北斗と尺八
北斗は尺八をよくしました。
尺八で追分節を吹き流し/平取橋の長きを渡る
尺八を吹けばコタンの子供達/珍しさうに聞いて居るなり
平取はアイヌの旧都懐しみ義経神社で尺八を吹く
などの短歌があります。
また、証言としては、
《違星君の尺八
彼は琴だか都山か知らないが、江差追分を得意としていた。六段、千鳥の曲なども吹奏したような記憶があるが余りそれは上手でなかった。
彼の吹奏の情景は江差追分が柄に合っている。
》(「違星君の平取入村当時の思い出」)
《ガツチヤキの薬を売りながら、コタン巡りをしていた頃の或る晩であつた。私の門に立つて暫くの別れにと「別れの曲」を吹奏され静かに立ち去られた。箕笠かぶりの清き尊きあの夜の姿こそは忘れようとして忘れることの出来ない思い出となつた。》
(「違星北斗を偲ぶ」鍛冶照三)
《ついには病身になり血を吐き、世を呪い人を呪い、手当たり次第に物を叩き割って暴れ死にたくなった。村の人の話では当時の違星青年は、よく尺八を吹いて月夜の浜を行きつ戻りつ、夜もすがらそうしていたこともあり、真っ暗な嵐の晩に磯の岩の上にすわって一晩尺八を吹いていたこともあった。》(金田一京助「あいぬの話」)
などがあります。
具体的に名前が上がった曲名としては
「江差追分」 http://bit.ly/HkrOTM
「別れの曲」 http://bit.ly/HnTb34
「千鳥の曲」 http://bit.ly/I86SD9
「六段」http://bit.ly/HndFuT
「琴だか都山かしらないが」というのは、流派ですね。
「別れの曲」がショパンとは意外ですね。
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