« 歴史地理教育 | トップページ | 北斗の墓について »

2009年4月30日 (木)

北斗帖について

 メルマガの最終原稿を書いていて気づいたのですが、現在「北斗帖」の名で知られている歌集は、最初の希望社版『コタン』では「私の短歌」とあり、「北斗帖」のタイトルは84年版で編集部でつけられたものです。

 もともと「北斗帖」とは北斗の死後の遺稿の中にあった墨書自選歌集の名前。

 ですが、これは現物が未発見です。

 なので、北斗の墨書自選歌集「北斗帖」と、我々が今知っている、現在青空文庫などで流布している「北斗帖」とは違うものであるという可能性がある。

 さらにもう一つ、希望社版の「私の短歌」というタイトルは、歌集にではなく、「私の歌はいつも論説の……」という、北斗による自作解題の「文章」につけられたものであり、歌集としてのタイトルではない可能性がある(高い?)ということ。

つまり、わかりやすく整理すると、

順番として

(1)墨書の「北斗帖」があり(詳細不明)、

(2)希望社版(1930年)コタンに「私の短歌」「俳句」があり、

(3)84年版コタンにおいて、「私の短歌」「俳句」を一つの章とし、その冒頭にはじめて「北斗帖」のタイトルが付される。(ただし、その内容が(1)の墨書版北斗帖と同一である保証はない)。

(4)青空文庫等で公開され、「北斗帖」=『コタン』掲載の歌句集「私の短歌」「短歌」ということになった。

 つまり、現在の「北斗帖」は北斗が「北斗帖」と呼んでいたものと同一ではない可能性が高い。
 現在のものは、84年版の編集者によって便宜上つけられた「北斗帖」(=「私の短歌」「俳句」)が青空文庫で切り分けられ、一人歩きしたものであるといえます。

« 歴史地理教育 | トップページ | 北斗の墓について »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 歴史地理教育 | トップページ | 北斗の墓について »

フォト

違星北斗bot(kotan_bot)

  • 違星北斗bot(kotan_bot)
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