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2013年2月11日 (月)

違星北斗の生涯(その9 ホロベツ編)

《違星北斗の生涯》 

(その9 ホロベツ編) 

 

 ※これは管理人がやっているツイッター「違星北斗bot」(@kotan_bot)をまとめたものです。

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 アイヌの歌人・違星北斗Botを作ってみました。違星北斗27年の生涯を、ツイートで追体験してみたいと思います。

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【大正15年7月】

 違星北斗は東京を後にします。
 6月いっぱいで東京府市場協会を辞職し、7月5日に東京を後にします。

 この時のことを書いた西川光次郎への手紙が「自働道話」大正15年8月号に掲載されています。

《先日は誠に有がとう存じました。
 私は感謝いたし乍(なが)ら、今日の出立ちとなりましたことを悦びます。
 もう少しの違いでこの列車に遅るゝところでした。
 間一髪の処で車中の人となりました。
 私は本当に嬉しかったことを申上ます。
 それは高見沢様と同奥様がわざ/\駅に御見送りして下したことです。
 何と云ふ幸なことでせう。
 私の主人はこうして手厚い御事をなされて下さいました。
 涙がひとりでポロ/\飛出しました。
 私は東京の方を遙かに合掌し三拝いたします。
 なんと幸な男でせう。  
 逆境より起きた私は、すべての人に理解されました。
 第一に父が……兄が、友人が、東京では先ず第一に西川先生が、高見沢様が、額田様が、又その他の人々及び私しのこの仕事に声援して下さる諸先生が……ことごとく私しの前途を拓いて下したのであります。
 
 うれしくてうれしくて万年筆が、列車のゆれるよりも嬉しさに踊り出します。
 本日額田君外杉沼様が御見送下さいました。
 ではサヨウナラ皆様御機嫌克く(七月五日午後十時半)》


 北斗は列車に遅れそうになりながらも、多くの人々に見送られて、夜汽車に乗り込みます。

【北海道へ】

 大正15年7月5日に上野から北へ向かう列車に乗り込んだ違星北斗。
 その行き先は、故郷余市ではなく、幌別(登別)でした。

 多くの書物では、北斗は東京から日高の平取に直接行ったかのように書かれていますが、これは間違いです。
 北斗は、当時聖公会の幌別教会にいたバチラー八重子に会うために、北斗はある人物に会うために、一旦幌別に立ち寄っているのです。

 目的は、バチラー八重子に、アイヌ文化・信仰を守っている平取の家庭を紹介してもらうためでした。和人文化との混淆が進み、多くのアイヌ文化が失われてしまった郷里・余市とは違い、まだアイヌ文化が残されている平取で、アイヌの文化を学ぶためでした。
 また、幌別は、北斗が心を動かされた『アイヌ神謡集』を残して19歳でこの世を去った、知里幸恵の家族が住む地でもありました。
 
 

 違星北斗は、大正15年7月7日に幌別(登別)のバチラー八重子の教会に着きます。その翌日7月8日に北斗が金田一京助へと送った手紙がありますので、紹介します。

《拝啓 東京に居りました一年と六ヶ月 その間先生におそはることの多かったことを忘れがたい事と感謝してゐます。
 自分は何かなにやら もう 煩から悶への苦しみでしたが 先生にこの自分を さらけだして 自分の求めるものを得やうとしたのでした。
 今考いてみても、本当に先生の御勉強をどんなにか、さまだけた事か、又は、おいそがしい所を、自分勝手からどんなにか先生のご迷惑をおかけしたことでせう。
 私しは、又とない機会なのでしたからどんなにか、愉快に、どんなにか、おたよりしたことでありました。
 さて あの日はもう五分で、あの汽車に遅る所でありました程、時間も かっきり 上野に参りました。  
 額田君と二人で飛ぶ様に三等に飛び込みました。
 その時、私しはびっくりしましたのは、杉沼さんと申しお方がいらしたことです》

 北斗は例によって列車に遅れそうになります。

《杉沼さんばかりでなく高見沢様の奥様も。
 奥様をみつけたら高見沢様もそこに居られました。
 うれしくて/\涙が、ヲヤ/\僕の道楽なんでしから 手紙にまで泣いたことを報告します。
 他にも涌井さんが、若しくや来てゐなかったかしらと思ひました》


 泣き上戸、感動屋の北斗らしいです。

《私はあんまり時間をなくしてゐたので、その近所の人の顔はわからなかった。僕を送って下した方が外(ほか)にもあったとしたら、大そう済まないことをしたと思ってゐます。青森もぶらついたり、室蘭も初めてみたり、また幌別にも寄った事は、嬉しいことです。》

 北斗は列車で青森まで行き、そこで青函連絡船に乗りますが、乗り換えに時間があったのでしょう。青森をぶらつき、また室蘭でも町を散策したりしています。「幌別にも寄った」という書き方からすると、やはり幌別は最終目的地ではないようです。
 

