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2012年6月 4日 (月)

北海秘話 魂藻物語 (其の一)

 違星北斗が日高各地のコタンを巡り、啓蒙のために「子供の童話」「自働道話」などの雑誌を配っていた時に出会った、長知内小学校の先生、奈良農夫也

 北斗はアイヌ語に関する造詣に関しては金田一京助以上だと評する奈良に、アイヌの昔話を童話として書いて欲しいと頼み、そして奈良が描き上げ、「子供の童話」昭和2年2月号に掲載されたのがこの作品です。

 (其の一)と(其の二)に分かれています。

 (其の一)が、この伝説の伝承者、老媼、テコロタロから聞き取ることになった経緯や、趣意などを沙流山人(=奈良農夫也)が書いたものです。

 (其の二)が、伝承昔話「魂藻物語 (シサム ウェペケレ コモムト゜チ)」です。こちらの方が読みやすいです。

 個人的には、其の二を先に読む方が、味わいが深くなると思います。

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北海秘話 魂藻物語 沙流山人

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(其の一)

   沙流川情景

 古来の人物で誰が一番偉いでせうと教員が一同にたづねたとき、
「義経!」
とお答えになられたといふ話柄(わへい)が、学習院初等科の初頃の今上陛下の御逸事として遺されてゐる。尤も放課後になつて、「御祖父様……と答へようと思つたのだが、何だか変だつたから義経にしたと。お附人に仰せられたさうではあるが。しかし、陛下の御言葉として、明治大帝を御別に、第一の偉人として選ばれたのは、義経死後の一大面目といはねばならぬ。
 その義経が吾が日高国沙流川のほとり、アイヌの旧都、平取部落(コタン)に祀られているといふことは人々の皆よく知るところ。
 兄頼朝に引く弓を棄てゝ、暗い没落の北への旅を、主従義経弁慶が、形に添ふ影の如くに、美しい「睦(むつ)み」の一生を落葉散らしの絵巻にして残したは、短からぬ七百年の歳月(としつき)を隔てゝ、なほ多くの憧れを人々の心につなぐ所以(ゆえん)であらう。

   ×

 アイヌ民族の教祖として、その名北海の津々浦々に沁(し)む、聖雄神オキクミの居城、ハヨピラの跡といふのが、今覚束(おぼつか)なくも平取に遺されてある。
 彼は天翔る猛雄の闘神ポンヤウンペと戦ひつゝ、一歩も後れを取らぬ神勇を以てして、なほ総ての人々の身と心とを温むる優しさがあつた。アイメ族崇敬の中心たる彼が一路幽玄荘重な跫韻(あしおと)は、沙流川畔(べり)を心して旅する人々にはきゝなさるゝであらう。
 文字なき人々が、声音美しく代々(よよ)に享継(うけつ)ぎしオイナ、またカムイユーカラの中に探ることが出来るのである。
 彼も亦(また) 、形象(かたち)なき祠、崇厳優麗(すうげんゆうれい)なる霊詩として、神人朧化(しんじんろうか)の一幻道上(げんどうじょう)、鮮やかな「睦(むつみ)」の聖生涯(せいしょうがい)を吾等(われら)のために遺してくれてるのであつた。

  ×   ×    ×

 白銀(しろがね)に隈取る島々の象(かたち)を断切(ちぎ)れ雲の幾片(いくきれ)かに残して、西空(せいくう)一帯を茜色に刷り染める夕映(ゆうばえ)頃、笻(つえ)を丘上の義経社頭(ぎけいしゃとう)に曳けば、沙流川は蜿蜒(えんえん)と……神容今に村翁の胸に生きる対岸の山裾を洗ひ、太古シヽリムカと謂(い)った時代を偲(しの)ぶことが出来る。
 更に軽装して、上流なる懸崖を攀(よ)じ、ハヨピラの神砦(カムイチャシコツ)に佇(た)てば、脚下幾十仭(じん)、神代ながらの玄妙なる水曲を奏して誰にともなう不断の頒歌(しょうか)を流してゐる。  

 × × ×

 これ等の境地を郷土の誇りとして生れ育ったアイヌの人々、悠々として迫らぬ太古民の面影を存(そん)して、作為なく漂ふ微笑(ほほえみ)の自然さ、落付いた歩調(あしどり)で一足(ひとあし)一足確乎(しっか)と捺(お)して行く大きな足跡、行交ふ会釈に捺掌捧手(なっしょうほうしゅ)、徐(おもむろ)に胸蔽(おお)う銀髯(ぎんぜん)を撫(ぶ)して敬虔な物言ひを交(かわ)す状(さま)

