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2014年9月11日 (木)

北斗の仕事について

違星北斗生誕110年の2012年に
小樽文学館の北斗展があり、
没後85年に
沙流川歴史館で北斗と鳩沢佐美夫の企画展が
開かれるのは嬉しい。

没後90年の2019、
生誕120年の2021(or2022)と、

北斗を知る人が増えて盛大になればよいですね。

私は学者でも研究者でもなく、
論文も書けない、
ただの違星北斗オタクなので、
貴重な資料を持っていても
猫に小判かもしれない。

一緒に研究してくださる方がいらっしゃれば、
違星北斗研究会の資料として、
アーカイブを共有したいと思って、
目下PDF化作業をしています。

取扱注意のものも多いですが。

本来は若いアイヌの方で
北斗の志を継ぎ、
自ら自身を研究するような方の
手に届くようにしたい。
それが余市あたりの方だとベストですが、

余市で末裔の方のお話を聞くと、
難しいかもしれない。

短歌俳句だけでなく、
北斗のやりたかった余市コタン、
余市のアイヌ文化の研究を
若い人がついでくれないかな。

北斗は余市から東京に行って
和人とアイヌである自分というものを見つめ、

平取コタンに行って、
さらに各地のコタンを巡り、
コタン間の違いについて考え、

最終的におらが村、
イヨチコタンの研究を始めた。

その余市のコタンの痕跡は消え続けている。

余市には「吾アイヌ」と宣言するような方は
たぶんいなくなった。

北斗の頃からあった、
短歌に詠んだ「空気」なのだろう。

もちろん、末裔の方はいらっしゃるのだが、
公言されないし、
研究者は和人の方ばかりだ。
前回、余市の教育委員会で
「違星北斗って誰ですか」
と言われた。
北斗さえ知られていない。

他のコタンだってそうなり得るし、
そうなって来たのだろう。
同化政策の成功例の一つに加わり、
忘却される。
「アイヌなんかいない」となってしまう。

忘却こそが最大の侵略者なのかもしれない。

余市コタンの場合は
忘却に対抗する殆ど唯一のよすがが、
北斗の叫びなのだ。

その一点だけにおいても

北斗の仕事はとてつもなく尊い。

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