平取での在所
北斗の平取での住所については、情報がいろいろありますが、おおよそ次の二カ所に絞られます。
(1)「忠郎」氏宅。
大正15年7月。北斗が北海道に戻り、幌別のバチラー八重子に、アイヌの信仰を持っている家庭を紹介して欲しいと頼んだ。(金田一宛・違星北斗書簡)
平取で、平取教会の岡村神父夫妻に「忠郎」氏を紹介してもらった。(「違星君の平取入村時の思い出」)
(2)義経神社下のバチラー八重子が管理する借家。
もともとブライアント女史の家だったところで、八重子が譲り受け、吉田ハナが管理していた。
で、これは(1)が1926(大正15)年、(2)がおそらく翌年の1927(昭和2)年の住所ではないかとと思います。
北斗は昭和2年に約3ヶ月の空白期間がある。(8月中旬~10月下旬)
バチラー八重子が平取に異動するのが昭和2年。
吉田ハナは北斗のことを確かに知っており、「北斗はキリスト教ではアイヌは救えない」と語っているので、確かにいっしょに過ごしたようだが、そうすればやはり昭和2年も北斗は平取に来ている。
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