 時計の針尖(はりさき)に頤使(いし)されぬ世界。
 算数に生活を刻まれぬ世界。

 火に、水に、草に樹に、虫魚禽獣、万象に神格を認めて些(さ)の疑点を挿(さしはさ)まぬ純信の世界。
 さういつた世界の片割れをこゝに見出すことが出来るであらう。

 また地上仔細にたづね索(もと)めたならば、なほ幾多「睦の世界」を発見することが出来やう。譬(たと)へば路傍に薫る鈴蘭の団欒、葉相熊笹(はなりくまざさ)のそれに似て、しかも弱く瑞々しき大葉の、颯(さっ)と山肌に沁入るそよ風のたびごと、鱗々(りんりん)相寄り漣(さざなみ)立って囁きかはす葉ずれの音、銀鈴粒々(ぎんれいりゅうりゅう)の花が葉波(はなみ)の間に飛沫(しぶ)いて、飛沫(しぶき)の上を閃(ひらめ)き戯はむるゝ黄蝶、白蝶。
 舟底に沙流川のさゞめきを聴きながら、川を遡つて灯(ひ)ともし頃の上流部落(コタン)を訪(と)ひ、門(かど)とてもしつらはぬ草蓋艸壁(そうがいそうへき)の賤(しづ)が屋の前

「イランカプッテ!」
とでも挨拶しながら、入口の垂戸(たるど)……葭簾(よしづ)を手繰り入ると、そこにも大炉(おおろ)の榾火(ほだび)を囲んだ原始以来の「睦(むつみ)」を発見されやう。

 × × × ×

 私はこの上流部落(コタン)に、北海の秘藻(ひそう)、玉藻(たまも)を携へて、そのアイヌ名を質(ただ)すべく訪ねたのであつた。
 淡い夕闇が川面(かわのも)に匍(は)い拡がる頃、私はとある家の前に佇む媼(おうな)をとらへた。媼はてまさぐりにこの塊藻(かいそう)を撫でいぢりながら、

『さうか、湖(トー)にあるの?、山湖(キムウントー)にか、セバこれコモトチでないべかナ、そかしらない』

 軽い諧謔(かいぎゃく)めいた、しかし女性らしいやさし味(み)を含んだうすら笑ひを夕靄(ゆうもや)の淀みの中(うち)に感じながらも、私は直ぐ訊きかへさねばならなかつた。

「コモト゜チって何(なあに)?」

『コモト゜チか? 太古(だいむかし)はあつた……が今はない、今はもうアイヌにはないもんだ、アイヌが狡(ずる)くなつて神様の訓(おしえ)を守らぬから、コモト゜チの通力(ちから)が失くなつて、その形骸(かたち)も何処さか行つて了つたと。…なんでも遠い/\山の奥の山湖(キウントー)の中に、柄も抜け、稜縁(へり)もすれて、通力(ちから)の亡くなった形骸(かたち)だけが浮んだり沈んだりしてるといふことだ。いや、それは岩の中にスマモコリリと謂ふものになつて嵌(はま)つてるといふ人もある。どれがほんとか、うそだもんだかも判らない、これには種々(いろいろ)おもンしろい話、あるよ……』
 招くともなく、恁(こ)う言ひながら家に入る媼のあとから、私も牽かるゝやうに吸込まれて行かねばならなかつた。
 大炉(おおろ)の榾火(ほだび)の燃えさかり、また消えがてになる明暗の波うち翳らふ快い光の節調(せっちょう)の座席(せき)に、言魂(ことだま)の揺らぎ調韻(ふし)も妙なる老媼(おうな)の物語をきいた。やさしい微笑(えまい)のうちに、彼女は皺手(しわで)で幼児(おさなご)の背を撫(さす)りながら、その睡(ねむ)りをたすけつゝ、私のために語りつゞけた。

 ……チアンコ
     
 

     サナナ、サナナァ……

 

 哀れげな、たえ入るやうな……仄(ほの)かな言葉の匂(にほひ)を漂はしながら語り次ぐいみじき声音(こわね)
 
それは貧しい哀れな和人(シサム)の話であつた。それに附添(つきそ)ふ犬と猫との「睦(むつみ)」。獣と人との区割(けじめ)なき「睦(むつみ)」。なべての徳、なべての富、総ての降伏を象徴するコモト゜チの譚(はなし)であつた。
 彼女はこの幸福の種子(たね)ともいふべきコモト゜チが、なほこの世の那辺(どっか)にか秘蔵(かく)されてゐることを信じてるものゝ如くであつた。しかも彼女は盲目(めしい)であつた。白い二つの瞳をいくたび瞬きしても、この世の彩(あや)の一片をでも見ることをゆるされぬ暗い世界の一人であつた
 
暗い世界に模索する……コモト゜チ、彼女はそれを内の世界、心の中へ探(たず)ね入る一白道(いちびゃくどう)の果てによく見出るであらうか。
 
裂細(きれほそ)い瞼の奥に、その白い瞳子(ひとみ)をチラチラ覗かせつゝ彼女は言った。
 
『そのコモト゜チ、今こゝにあればなぁ…』

 ニコ/\した、可愛いとでも言ふより言いようのない無邪気な明るかつたその笑顔、それは母の乳房に寄添ふて縋(すが)る幼児(おさなご)の可愛い無邪気さ明るい笑顔とはまた異(ことな)る……いはゞあくどい乳の家を残さぬ…時の後方(かなた)に予想さるゝ肉界の濁汁(あく)をすゝぎ清めた可愛い無邪気さ明るさであつた。

