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2017年7月

2017年7月28日 (金)

与謝野晶子と北斗

違星北斗と与謝野鉄幹・晶子夫妻の間に関係があるという資料はみつかっていない。

でも、北斗と晶子は、あっていた確率は決してないわけではないと思う。

なぜか。

違星北斗は、西川光次郎と妻の西川文子と親しくしていたからだ。
北斗は西川光次郎の斡旋で上京した。
上京してすぐに、北斗は文子と会い、西川夫妻から可愛がられている。

この西川文子の兄の妻が、晶子の妹の「里子」。

つまり、西川文子にとっては、晶子も義姉ということになり、その夫の鉄幹は義兄である。

北斗は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の義妹である西川文子と親しかったのだ。

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与謝野鉄幹
  |
 晶子 → (妹)里子
         | 
         ○(文子の兄) → 文子
                   |
                   西川光次郎
------------------------------------

これって、ちょっとすごくないですかね!?
もしかしたら、何か文書に残っていないかな。

http://office34.exblog.jp/11522848/


 

雪の増上寺

違星北斗が上京した大正14年の冬、東京を記録的な大雪が襲った。

その同じ年の大雪を描いたのが、川瀬巴水の「芝 増上寺」だ。

芝増上寺といえば、北斗の祖父万次郎が、明治の初めに「留学」したところ。

北斗は、上京してすぐに祖父の思い出の地を訪ね、雪の増上寺を描く画家に出会ったのかも。

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でも、この絵は、大雪というほどでもないか。

大雪の記録は1月30日。

北斗が上京してたかは微妙だなあ。

でも、北斗が増上寺に行ったことは間違いなく(雑記帳に増上寺関係者の名がある)、川瀬巴水の描いた増上寺も大正十四年に描かれたものだから、北斗が見た増上寺はこの増上寺。

2017年7月17日 (月)

カムイノミ

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本日、浜益でカムイノミがあり、私も参加してきました。
先祖へのお祈りのところで、
私にもご指名があり、北斗に対して、伝えたいことがあれば、ということでした。

とっさのことで、
「ご迷惑をおかけしますが、今後共よろしくおねがいいたします。」
と紋切型の言葉しか伝えられませんでしたが、甘党の北斗に甘いものを捧げました。

後から考えると、いろいろ伝えたいことがあるのですが……。

このカムイノミで北斗に話しかけるという体験をして驚いたことがあります。

私は和人ですし、カムイノミもやり方がよくわからなかったですので、正直、北斗に言葉が伝わったかどうかは分かりません。

それに、なんていうかリアリストを気取っている皮肉屋の部分も私にはあるのですが…

ただ、「こうやって、北斗に思いを伝えることができるんだよ」という考え、概念を示された時に、

「ああ、そうか、北斗に言葉を伝えるという概念、できるという考え方があるんだ…
一方通行だけど、北斗とつながるという概念があるんだ…」

と、いったことが、スッと胸の中に入ってきたのでした。

とても…なんというか、
まったく自分の中にない考えだったので、
ハッとしたというか、
目から鱗が落ちたというか、
新しい概念を与えられたというか…
感動して、驚いたのです。

いや、僕の中では、違星北斗という人は、80年以上前に生きて死んだ人で、
遠くにあって永遠にたどり着けない、まさに星のような人だと思っていたのですが、

そういう《概念》を知ったことで、なんかちょっと楽になったなあ、とも思うのです。

そして、北斗が聞いていると思うと、とても緊張して、うまく言葉を伝えることができなかったのでした。

不思議な感覚でした。

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海でもカムイノミをしました。

 

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途中にコタンの跡地の碑が。


 

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