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2011年2月 2日 (水)

北斗の限界?

ブログ「habrodiatus」より引用
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朴烈や難波大助アイヌから
出なかった事せめて誇ろう

この歌に、時代の制約を受けた彼の限界を知る。
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http://silverfax.blog10.fc2.com/blog-entry-159.html

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 彼の限界?

 うーん。そうかな。
 何が限界?

 民族を誇りに立ち上がろうとしている青年が、
自分たちの民族の中から、(当時の社会的には)重大犯罪者を出していないことを誇りたいと言う。

 限界があったとて、それは
 彼をとりまく時代の限界であって、北斗の限界ではないだろうに。

 現代のぬくぬくしたところからだったら、好きなようにこねくり回して言えるもんだな、と思う。
 北斗の時代の彼の置かれている立場や環境を想像してから言ってほしい。
  
 と、コメントしたかったが、コメント欄がないのでここに書きます。 

(2/5追記)

リンク先、書き込みを削除されておられました。

 北斗は、23歳で東京に行き、25歳で北海道にかえって、27歳で死ぬ間際まで、急激に、加速度的に成長し続けていた人だから、その過渡期にはいろいろとツッコミどころがある発言をしているし、当時の社会に照らして優等生的な発言をしていても、今日の我々には違和感がある場合もある。だが、それは北斗の歪みではなく、社会がそれを正義としたからで、まわりの和人、それも名だたる名士や博士たち、「偉い大人」たちもそれを是としていた。北斗は、「正しく生きる」の目標のもとに、その時代の正義を生きようとしたにすぎない。

 それを、今日の教育で植えつけられた価値観で測って、「限界」とかいうのは、やっぱり違うだろう。「限界」と決めつけた方にこそ、限界があるんじゃないか。調べて、考えて、想像する努力が足りないんじゃないか。

 死の床では、不安や動揺で、発言は縷縷揺らぎ、絶望して弱音を吐き、世を恨んだりもしている。当然、思想の進歩は停滞となり、時に逆行もしたかもしれない。
発言のブレもある。

だが、それに惑わされるんじゃなく、さまざまな北斗の発言言動の中から、彼の真意を読み取り、そして、北斗が死ななかったら、彼が達しようとたであろう地平を、その先を想像しなければならない。

それが、僕たちの使命なんだと思ったりもする。



 こんな時「北斗」が生きて 居たならと
 沁々思ふ―― 一人夜更けに    (森竹竹市)

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