 かの盲媼(めしい)のこの笑(え)まひは、私の得た沙流上流人事の印象として恐らく永く忘れ得ぬものゝ一つであらう。
 
(なまじ)つか目あきに生れてきて、羞明苦(めまぐるし)いこの世の彩(あや)に迷ひがちな私の瞳は、この無邪気な盲媼(めしい)の笑顔を見てさへも、心の暗くなるのをどうすることも出来なかつた。
 
コモト゜チの行方。誰が……何時(いつ)いづちにそれをば見出(みい)でよう。永遠にそれは謎であらうが、もしもこの謎が真実(ほんと)に解かるゝ時があつたら、地球(このよ)は軈(やが)て一個のコモムト゜チであらう。
 私は帰つて、忘れぬうちに……とペンを執(と)った。耳賊に残る言(こと)の葉(は)の匂(におい)の微妙さが記憶から薄れ逝くのを惜みながら、声調の精をぬき去った物語の形骸だけを覚束ない文字(もんじ)に拾い組んで、からくも一個の話玉にまとめ了(お)へた。
 稿を畢(お)えて窓をあけると、もうしら/゛\と夜が明けかけ、前夜の星群みな悉(ことごと)く西に散って、ニサッサオ星(ノチウ)一つ、夜(よ)の名残をとゞめてゐた。

 沙流川の河霧、聖流シシリムカの水面を音もなく離れて、末(すえ)(はる)かにけむる紫雲古津(シウンコツ)へとつヾく幻の橋、沙流川辺の人々の夢を載せてしづ/\と天空(そら)にかえる。
 山の頂(いただき)が幽かにその上に覗いて浮島のやう。

  × × × × ×

 北海の夏が八月に入ると、沙流川筋に見馴れぬ旅人がチラ/\見える。アイヌ研究、アイヌ調査、さうした人々が、殊勝気(しゅしょうげ)な物識(ものしり)顔な案内者を先立てゝ、灼(や)くやうな夏の陽をポケツトにさしはさんだプラチナ時計の鎖に目映く煌(きら)めかしながら、

「恁麼(こんな)(うち)ぢゃア、風が吹いたら吹き飛ばされうが……」

 そんな言(こと)を家並(いえなみ)数へつゝ、声高にうち*(ほざ)いて行過ぎる。そして斯(こ)うした人々自身の心情(こころ)を象徴した薄いノートの紙の上に、尊い言魂(ことだま)の片割を国に土産の笑艸(わらいぐさ)に拾つて行く。

 *=口へんに「昏」

   × × × × × ×

 時として怒るやうに、
 
時として咽(むせ)び泣くやうに、

 アイヌ人にはいろ/\に聴きなさるゝ沙流川のペ(川瀬の音)も、厳冬一月の半頃ともなれば、揚げ後(おく)れた独木舟(まるきぶね)諸共(もろとも)すっかり氷に封込(ふうじこ)まれて、何事も全く諦めきつたかのやう。
 
時に瀬波の皺をさへそのまゝ、表面にたゝんで凍てついた上を、憂々の音たてゝ馬はゆき人々も通(かよ)ふ。積む雪の上にふゞきせば、水汀(みぎわ)、野の面(も)の分界(わけめ)も消えて、砥面(とのも)のやうな粉雪の表に、兎(イセポ)(スマリ)の足跡さへ読まれる。
 
病葉(わぐらは)一つ残してない木々の裸梢(こずえ)が、一せいに銀粉銀針を吹出して、時ならぬ霧氷華(きはな)を咲かして見するも此頃(このごろ)のことなのである。
 
沙流川の河霧が冬木の肌に触れて、夜気漂ふ未明に咲き、陽の匂(におい)に散るこの霧氷華(きはな)は時に雪面(ゆきのも)に埋残された枯薄(かれすすき)の穂房(ほぶさ)にも凛(りん)とした白銀の粧(よそおい)いを添へる。
 
次掲、昭和、コモト゜チ物語は、霧氷華(きはな)の奇(く)しき粧(よそほ)ひこそなかれ、太古(むかし)、いづくより吹入りし霧が、沙流川畔(さるかわべ)の青人草(あおひとぐさ)に触れて、今は異郷の匂(にほい)も判難(わきがて)になれる言艸花(ことぐさばな)とはいひもし得やう。何(いず)れを何れとも、さやかにそれと、わきがたくなれる言魂(ことだま)の睦(むつみ)、混沌、渾然、人と人との和(に)ぎ魂(たま)。冬木立、霜か、華かの、木ばな咲く世もがな。かくおもひつゝこのペンを擱(お)く。

→(其の二)シサムウェペケレ コモト゜チ

 

 

 

 

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