東京に転居
仕事の都合で、東京に越してきました。
それほど意識はしていなかったのですが、いくつかの偶然が重なって、たまたま新居に選んだのは中央線沿線、杉並区高円寺。
そう。北斗が東京に着いて最初にたずねた西川光次郎のいた「阿佐ヶ谷」や、金田一京助を訪ねた「成宗」(現・成田)の近く。
そして、北斗が働いていた新宿にも中央線で一本。
北斗が高尾山に遠足に行ったときに使ったのも、中央線。
80年前に北斗がうろうろしていたあたりなんですね。
これからは、東京での北斗の足跡を暇を見つけて調査していきたいと思います。
で、日曜日に自転車に乗って阿佐ヶ谷を探検してきました。
まず、北斗が北海道からの二日間の道中、牛乳一杯のんだだけで、上京後最初に訪れたという、西川光次郎の自働道話社の住所。
東京府杉並町阿佐ヶ谷678ですが、古地図と現代の住宅地図を照らし合わせてみましたところ、これは現在の住所でいうと、おそらく、ここではないかと推測します。
杉並消防署の、それも訓練場のあたりか。
けっこう、中央線の阿佐ヶ谷駅からは遠いんですね。
「自働道話」に乗っていた自働道話社(西川光次郎宅)へのアクセス方法には「阿佐ヶ谷の駅を出て、右へ3町、湯屋の前を右に曲がり、二町ばかりいきし所」とあるのですが、そうなると、駅から人は東向きに出て、南に約300m、西に約200m行くことになりますね。
むしろ、成宗に近い。
その成宗といえば、金田一京助が住んでいたところ。
金田一を訪ねて農村地帯だった成宗を訪ねて行った北斗は途中で田んぼに落ちて泥だらけになったりしながらも、夜の8時にようやく金田一宅をさがしあて、その夜に運命的な会談をするわけです。
その会談の行われた金田一京助自宅は「杉並町成宗332」。
これは現在の成田東四丁目。
自転車で「たぶんこのあたりかな」と思いながら走っていると、突然見覚えのあるお名前の表札(「国語の神様」としてテレビでおなじみの)があり、やはり、このあたりかと思いました。
北斗のころとは違って、田んぼなどまったくない、閑静な住宅地です。
(10/6追記)
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