« 有馬氏 | トップページ | 間違い発見 »

2009年1月23日 (金)

平取での在所

    
北斗の平取での住所については、情報がいろいろありますが、おおよそ次の二カ所に絞られます。

(1)「忠郎」氏宅。

 大正15年7月。北斗が北海道に戻り、幌別のバチラー八重子に、アイヌの信仰を持っている家庭を紹介して欲しいと頼んだ。(金田一宛・違星北斗書簡)
 平取で、平取教会の岡村神父夫妻に「忠郎」氏を紹介してもらった。(「違星君の平取入村時の思い出」)

 
(2)義経神社下のバチラー八重子が管理する借家。

 もともとブライアント女史の家だったところで、八重子が譲り受け、吉田ハナが管理していた。
  
 で、これは(1)が1926(大正15)年、(2)がおそらく翌年の1927(昭和2)年の住所ではないかとと思います。
 
 北斗は昭和2年に約3ヶ月の空白期間がある。(8月中旬~10月下旬)

 バチラー八重子が平取に異動するのが昭和2年。
 吉田ハナは北斗のことを確かに知っており、「北斗はキリスト教ではアイヌは救えない」と語っているので、確かにいっしょに過ごしたようだが、そうすればやはり昭和2年も北斗は平取に来ている。

« 有馬氏 | トップページ | 間違い発見 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 有馬氏 | トップページ | 間違い発見 »

フォト

違星北斗bot(kotan_bot)

  • 違星北斗bot(kotan_bot)
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