《ここは三百戸ばかり そしてウタリは三十戸ばかりあります。
 ウタリの店もありました。
 知里幸枝さんの弟さんの直志保さんにも会ました 。
 豊年君もよい青年でした。 
 まだどの家にも入っていません。
 だいたい入ったって話も出来ないから、入る気も自然に億劫になるのです。
 八重様は、どう思ってゐるかは不明です。
 けれどもあの手紙 の心もちと、ちっとも変わってゐない様です。
 とにかく、私しを、アイヌの信仰の、持ってゐる家に、お世話して下さるとの事です》


 北斗は、バチラー八重子にアイヌの信仰を持つ家の紹介を頼みます。
 文中の「幸枝」は「幸恵」、「直志保」は真志保のこと。

《私しは面白くてたまりません。
 八重様は、まだ僕の心根は、わかって下さらない様です。
 けれども僕を愛して下さることは、まるでお母様の様です。
 私しはこのお母様の様な八重様をどうかして嬉しがらせたいと存ます。
 あまり失望もさしたくないと思ってゐます。
 それはあんまり罪深いと思ひますから。
 然しだいたいにをいて、私しの意思は誰にもさまげられませんから愉快です。
 私しの注文通の所に住み込めそうですから、先生もどうぞ御喜びください。
 私しのからだが弱ければいかないことを痛切に感じてゐます。
 私しはこの信仰は決して病気を直さないかもしれないが、然し、信仰以外の信念はきっと衛生と相待って強くなる事を確信してゐます。
 神は私しを救ほふが殺そうが、私しは神なんか(助けるタノマレル神)は問題でない、との信仰は、只、私の良心を本尊として進みます。
 私しの信仰は、やがてヤエ様にも放される信仰であるかもしれない。
 若しやそんなことがあったって、神をもタノマナイ私しは人間を、どの程度までタノンでよいでせう。
 若し私しは孤立することがあったって、私しは、驚くまい、と思ってゐます。》


 北斗と、クリスチャンの八重子には信仰や考え方の違いがありました。

 《僕のぢ病もどうも都合の悪るいものだ。
 これでは家に立寄って、そして適当な療治するのが本当だと思ったが、なあーに、まかりまちがったって、死程のこともあるまい。
 然し、大事にはするよ、私しの理想は遠いのですもの。
 また父も兄もゐるのだし、私しは父よりも兄よりも、亡き母や、それからそれから 私しを愛して下した、石亀石五郎爺やの霊をなぐさめ、姉の霊をなぐさめるうへに於ても 私しは私しを鞭撻して私しの良心に進まなければなりません、と思ってゐます。》


 この石亀さんについては、どなたかわかりません。
 余市の方でしょうか。
 北斗の信仰は、キリスト教のような救う神、頼まれる神ではなく、己れの『良心』を本尊にして進む事だと。この考えが原因で、クリスチャンであるバチラー八重子と袂を分かっても仕方がないということかと思います。
 夢想家で同時にリアリストである北斗は、クリスチャンのアイヌ支援を認めつつも、生ぬるさを感じ、『キリスト教ではアイヌは救えない』と公言します。
 弱者として受動的な救いを受けるのではなく、まず積極的に行動して強き者にならねばならない。
 手紙からは北斗の理想と志が伝わってきます。

《波の音が、のんきそうに、また痛快に、ひゞいて来ます。
 裏の鉄道の信号がガチャンと、ひゞくと程なくして汽車がドヾ……とやって来ます。
 浜には浜なしの花が香よく咲いてゐます。
 この家にゐても波の音が涼そうに聞いて来ます。
 この波の音だって太平洋のかなたより送られて来るんだと思と音の一つ一つが、自然の造り出だされた約束なんでせう。
 この浪の音で思ひ出しました。
 私し共は常にこの浪の音だけ聞いてゐます。
 或は見てゐます。
 けれども音は結果であって初めではない。
 結果だけで満足して来てなれてゐます。
 この結果になれてゐることが、どうもわからないことです。
 私しはアイヌに生れました。これは、どこからか約束されて来た結果です。
 この結果が運命と云ふものだらうと今思ってゐます。
 結果は私しのあずかり知ることのない勝手な運命であって、生れ乍らにして約束の責任のない責任を負ふてゐます。
 それは幸不幸の問題ではなく「動いて行く」と云ふ運命を負されてゐます。
 罪なくして罪を負されてゐる人間が世の中に沢山あることです。
 と 又、同時に誉なくして誉を負はされてゐる人間もありますと思ます。
 その人の努力なくして負ふてゐる結果だけ、見つめてみると問題はないんです。
 然し運命を(私しは運命は凡て私し共の感じてゐるのは結果だけのことを名さしてゐるのではないかと思ます)少し深く考えてみて、初めて人間をつかんだやうな気がいたします。
 こんな考はこの文だけでは不完全でせう。
 どうせ私しの考は正しくないのかも知れません。》

