オマンルパロ
知里真志保の「あの世の入り口いわゆる地獄穴について」の中で、余市の伝承として「余市町郷土史」を更科源三が「北海道伝説集アイヌ編」に引用しててるのを真志保が孫引きしてるんだけど、話の運びが違星北斗の「郷土の伝説」とほとんど同じなんどよね。
元の余市町郷土史は北斗を参照してるのでは?
あと、「あの世の入り口」の呼び名が、余市なのに、遠く離れた日高と同じ「オマンルパロ」なのかな、とも。
日高に縁深かった北斗が、日高の呼び方を持ってきたってことないよね?
余市のシリパのオマンルパロの文献上の初出を調べてみよう。
「余市町郷土史」は1933年発行。余市の教員の手によるもの。
北斗の「郷土の伝説」は1927年。
ただ当時の伝説自体がけっこう知られていたのかもしれないし、共通の底本があるのかもしれない。
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