たしかに資金繰りがまずくなって、けっこういいのか?っていうことがある。定期購読している雑誌が、いきなり予告なしに雑誌名が変わったり、取っていた雑誌が他の雑誌に変えられてたりもする。そういうところを見ると、やはり資金繰りが悪くなっていったんだろうと思う。
ただ、穿った見方をすると、時代的に、こういう大きな思想団体を潰しておきたいという当局、たとえば特高なんかの思惑があったとかいうことはないだろうか? もちろん、希望社は思想的にはアカではないけれども、一人の人間を頂点にして何十万人もの人間が団結しているような組織があるのは、やっぱり当局としては看過できないのではないのか、などと考えてもしまう。
ま、でもやはり、資金繰りに困ってと言うことなのかもしれないですね。
この後藤静香の事件、なんか最近の小室哲哉事件とかぶるんですよね。
作るものは良い。人の心を打つ。
でもって、一世を風靡する。
いろいろと事業に手を出す。
人気が落ちる。資金繰りに困る。
やってはいけないことをする。
で、こうなる、ということですね。
なるほど。
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