《けれども私しは、この考は自分を卑下するところから思索をめぐらしたに外なりません。
 私のすべての出発は自己差別なんです。
 私しはアイヌをより克く見やうと負け惜みから進めて行くことが自分乍ら哀れです。
 小さな者相手の小さな仕事です。
 やっぱり私しは先生達のお小使いが一番私としての尊いことであることを思ます。
 今日も昨夜も八重様と色々な思想的な問題を語り、私しはとても愉快でした。
 この二三日中に平取に参ることになることでせう。
 どんな家に入られるかヾ今からそこの家を想象してゐます。
 やっぱり私しは先生達のお小使いが一番私としての尊いことであることを思ます。
 何せよ第一番にアイヌ語を習らふことが先ですからこゝ二年くらいは何んにも出来ないのではないかしら。
 今この聖公会(バチラー氏宅)に○○(精神病)の女と(十六七歳)その父母(五十前後の人)が居ります。
 気の毒な人をお世話するのがこの八重様の持ってゐる性分なんでせう。
 その外、茶畑さんと云ふ青年(二十五六)が居ります。
 これは少し変りやの様で、元ウシ(有珠)の土人学校の先生をしたとかて、八重様が申してゐました。
 なか/\面白い青年で話せます。
 その青年とまるで議論の様に話してゐるので、この教会にゐるのも愉快です。
 金田一先生にお会したら、さぞお話が面白いことだらうと口くせに話してゐます。
 梅子さんのことも大そうよろこんでゐます。
 先生からのお手紙を何べんも何べんも読んではくり返してニコ/\してゐます。
 デハ、これで失礼いたします 金田一先生 御許 大正十五年七月八日 草々北斗生》
 

 長々と引用しましたが、これが大正15年7月8日の、北海道に戻ってすぐの北斗の心境です。
 
 バチラー八重子を頼って幌別(登別)入りし、幌別教会に寄宿します。
 知里幸恵の弟・真志保とも会っています。
 北斗は、八重子に平取でアイヌの信仰をもつ家を紹介してもらうために数日滞在し、平取へ向かうことになります。


【西川光次郎への手紙】

 北斗は、金田一京助への手紙を書いた同日、「自働道話社」の西川光次郎宛にもう一通手紙を書いています。
 短いものですが、西川の発行していた「子供の道話」誌大正15年9月号に掲載されたものですので、個人的なところはカットされているかもしれません。

 

《色々お世話様になりました厚く御礼申上げます。
 昨日バチラー八重子様の家に着きました、この村は三百戸ばかりの小さな村です。
 アイヌは三十戸ばかりもありませうと思はれましたが漁家と農家と二三戸の商店とです。
 平和な村と申しますより淋しい程静な村です。
 汽車の音が、たまにするだけで海の浪の音が今日はきこえませんが、昨日はゴー/\/\とそこひゞきのあるすごい浪音でした、野には名の知れぬ草花が雲雀のお家となつてゐます、近々中、平取方面へ参りたいと思ますそれにしても当家を根拠にしてと存ます、いづれまたお便りします。》



【白老へ】

 違星北斗は大正15年7月7日に幌別(登別)のバチラー八重子の教会に一時的に腰を落ち着け、そこを拠点に、大きなコタンのあった白老に出かけています。
 白老の小学校は、北斗の小学校の恩師、奈良先生が初代校長を務めたところでした。
 これについても、西川への手紙に記述があります。

