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2014年9月

2014年9月30日 (火)

違星北斗の展示

沙流川歴史館で、特別展「平取町ゆかりの歌人 違星北斗・作家 鳩沢佐美夫」
が始まりました! 行きたい! そして説明したい! 
(写真は沙流川歴史館の森岡様に送っていただきました!)











2014年9月11日 (木)

北斗の仕事について

違星北斗生誕110年の2012年に
小樽文学館の北斗展があり、
没後85年に
沙流川歴史館で北斗と鳩沢佐美夫の企画展が
開かれるのは嬉しい。

没後90年の2019、
生誕120年の2021(or2022)と、

北斗を知る人が増えて盛大になればよいですね。

私は学者でも研究者でもなく、
論文も書けない、
ただの違星北斗オタクなので、
貴重な資料を持っていても
猫に小判かもしれない。

一緒に研究してくださる方がいらっしゃれば、
違星北斗研究会の資料として、
アーカイブを共有したいと思って、
目下PDF化作業をしています。

取扱注意のものも多いですが。

本来は若いアイヌの方で
北斗の志を継ぎ、
自ら自身を研究するような方の
手に届くようにしたい。
それが余市あたりの方だとベストですが、

余市で末裔の方のお話を聞くと、
難しいかもしれない。

短歌俳句だけでなく、
北斗のやりたかった余市コタン、
余市のアイヌ文化の研究を
若い人がついでくれないかな。

北斗は余市から東京に行って
和人とアイヌである自分というものを見つめ、

平取コタンに行って、
さらに各地のコタンを巡り、
コタン間の違いについて考え、

最終的におらが村、
イヨチコタンの研究を始めた。

その余市のコタンの痕跡は消え続けている。

余市には「吾アイヌ」と宣言するような方は
たぶんいなくなった。

北斗の頃からあった、
短歌に詠んだ「空気」なのだろう。

もちろん、末裔の方はいらっしゃるのだが、
公言されないし、
研究者は和人の方ばかりだ。
前回、余市の教育委員会で
「違星北斗って誰ですか」
と言われた。
北斗さえ知られていない。

他のコタンだってそうなり得るし、
そうなって来たのだろう。
同化政策の成功例の一つに加わり、
忘却される。
「アイヌなんかいない」となってしまう。

忘却こそが最大の侵略者なのかもしれない。

余市コタンの場合は
忘却に対抗する殆ど唯一のよすがが、
北斗の叫びなのだ。

その一点だけにおいても

北斗の仕事はとてつもなく尊い。

2014年9月 7日 (日)

今こそ

今こそ知里幸恵、違星北斗、真志保、森竹竹市ら
大正アイヌの闘いを描いた
ドラマか漫画が必要なのかも。

各地の先駆者がしだいに繋がっていき、
自覚と団結の気運高まるが、
出しゃばってきた喜多章明という
和人の役人の自己満足の為に
骨抜きにされた
1930年のアイヌ協会ができるところまでね。

自分は谷口ジローの「坊ちゃんの時代」の
連作が好きだから、
ああいう形での
違星北斗の漫画化は
ありだと思うんだ‥‥夢だけど。

2014年9月 6日 (土)

違星北斗の聖地巡礼!

余市に来やってきました。
今日は飛行機の時間まで、
違星北斗の聖地巡礼をしますよ。

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早速レンタサイクルを借りたいのですが、
9時からで、まだ営業してない。

本当は昨日乗り込みたかったけど、
この町には宿泊施設が少なく、
泊まれませんでした。

次のNHKの朝ドラ「マッサン」の舞台なのに、
どーすんだろ。

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北斗を最後まで治療した
山岸礼三医師の息子さんがやってる
コーヒーショップ「ヘンリー」へ。

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元ジャズミュージシャンのヘンリーさん、
80歳ですがお元気で何より。

ヘンリーさん、

「よし、その辺はK先生の分野だな」

受話器を取り、
ジーコ、ジーコとダイヤル。
10分後、郷土史家のK先生到着。

熱烈な違星北斗の情報交換のあと、
自転車で連れだって、

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和人とアイヌがの交易をしていた運上屋跡、
旧余市コタンなど、
いろいろご案内いただきました。

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「秋になると鮭が馬鹿ほど」上った余市川。

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北斗が愛したシリパの岬。
余市の雄々しきシンボルというべき岬です。

