年譜について
昭和5年版「コタン」の年譜は、北斗の手によるものであるといわれています。
しかし、草風館の「コタン」の年譜は、読者への親切のためだと思いますが、編者の筆が入っているため、意味合いが変わってしまっているところがあります。
たとえば、大正9年。
元は「畑を借り茄子作、中途病気」
これが草風館版(昭和59)だと「畑を借りて茄子等を作るが病気再発する」となります。
微妙に、ニュアンスが違いますよね。
昭和5年版は「茄子」と言い切っていますが、昭和59年版は「茄子等」。「等」ってどこから出てきたんですかね。
あと、昭和5年の「中途病気」と昭和59年の「病気再発」では意味が違いますよね。
昭和5年版の方が、資料としては精細です。
なぜなら、「畑で茄子をつくったが、茄子を作っている中途に病気になった、と読める。茄子は夏の野菜ですから、発病時期が夏より前だということもわかる。
でも、それが昭和59年版だと、編者のおせっかいでわからなくなってしまっている。
ほかにも、同様のおせっかいによるニュアンスの変化がある。
北斗が東京から北海道に帰ったのは7月ですが、それが11月になってたりして、けっこう適当な年譜なのですが、これがオフィシャルみたいになってしまっているんですよね。
(ちなみに、11月というのは、元々縦書きの北斗の原稿に「七」と書かれていたものを希望社版コタンの編者が「十」「―」と読み間違え、それが草風館版にも引き継がれてしまったからですね)
アイヌ一貫同志会なんて、本当に存在したのかどうかもわからないのですが、この草風館版の年譜に載っているから、あったこととして確定してしまっていますね。
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