北斗生誕110年
来年2012年を北斗生誕110年イヤーとして、何かできないか考え中。
適当に考えてみよう。
違星北斗展示会
違星北斗研究会
違星北斗音楽会
それを実現するにはどうしたらいいのか、よくわからないので、いろんな所に出かけて行っては、いろんな人に「何かやりたい、やりたい」という話だけはするようにしています。
「その前に違星北斗の本を書いたらどうか」と言われるのですが、まあずるずるとまとめるのを躊躇しています。
まだ、いろいろわからないことが多くて、年表の空白も埋まらない。
せっかく東京にいるのに、東京時代のことも調べられていない。
とりあえず、暇ができたら、群馬県の榛名町にある後藤静香記念館にも行きたいと思っています。もしかしたら、希望社で行方不明になった北斗の日記はないかな、と思っております。
その他、まだ辿れるところはあるはずなのですが、それがどこなのかも思い出せない今日この頃です。
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そういえば、先日イオマンテのビデオを見てきました。
もちろん、北斗の余市コタンでも、イオマンテをしていて、北斗の家にも、朽ち果てた祭壇があり、そこに熊の頭骨が飾ってあったと。
そんへんのことが、イオマンテのビデオを見ることで、いろいろ分かることがありました。
下の記事にもありますが、北斗の家にも、花矢やら捧酒箸やらがいっぱいあった。
余市コタンには、北斗の頃まで熊の檻があったともいう。
北斗は余市はいち早く和人化したところで、アイヌ文化は廃れてしまったというが、それでもそういうものがいっぱい残っていて、実際、北斗の死後に兄の梅太郎が祭主、父甚作がアドバイザーで、余市でイオマンテをやっていたりする。
また、北斗の親戚筋の方が、「つい最近」まで山中で神事をやっていたとも聞いた。
余市で私にいろいろ教えてくださる郷土史家の方(80代)がいらっしゃって、その方がいろいろ教わったアイヌの方が、余市で「最後の」アイヌ文化伝承者だったという。
そのアイヌの方は、大正十一年(1922)生まれだから、生きていたら90歳だが、14年前に亡くなられた。
逆に言えば、つい14年前最近まで、余市でもアイヌ文化を守っている人がいらっしゃったのだともいえる。
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「北斗と熊」。
熊取名人の父。
違星家が仕切った余市でのイオマンテ。
北斗の熊の歌、熊の短歌。
もっと掘り下げて北斗と熊についても考えなきゃ。
きっといろいろ見えてくると思う。
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