残念ながら、手前に
堤防ができてしまい、
見晴らしが悪くなってしまいました。

さて、K先生と別れ、
余市じゅうをレンタサイクルで走り回り、
違星北斗の碑めぐり。

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モヨロ山の違星北斗句碑。

全く人に見てもらおうという努力を放棄しており、
町外れの山の上の
水産博物館の、その端っこの崖っぷちに、
誰のどういう句碑であるかも
記されていない状態で、ぽつんと立っている。

余市における違星北斗の存在感を
象徴的に表しているようです。

もうすこし、やる気を出せ、
余市町教育委員会! と言いたい。

お会いしたかった郷土史家A氏には会えず、
また、フゴッペ遺跡や古平などにも
行けませんでしたが、

K先生やヘンリーさんといろいろ話せ、
ヨイチコタンの空気感を再確認できたのが
非常に収穫

久々のヨイチで気づいたこと。

1 変なゆるキャラ「ソーラン武士」に詰め寄られた。

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2 スペースデブリ特別展見たかった。

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3 以前の余市の海岸は白砂だったんだけど、
護岸ブロックで覆われてしまってた。

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これでは、余市のシンボル、シリパ岬も
冴えないし、北斗の愛したはまなしの花も
咲けない。悲しいですね。

これが、10年前のシリパの岬。

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オマンルパロ(あの世への入り口)があると
伝えられた。
また、そのシリパの裏手のウタグスには
違星家が漁場を持っていた。

北斗にとっては特別な思い入れのある
風景、「コタンの象徴」でした。

僕のアイコンも、この風景にしています、
津波対策かもしれませんが、
やはり、残念です。

札幌に、違星北斗ノートを見に来た!

3時に起きて始発で
成田から札幌に向かわなきゃいけないのに、
興奮して眠れない。
大正14年、今から89年前の違星北斗の
直筆のノートと対面するのだもの。
そりゃあ興奮しますね。

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なんとか寝て起きて、成田へ。
行ってきます。よろしくジエットスター。

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千歳、雨。
明日は余市の違星北斗の
「聖地巡礼」したいから、
晴れて欲しいなあ。

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札幌駅、快晴。暑い。

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藤戸竹喜さんの彫像。貝沢幸司さんのイクパスイ。

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「やん衆炉ばた 北斗」という看板が見えた。
北斗は「ヤン衆」(漁場の労働者)でもあったから、
ちょっと出来過ぎ。

雨が降りそう。
北海道立文学館なかなか遠いな。

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中島公園の中の文学館に向かう。

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手前に木下「斗南」先生の像が。
開拓の功労者だから、
名前も含めて北斗と対称的といえるでしょう。

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北海道立文学館。
明日から「ムーミンの世界展」は明日から。
それでは、資料を閲覧してきます。

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これはやばい。
この資料はすごい。
内容は言えないが、この北斗の資料はすごい。
新聞に載ってもいいものじゃないかな。
いますぐ、あなたがたに届けたい。

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いま閲覧終わりました。

資料の内容公開はまだNGとのこと。

ただ、ノートに北斗から、

「私の子、孫の代のアイヌに向けてのメッセージ」

があったことだけ、お伝えします。

また、未発表の俳句、短歌、所感なども結構ありました。...

  北斗の大正14年は勉強、勉強、勉強。

  私などでは全く手に負えないほど、
様々な、難しい学問を、
北斗は仕事が休みの日に講座に通い、
手あたり次第始めようとしていました。
 
年表の空白期間はだいぶ埋まりそう。
早く整理したい。

=============

違星北斗ノートの内容の新発見を
これまで通り、
バンバンWEB上に書いて行こう、
これがソーシャル時代の調査やー!
と思っていたんですが、

発表には所蔵館の許可がいるそうで、
そういうWEBでの小刻みな発表はなかなか難しそう。

いっそのこと、紙の媒体に書いてみようかな、
と思っております。

文学館は一日で終わりましたので、
明日は余市に行って、

違星北斗の聖地巡礼をします!