《謹啓 色々お世話様になりまして誠にお有り難う御座いました。
 この附近をぐる/\視察して近々中に日高国平取方面に参りたいと存じてゐますので遂い失礼してゐました。
 昨日白老村に参りました。
 こゝには二十三年前に、奈良如翁先生が土人学校を初めて開校された当時の校長であつたと聞かされたゐた、なつかしい学校がこゝにあるのです。
 先づこの学校に立寄り今の校長先生にお会いたしました、奈良先生以来五代目の山本儀三郎先生はきはめて立派な性格の持主です。
 この人格者にして初めて土人教育も成功するもの也と思ました。
 この学校に来る前にも虻田方面の臼村にも居たそうで、とに角、土人教育二十年余も続けて来たお方です。
 私しは全アイヌ族にかはりて厚く御礼申し上げました。
 アイヌの教育の実際も初めてみました。
 そして先生が児童の頭脳から通じて将来の観察は、私し共の本当にうれしい報告でありました。
 子供になにかお話しをして下さいと先生よりの御注文なので一寸と困りました。
 その時すぐ子供の道話を思ひ出しました。
 あひにくその時は持って行く事を忘れて残念なことをいたしました。
 こんどはこの道話を一つ教科書にして、子供の為になる様なことを宣伝したいと考へてゐます。
 まだ/\楽観すべきではありませんけれど、然し大部私し共の喜ぶべきものがあります。
 こんどあの土人学校のなにか参考になるらしい様なものをお送りしたいと存ます。
 私しは今アイヌの児童に美しい心を植へて行くには、先づ己が一番近い趣味から入れたいと存じます。
 アイヌの道話的お話しは沢山あります。
 この間も面白いのをきゝました。
 まだ原稿には綴りませんが、これなども発表される機会があつて、それを更に逆輸入的にアイヌの方に宣伝したら、きつと皆がよろこんでくれはしまいかと存ます。
 それはそうとしても、あのコタンの学生は七十人程も居ります。
 それで私しは、この学童の半数でなくとも二十冊ぐらいの子供童話をお送り下さいますことが出来たら、どんなにか嬉しいのです。
 ナーニ、月おくれでもかまひません。
 古くてもどうでもよいからこの可愛アイヌの子供に寄贈して下さいますならば、本当に有りがたい事です。
 どうぞお願です。
 お送本下さい。
 白老土人学校は奈良先生と縁拠も深く、そして二十三年も歴史を持つてゐます。
 こんどまた校舎を増築して開講記念会を催して奈良先生をご招待したいと申してゐます(日時は未だ未定)。
 私しの今居るところヤヱ、バチラー様のお家は大日本聖公会教会です。
 本日日曜でしたので子供が少数参りました。
 何より驚いたのは婦人の数多が来たことです。
 不完全な日本語を使つてゐるメノコ(女)達が神の愛に救はれてゐるのです。
 文字もよめない人々はいつの間にかアイヌ語訳の讃美歌を覚えて、そして今日お祈はアイヌ語でやるのです、シヤモ(和人)もまじつてゐますけれどもアイヌのメノコのこの健気な祈をきゝまた見て、只私しは驚きの外ありませんでした。今日はまあこれくらいにして筆ををきます。

 

     ホロベツのはまのはまなし咲き匂ひ 
     イサンの山(向に突出してゐる岬の)の遠くかすめる

     アイヌ小屋あちこちに並びゐて 
     屋根草青く海の風吹く

     白老の土人学校訪ぬれば
  かあい子供がニコ/\してる

  奈良先生が土人学校ひらきてより
  二十三年の今もなほある

 

  コタンに来てアイヌの事をきゝたれば 
  はにかみながらメノコ答へり》


 これで、西川への手紙は終わりです。
 北斗はよく自分のことを「私し」と書きます。これは「わたくし」。「わたし」ではなく、「わたくし」と明示したいとき、昔はこう書くことがあったようです。
 金田一の手紙では「僕」ともいっています。
 最後の教会でのお祈りの描写は、北斗の日記(7月11日)にも出てきています。
 遺稿集「コタン」では「昭和2年」となっていますが、この手紙からそれが誤りであり、大正15年であることは明らかです。。昭和5年の編集の時点で編集者が間違った年を入れたことが、現在まで引き継がれてしまっています。
 


【日記】

 では、その日記の「大正15年」を紹介します。

《七月十一日 日曜日 晴天
 今日は日曜日だから此の教会に生徒が集まる。
 メノコが七人来る。
 此の人達はアイヌ語で讃美歌を歌ふ。
 其の清聴な声音は魂の奥底までも浸み込む様な気がして、一種の深い感慨に打たれた。
 バチラー博士五十年の伝道は今此の無学なメノコの清い信仰で窺はれる。
 今更の様に妙音に聞き入って救はれた人達の仕合せを痛切に感じる。
 ヤヱ・バチラー氏のアイヌ語交りの伝道ぶり、その講話の様子は神の様に尊かった。
 信仰の違ふ私も此の時だけは平素の主義を離れて祈りを捧げた。
 アイヌ語の讃美歌……あの時の声音は今も尚耳に残って居る。》

 
 

《知里幸恵様の御両親とお宅とを始めて知った。
 花のお家、樹のお家、池のお家として印象深いものだった。
 幸恵さんのお母様はローマ字も書けば英語も出来ると云ふ感心なお方。
 お父様は日露の役に出征された中々の偉いお方。
 此の人達の子供さんだから賢いのも当たり前だと思った。
 景色のよい所に住んで居られる此のお家の人達は羨しい。
 ウタリーに此の人達のある事は心強いと思ふ。》


 この知里幸恵の家を訪問したのは7月10日。この時に弟で後に文学博士となる知里真志保と出会っています。
 この「花のお家、樹のお家、池のお池」は、現在も「知里森舎」として現存しており、往時を忍ぶことができます。

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>>その10に続く

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