2014年9月 1日 (月)

金子問題

金子札幌市議の「アイヌはいない」発言と、
それを取り巻くのネトウヨのヘイトスピーチ問題。

ネトウヨの憎悪発言の根底には、
本来は取るに足らぬ
愚者の妄言なのだけれど、

ネットのお陰で
愚か者のネットワークが形成され
否応なく目に入ってしまう。

面倒なのは
その中に
違星北斗の発言を
彼らの主張に合わせて
恣意的に切り取り

北斗をアイヌヘイトの道具として
つかっている輩がいること。

それも、ご丁寧にわが
違星北斗研究会のサイトから
コピペしてくれて
ご丁寧に私が打ち込んだときの
間違いなどもそのまま。

他ならぬ
違星北斗の言葉を曲解して
彼が背負って立とうとした、
救おうとした、
力づけようとした
ここにいるぞと宣言した
アイヌを

貶め、冒涜し、
その存在を無かったことにしようとする
やからがいる。


あれを見るたびに、
違星北斗のサイトを作って
彼の全仕事をデジタル化したことが
本当に正しかったのかと
悔やまれ、
また、悔しくてたまらなくなります。

そして、北斗ならたぶん、
かつて金田一恭助や徳富蘆花に
対して憤ったように
こう言ったと思うんです。

「なにを! 金子、許さん! 鉄拳制裁だ!」




こんな時「北斗」が生きて居たならと
沁々思ふ 一人夜更けに
(森竹竹市)

灰色の空に隠れた北斗星 
北は何れと人は迷はん
(違星北斗)


アイヌを導く「北斗星」たらんとした北斗が、
ヘイトスピーチのシンボルとして
担ぎ出される現状。

で、
こういった、

アイヌに対するヘイトスピーチに対して、

「それは違うんですよ」

と、ぐうの音が出ないほど
わかりやすく解説した、
なおかつ話題性、
浸透力、
影響力、
ポピュラリティのある本が
必要なのかもしれないなあ。

論文や専門書じゃなくて。

でも出版に携わる人間としては、
それは奇跡か魔法のように思えるんですが

違星北斗が
まだまだ知られていないだけに
危険です。
このままでは偽物が本物を駆逐してしまう。

本当の「違星北斗の心」を
もっと広く知ってもらう必要がありますね。

知里真志保はジョン•バチラーらの
アイヌ語研究を

「言霊の大虐殺をやってのけた」

という言葉で評したけど、

ヘイトスピーチで
「アイヌは存在しない」
と言ってのける所業は

「言霊による大虐殺」

だと思うんだよなあ。
言葉、概念によるエスノサイド。

「俺はアイヌだ、ここにいるぞ」

と宣言した違星北斗とは真逆。

北斗は

《アイヌと云ふ新しくよい概念を
内地の人に与へたく思ふ》

と詠み、

「アイヌはここにいる」
「アイヌは決して滅びない」

という言霊による意識改革を、
アイヌだけでなく、
和人側にも行った訳だけど、
此度の「アイヌはいない」というのは
その真逆の、
言霊による大虐殺、
民族浄化なんだろうな。

必死で「アイヌ」という概念を
新たに「悪い」ものに、
あるいは「無い」ものとしてに
書きかえようとしている
連中に対しては、

違星北斗のように
言葉を武器に戦わなければならないのだろう。
どう戦えばいいのかは、
違星北斗の、
あるいは他の言葉を武器に戦った先人が
教えてくれるんじゃないのか。

そういうことを考えながら
違星北斗を読み直してみようと思う。

今回の金子議員の件、
多くの人にはチンプンカンプンだろう。

大多数にとって、
知里真志保と言っても知らないし、
北斗と言えばケンシロウだし、
金田一といえば耕助であり、少年だったりするわけだから。

こういった時、
必要なのは分かりやすく伝える人、
池上彰的な人が必要なんだろうか。


例えばテレビで取り上げられる時、
それは番組の製作者のイメージによって
歪められてしまう。
「こういう番組にしたい」という
企画書通りの画を求められ、
演出、演技される。
プロデューサーは、
監督、出演者、スタッフ、他人を動かして
自分の夢のイメージを具現化する。

仕事柄そういう人に会うことがあるが、
中には胡散臭い人も多い。
もちろんちゃんとした方が多いけど。

人の褌で金儲けの皮算用ばかりする人。

1930年のアイヌ協会設立に関わった
喜多章明は、ある意味そんな人なのかな。
金儲けの為に関わったのでは無いにせよ、
自分のイメージを人に押し付け働かせ
「俺の作品」というような。

本人は善人であることを疑わないが、
実際は下手なプロデューサーか
指揮者気取りの人、
早く言えば山師かペテン師のような男に、

1930年当時、
関わらざるを得なかったことが、
今日このように同じような
人間を大量発生させている
現状に繋っているのだろうか。

違星北斗が今、
生きていたら、

アイヌの中から
アイヌのことを
分かりやすく発信する人に
なってたんじゃないかな。

そんな気がする。



支離滅裂ですね。
また書き直します。

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